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【カッセル】ドクメンタ15──インドネシアのコレクティブ、ルアンルパが欧州に放った光と影
丸山美佳(インディペンデント・キュレーター)
2022年09月01日号
ドイツのカッセル市で開催されている「ドクメンタ15」の100日間が9月25日で終幕を迎える。アーティスティックディレクターにインドネシアのルアンルパが抜擢された当初から、期待とわずかな反感や懐疑的な意見が混じりあっていたが、ドクメンタ15を巡る一連の出来事──初めてアジアからの、かつコレクティブによるディレクションという話題性と、開始以前から続く反ユダヤ主義を巡る論争と数々の声明が発表されるメディア風景
、そしてそれとはまったく別の顔を見せるカッセルの街で、少なくとも1,500人以上のアーティストによって繰り広げられる展覧会や活発なイベントの数々──に多くの注目が注がれてきた。ドクメンタ15に対するドイツ社会の反応を見ていると、西欧中心主義が根深く残る中央ヨーロッパの共同体がもつ宗教や人種を巡る「傷」をどう扱うのか、という現代的な文化闘争が氷山の一角として表出しているようにもみえる。過去の暴力を振り返るために、どの暴力と傷が語られるべきで、誰がどのように語っていくことが許されるのか──表現における折衝と衝突ばかりが批判的にメディアに取り上げられているが、この論争はオーストリアを拠点とする筆者にとっても身近なものである。とくに反ユダヤ主義に対する極端な議論展開は、オーストリアを含むナチスの歴史をもつドイツ語圏の大学や美術館といったインスティテューションの内部に現在進行形で目に見えない形で存在し、また、それらに対処するための実践的な配慮やケアを欠落したまま進んでいく現場の問題ともつながっている
。影響力をもった芸術祭であるドクメンタ15において、この問題に十分すぎるほどの繊細さをもって対応ができなかったのは、今後の中欧の芸術実践に影を落とすのではないかという懸念の声も上がっているが、それが非ヨーロッパのコレクティブだからこそより一層複雑な問題も絡んでいる。一方で、今回のドクメンタは、近代の芸術システムが提示してきたような、美術館やギャラリーで受け身で作品を鑑賞したり、アーティストのアイデアを理解したり受け取ったりすることを促す展覧会ではない。そうではなく、差異によって分断がより一層高まるなかで私たちはどう生きていくのか、という極めてシンプルな問いを実践していくための共同的なリソースの宝庫である。ルアンルパの20年を超える、多くの人々が関わり、失敗や衝突を経ながら培われたネットワークを通じて広がっていく血の通った実践が、ほかのコレクティブやグループへとドクメンタ内で伝播し、共鳴している様子をさまざまな細部から感じとることができる。
そこには、「アートではなく、友人をつくる(Make friends, not art)」というルアンルパのスローガンに見られるように、緩やかな関係性のネットワークのなかで生まれる表現や活動に、「生」そのものとしての芸術の姿が浮かびあがる。
ルアンルパはインドネシア語で「共同米蔵」を意味する「ルンブン(lumbung)」の考え方とエコシステムを軸に、作ること、食べること、飲むこと、話すこと、読むこと、休むこと、空間を共有することといった生きるうえで不可欠なものを前提としてドクメンタの枠組みを捉え直している。アーティストや鑑賞者の分け隔てなく、各々がドクメンタを通して経験したことをどのように今後の実践へと繋げていくのか、積極的な問いへと開かれたエネルギーに満ち溢れた稀有な芸術空間になっている。
「感情を共有することは、責任も共有すること」
