2022年11月15日号
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フォーカス

分担とパッチワークのフェミニズム──パフォーミングアーツと女性のライフステージ

落雅季子(舞台芸術批評)

2022年07月15日号

結婚、出産、移住──生活環境やライフステージの変化に呼応するかたちで、創作活動との新たな関わり方を模索する女性アーティストやパフォーマーの存在を、舞台芸術の周辺で目にすることがこの数年の間とみに増えたように思う。なかにはその試行錯誤の過程を積極的に発信することで周囲をエンパワメントしている女性もいて、すべてのリソースを創作活動に投じなければ“第一線”から脱落してしまうような旧来的なアーティスト像や業界構造を、わずかずつでも相対化し始めている。舞台芸術の分野を中心に批評に携わり、そのなかで女性の生き方と創作活動への切実な問題意識のもと執筆活動を行なってきた落雅季子氏に、コロナ禍を経た現在の状況についてテキストを寄せていただいた。(artscape編集部)

1. パートタイム・アーティスト

大道寺梨乃(快快)を「パートタイム・アーティスト」と私が形容したのは、2021年初春。彼女の初めての日記映画『La mia quarantena/わたしの隔離期間』の東京上映会でのトークにあたってZoomで打ち合わせをしていた夜のことだった。生まれ育った日本を離れ、イタリアのチェゼーナで夫と娘と暮らすなかで、思うように活動できないと嘆く彼女のアイデンティティの補助線になればと思いついた言葉だったが、思いのほか語感と使い勝手が良く、今日に至るまで私と彼女のあいだでよく登場する語となっている。

パートタイムという言葉自体、フルタイムでの勤務が適わない状況を表わすため、受け止め方によってはネガティブに映る。しかし本稿のテーマである「パフォーミングアーツと女性のライフステージ」においては、女性アーティストたちが持続的に作品を生み出すための足がかりとしてこの言葉を据えたい。心身すべてのリソースを創作に注がなければ維持できない共同体のもとで生まれる作品は、男性社会的かつ前時代的な価値観と多少なりとも結びついたものであるからだ。


『La mia quarantena/わたしの隔離期間』東京上映会でのトークの様子(2021、左端は筆者)[撮影:はるか]


いつもではないが、私は子供を産み育てず、30代を演劇鑑賞と批評執筆、職場でのキャリア形成に費やした自分にがっかりすることがしばしばあった。配偶者とともに子供を育てる自分を想像して、悔やんだ時間も積算すれば長い。私がその道を選ばなかったのはひとえに「劇場に通い、演劇作品を批評で描写する時間がなくなってしまう」恐れと「やりたいことを貫いたせいで夫と子供に“迷惑”をかけ、自分で自分を責める未来に苦しみたくない」葛藤からだった。「女性が主体となって家事育児を背負うべき」という呪いから自分を解放する道を、私もまた歩んでいる途上である。


2. 女性を消し去ろうとする力

興味深いエピソードを、キャリアの長い女性キュレーターから聞いたことがある。「美術家同士で結婚した女性アーティストは創作を続けるケースが多いが、アートと関係ない職種の男性と結婚した場合は、ほぼ100パーセントの確率でやめてしまう」というものだ。結婚や出産といったライフイベントとの兼ね合いについて、配偶者の理解と協力が女性アーティストの未来を大きく左右すると想像できる話である。

ジェンダーギャップ指数世界116位(2022/146カ国中)の社会の合わせ鏡のごとく、配偶者や子を持ってソロで活動を続ける壮年期以上の女性アーティスト、またはそうした女性が長を務めるカンパニーは驚くほど少ない。ダンサーの岡田智代は、ロールモデルと言える数少ないひとりだが、彼女が旺盛な創作活動を再開したのは三児の子育てを終えてからだった。昨年岡田が、ダンサー山下彩子とともに始動したプロジェクト、テヅルモヅルは、コロナ禍のなかで親の介護と子育てに取り組む二人がいかに活動するかがテーマとなっていて、今後の動向にも期待したい。