かつて戦地への貨物輸送の中心地となっていたカッセル市街地の郊外に残された、今では使われることない建物を使った会場であるHafernstraße 76にときおりピアノの演奏が鳴り響いていた。レバノンのブルジャル・シャマリにあるパレスチナ難民キャンプに住む人々の私的な写真コレクションをデジタルアーカイブ化し、写真が生み出す表象の主体性や政治性、そしてアーカイブを通して生まれるコレクティブな物語性や介入を扱ったパフォーマンスインスタレーション《Frictional Conversations》である。このプロジェクトは、難民キャンプに暮らす人々とアーティストのヤスミン・イード=サバーグ(yasumine eid-sabbagh)が協働して行なっている。難民キャンプでつくられたアーカイブにまつわるテキストが添えられたペルシア絨毯が敷き詰められた部屋にはピアノとパーカッションが置かれており、もし「ラッキー」だったらそのパフォーマンスを観ることができる
。筆者が訪れたときは、何人かの観客が壁にもたれかかるように座ってピアノの演奏を聴いていた。彼らに混ざって演奏を聴いていると、座っていた一人が笑顔で私の隣に来て、耳元でいま演奏されている曲のインスピレーションとなった写真について話を始めた。政治的な歴史を踏まえつつも、難民キャンプで暮らす誰かの日常の些細な思い出と場面が、アルバムを開いて友人に家族写真を説明するかのように語られる。写真は決して提示されることはなく、あるのは演奏とその語りだけである。写真を前提にした語りにもかかわらず、彼らの状況や環境についての知識の欠如もあいまって、その写真を想像することの難しさを感じながらも、そこに写された人々が経験した固有の物語がひろがっていくのを想像する。この相反する自身の心情に動揺しているうちに演奏が終わり、「いま感じている感情をしっかり受け取ってください。感情を共有することは、責任も共有することです」と締め括られた。
この協働プロジェクトは、写真やアーカイブがもつ撮影者と被写体の非対称性、つまり特権的な立場にあるものが写真の撮影とアーカイブ化、歴史化する構造が再生産されることを問題視し、コミュニティにおける共同的なアーカイブを演奏や語りをする複数の身体を通して活性化させているザ・ブラック・アーカイヴス、アジア・アート・アーカイブ、アルジェリア女性闘争史料館、サブバーシブ・フィルムなど)が今回のドクメンタでは多く参加している。
。このプロジェクトにみられるように、自らの主体性を問いかけながら支配的な表象や語りとは距離を置き、独自のアーカイブを構築し、活用するイニシアチブ(例えば、ザ・ブラック・アーカイヴスは奴隷制度のなかで生み出された黒人のイメージの問題含みな部分を紙で覆って隠したまま資料を陳列する。反人種差別のために奮闘した黒人アクティビストのほかに、ブラック・フェミニズムやセクシュアルマイノリティに焦点を当てた資料や書籍の展示をすることで、黒人にまつわるアーカイブの欠落と、資料がもつ暴力や空白からくる沈黙を強調しながら、これまで語られてこなかった物語へのアクセスとその視覚化をインターセクショナルな視点から目指す。その取り組みは、検閲や当事者性といった単純な言葉で形容できるものではなく、イメージが内包する歴史を、消すことのできない「傷つき」に関わるものとして扱うことをも厭わない。その際に、その傷を再生産しないように、また新しい傷を開かないような配慮や課題と対峙しながら展開されていることも伺える。
また、アーカイブという言葉を使っていなくとも、ドクメンタで展開されていたプロジェクトの多くが、出来事や物語はどのように集積され、アーカイブされ、流布され、教育され、記憶されていくことができるかの(不)可能性のようなものを思考し、長期的な実践として試みられていた。なかでも、ルアンルパが長年やってきた教育プラットフォームであるグッドスクール(Gudskul)を筆頭に学びや憩いの場づくりがなされ、出版に関しての多様な実践が取り上げられていたのも今回のドクメンタの特徴ではないだろうか。
例えば、冷戦下のアラブ言語で出版された書籍のリサーチを行ない、デジタルアーカイブや出版を行なっているファーラス・パブリッシング・プラクティシィズ(Fehras Publishing Practices)は、クィアな視点から作られたフォトノベル《Borrowed Faces》(2009-)の最新号をアフロ・アジア・ソリダリティ・ムーブメントにおける女性たちをドラマ化したインスタレーションとして展開する。歴史的な語りから見落とされてきたオルタナティブな語りを、物語がどう構築され、表象され、流布してきたのかに着目しながらフィクションを通して提示する。
流動的なジェンダーの観点から関係性を描いたインスタレーションを発表するニノ・ブリング(Nino Bulling)は、レバノンのコレクティブであるサマンダル・コミック(Samandal Comics)と一緒にワークショップをしているなど、多くの参加者が自身の活動を超えて、コレクティブな印刷物の在り方とその可能性を探っている。
また、ドクメンタ15は独自の出版プロジェクトであるルンブン・プレス(lumbung Press)を運営しており、ドクメンタホールの一角にその印刷機を設置している。食文化における表現や移民の問題を扱うブリトー・アーツ・トラスト(Britto Arts Trust)のインスタレーションと、誰もが自由に使うことができるスケートボードを含むパフォーマンスインスタレーションを展開するバン・ノルグ・コラボレーティブ・アーツ&カルチャー(Baan Noorg collavorative Arts and Culture)の横で、数人のスタッフに囲まれた大型の印刷機が大きな音を立ててまわっていた。物理的な場所で展開される展覧会にそれぞれの目的で居合わせた人々が生み出すダイナミクスと、固有の場所を離れて流通する印刷物によって、情報や知識の形成が複数のメディアと物語を跨いで行なわれていることが身体的にも伝わってくる。刹那的な出来事でありながら長期的に培われていく知識や物語を同時に感じさせる光景だ。
また、ドクメンタ15を訪れる人々のための最低限の情報を載せた英・独の公式ハンドブックのほかに、「ルンブン・ストーリーズ」という異なる文化における「ルンブン」を扱ったエッセイ集も出版している。このエッセイ集は大きな出版社に頼るのではなく、世界各地のリトルプレスによる共同プロジェクトとして「harriet c. brown」というコレクティブの名前で編集され、7つの言語に翻訳され、カバーと序論が異なる8つのエディションで出版されている。
こうしたグローバルな文脈のなかで周縁化されてきた文化や歴史の物語をコレクティブな方法で生み出し、それがいかに流布されていくのかにも目を向けた今回のドクメンタ15は、ルアンルパが「ドクメンタ15が開催される100日間を超えても有効であり続ける、グローバルな方向性をもった、共同的で多くの分野を跨る芸術と文化のプラットフォームをつくりたい」
と語る意欲からもみてとれる。そのためのインフラストラクチャーづくりもドクメンタ15の重要な一部となっている。ドクメンタに参加する多くの活動は、帝国主義や植民地主義を内包した近代的システムのなかで生まれ、続けられてきた芸術を含むグローバルな社会を批判的に扱いながらも、語られなかった歴史や民話、伝統をどのように物語として紡ぎ直していくかの問いかけと試みを行なっている。ヨーロッパ・ロマ芸術文化研究所(ERIAC)と協働したオフ・ビエンナーレ・ブタペスト(OFF-Biennale Budapest)では世代の異なるロマの作家たちを扱うことで、過去の語られなかったことと、現代で新たに展開される物語を同居させたり、サオダット・イズマイロボ(Saodat Ismailova)は中央アジアに残る伝承を世代と地域が異なるアーティストと共に紡ぎ、儀式的な時空間をつくり出していた。そこでは異なる文化や立場から紡がれた表現や物語がときには重なり、ときにはぶつかり合う──暴力や沈黙を抹消することなく、複雑性を保ったまま語ることができるのかの挑戦とその可能性が存分に発揮されていた。
アーカイブに焦点が当てられていたことは、情報にアクセスするための場所を確保するインフラストラクチャーとして不可欠である以上の意味合いを持っているだろう。スチュアート・ホールがアーカイブは定義上不完全で未来に開かれ、生きている(living)