結婚・育児・介護は配偶者や子、親という他者ありきのライフイベントだが、単身でも実現可能な移住はどうだろう。地域での芸術祭開催や東日本大震災などでの生活の変化をきっかけに、東京から家族を伴って拠点を移すアーティストがここ10年ほどで目立つようになった。兵庫県豊岡市に拠点の比重を大きく移した青年団の事例は代表的なものと言えるだろう。ただ、私自身が過去幾度か地方にレジデンスした経験から言うと、わかりやすい “家族” の形態に属していない単身女性には、地域社会から奇異の目が向けられることがある。

都市部に比べて、ちょっとした集まりでのふるまいや発言で「女性が一歩下がる」ことが当然の男性優位社会が地方には色濃く残っている。生涯未婚や事実婚、ひとり親といった生き方の多様性への認知度もさらに低い。あの絶妙な居心地の悪さは、移住という自由なはずの選択肢を女性アーティストに諦めさせることが、あるのではないか。またいくつかの地方には、日常を未知なるものに変容させるアーティストの来訪に興味はあるが、男性からの反発を無意識に恐れてか、実際の上演に足を運ぶことをためらう現地の女性たちがいたことも付記したい。

ジェンダーに基づく規範意識は女性たちを閉じ込めてきたし、進んで自分から閉じこもらなければ暮らしにくくなるような土壌を形成もしてきた。遠慮しながら道を選んでいるうちに、本当に表舞台から存在を消されてしまうのが女性の常である。芸術の力でそうした思い込みを打ち破りたいと女性たちが自分を鼓舞しても、思いは檻の内側の日常に埋没してしまう。女性の戦いとは、自分の存在をなきものにしようとする有象無象の力との戦いなのだ。


3. 支配下に置かれる女性たち



「生きのびるだけでこんなに大変でなかったら、どれほどの時間とエネルギーをほかの大事なことに使えるか、考えてみてほしい」

──レベッカ・ソルニット


フェミニズムの名著、『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子訳、左右社、2018)の一節(p.48)であるが、女性側がライフスタイルの変化にかなりのケースで対応せざるを得ない社会構造は、女性が遭う性被害とも交差性を持つ点を指摘したい。

私はレイプ犯のほとんどすべてが男性だと認識しているが、すべての男性がレイプ犯ではないと理解している。それでも、少数の男性によって女性全体を隷属的立場に置くための強力な手段としてレイプは存在している。つまり、相手をコントロールし、支配下に置きたい欲望の吐口だ。このような主張をすると「そういう男性と一緒にしないでほしい」という言葉が男性側から出る。必ず出る。女性の身に起きる被害を真剣に考えるより、被害を訴える女性を煙たがる男性の方が、世の中はるかに多いと身につまされる。

ヒステリー患者の精神分析においてフロイトは、女性たちは虐待的な性体験を切望、妄想し続けているという主張に辿り着いた。こと女性のこうむる不利益に関しては、女たちはすべては自分が望んだのであり、仕方がないと思わされる構図へ矮小化される状況が珍しくない。

性被害との交差する論点はここだ。結婚したがったのはお前だ、子供をほしがったのはお前だ、そして創作を続けたがっているのもお前自身だという声が女性を閉じ込め縛り付ける。育児に積極的な男性ももちろん存在するが、ほとんどの場合は十分でなく、生じる不均衡をめぐってまたすれ違いが起きてしまう。

コントロールの問題は、女性側が男性社会からの圧力として内面化しがちでもある。先述のとおり私もいまだ呪いに囚われているひとりだ。堅い鎧に幾重にもかけられた鍵を一つひとつ外していくプロセスには時間がかかる。


4. コロナ禍における人生設計見直し

折しも世界を覆ったコロナ禍は、多くのアーティストの生き方を変え、わずかずつだったこれまでの歩みを急速に押し進めたものでもあった。

冒頭に登場した大道寺梨乃も、長らく日本に帰国できない状況が続いた。彼女はこの2年、フライヤー・関連冊子デザインを担当する伊澤沙里、制作面のバックアップを担当する小野寺里穂とともに大道寺超実験倶楽部という団体を設立し、リモートで日本での活動を模索してきた。

未知の感染症に怯えるなかで作られた1作目から1年経った2022年。大道寺の映画2作目『Quando d’estate mi dimentico dell’inverno/夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』は、彼女たち夫婦がともに陽性判定を受けるところから始まる。上映会は4月と6月にそれぞれ東京とチェゼーナで行なわれ、9月には香港でも上映が決定している。構成メンバーが別の拠点にいながら実績を重ねている一例と言えよう。


『La mia quarantena/わたしの隔離期間』東京上映会にて(2022)[撮影:はるか]


『La mia quarantena/わたしの隔離期間』東京上映会にて(2022)[撮影:はるか]


ここで同じ舞台芸術ではあるが、演劇の世界を離れクラシックバレエ界に目を向けてみたい。まずはコロナ禍で出産を決めたバレエダンサー、オリビア・カウリーについての記事だ。


イギリス 世界最高峰のロイヤルバレエでベビーブーム(FNNオンライン)
https://www.fnn.jp/articles/-/140675


「『ダンサーのキャリアは短いし、やりたい役も沢山あるので中々、出産できるタイミングがみつからない』しかし、コロナ禍で舞台に立てない日々が増え、多くのダンサーは自分を見つめる良い機会になったという。」と、記事にはある。


【インタビュー】妊娠・出産、そして舞台復帰。“お母さんバレリーナ”中田実里(新国立劇場バレエ団)〜元の自分ではなく、今の自分の100%を目指したい(バレエチャンネル)
https://balletchannel.jp/23567


こちらは出産後に復帰した新国立劇場バレエ団中田実里へのインタビュー記事で、出産を経てバレエ団へ戻ってからの彼女の葛藤が克明に綴られている。

身体を鍛えあげ、代替の利かない存在となることを拠りどころにして舞台に立つバレエダンサーには、出産を機に舞台から去る選択がいっそう重く突きつけられる。文中にもあるように、吉田都舞踊芸術監督が産休から復帰するダンサーにも前向きな姿勢を示した言葉はひとまず喜ばしい。女性が自らの選択に自信を持てないとき、とりわけ上の世代の女性からの力添えは心強いものになる。


5. 次世代とのパッチワーク

「分担」というキーワードをこの頃よく考える。女性の不利益のすべては自分の生きている間に解決されなくてもいいから、次世代と分担して変えていきたい。誰かが傷つき、あきらめ、立ち上がれない期間は、ほかの誰かが代わりに声を上げればいい。自分ひとりの生きる環境改善のためでなく、のちに生まれ育つすべての女性のために。フェミニズムの実現とは社会構造の変革であり、集団で影響を広げる前進そのものなのだから。

同様に、舞台芸術の現場で生きる女性たちが各々の役割を分担してことに当たるさまに、私は希望を見出したい。時代は変わり始めている。教鞭を取る者、小さなコミュニティから持続可能な創作体制をオーガナイズする者、俳優の立場からマイノリティの人権について発信を続ける者、子育てや介護を担いながら次世代には自分たちと同じ轍を踏ませまいと奮闘する者、そのような人々を集め知見を共有する場をつくる者。数えきれない女性の活動のあり方がいまやはっきりと現われ、あちこちに散らばっている。

だからすべての女性アーティストに私が伝えたいのはこれだ。毎回、強欲な観客の期待に応えようとして傑作をつくろうと張り詰めなくてもいい。ライフステージの変遷とともに創作をあきらめたり、周囲から存在を消されてきた女性アーティストが、生涯舞台芸術にたずさわる展望を視野に入れて活動を始めた時代はこれからだ。休む時間があってもいい。どんなかたちでも、つくりたい欲望があるかぎり続けてほしい。なるべく長く。残された誰かがいつか痕跡に気づけるように、広く遠くに届いて残るものを。感受性のはぎれを継いでパッチワークを続ける、パートタイムで。そのことを不安に思わなくていい。ひとりで完成させようと思わなくていい。誰かと分担すればいい。つなげたら大きな景色ができる。パートタイムも、数が集まればひとつのフルタイムを超える。たとえ私とあなたが死ぬ日が来ても、過去の女性たちから受け継がれてきた思想は死なず、枝分かれして緑の葉を茂らせるだろう。



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