とするように、幾つものアーカイブ的な実践が同時的に展開されることで、過去に関わり、振り返るための手段としてだけでなく、未来に向けた創造性を養い、想像力を押し上げ、そこから世界を構築するための、完結することのない「学び合い続けるための」プラットフォームとしてのドクメンタ15が想定されていることを伺わせる。一方で、反ユダヤ主義を巡る議論の火に油を注ぐことになったインドネシアのコレクティブであるタリング・パディ(Taring Padi)のオープニング直後に撤去された巨大バナー作品《People’s Justice》(2002)を巡る騒動は、ユダヤ人差別を暗示するイメージがインドネシアを植民地としたオランダから移植されたという文脈の内省がないままに展示された問題に起因している。その意味では、のちに展開された議論はイメージの暴力性の排除を前提とし、謝罪とさらなる検閲においてのみ制裁と議論の正当性が認められるという、ルアンルパによって提案されたドクメンタをプラットフォームとするという考えと対立する結果となってしまった。
いままで語られてこなかった多層な関係性をもつ歴史が複層的に重なり合うときの衝突を私たちはどこまで想像することができるのか。あたかも「普遍的である」と共有されてきた西欧型のインスティテューションの知が、ローカルな文脈との関係性に対する想像力の欠如を生み出し、ひとつの知のあり方の強制や外部の声を抑圧してしまう現状システムの限界を示しているようにも思える。
共鳴の輪を広げていくこと──コレクティブな資材と資源を共有すること
政治的な論争が多くの視線を集めるなか、展示会場の繋がりとそこで発表している作品やコラボレーションを通して、街の輪郭が複層的なかたちで浮かび上がっていたことが印象に残った。カッセルの地理的かつ歴史的に発展してきた地区の違いを社会(Social)、資本(Capital)、自然(Natural)、工業(Industrial)で緩やかに分け、その独自の文脈や活動のなかに、グローバルサウスからの共同的な実践や地元団体との連携プロジェクトが行なわれていたりするからである
。公園で実際に使用されている堆肥山の風景の一部となるように意図されたラ・インタームンディア・オロビエンテ(La Intermundial Holobiente)による《The Book of the Ten Thousand Things》(2022)、かつての重要なナイトクラブやバーの複合施設であったWH22における、有色人クィアのコミュニティに特化したナイトクラブを主催するインドのパーティー・オフィス・ビートゥービー(Party Office b2b) 、ベトナム系移民たちと共同で作り上げたニャサン・コレクティブ(Nhà Sàn Collective)の畑など、生態系そのものや、特定のコミュニティを対象にしていながらも、「ドイツの小都市カッセル」から一歩踏み出し、より複合的な関係性と異なる文脈で活動しながら相互的に経験や知を共有するための場となっている。そこにつながりや関係性が見出され、そのなかから表現や実践が自ずと生まれてきている。
また、ブリトー・アーツ・トラストによって運営され、有志によって食事を提供するソーシャルキッチンや、フリデリツィアヌム美術館の裏に作られた仮説のキッチンで、食材を持ち込めば自由に使うことができ、一日が終わると参加アーティストたちが集まるグッドスクール・キッチン(Gudskul Kitchen)、ショッピング街の一角に作られた総合案内所でありながら数々のイベントが行なわれるルルハウス(ruruHaus)など、近代的な美術館の内部には想定されていない機能や場作りもされており、そこを起点に、多くの共鳴の声や形式ばらない会話が起こっていた。これらの場所で出会った多くのアーティストたちは、ここで見たもの、聞いたもの、感じたことをどのように自身の実践に接木していくかにとても意欲的であり、筆者自身も刺激を受け、自らが内面化してきた芸術や実践をいかに展開していくかを考えるうえでの制限を超えていく勇気をもらった。
しかし、このような体験からオーストリアの日常に戻ってきて、身近な友人や同僚たちとドクメンタの話をすると、反ユダヤ主義の話題になったりイスラエルやパレスチナ問題に触れたりした途端に口を濁したり、会話が急激に極度な緊張関係に包まれるという事態にも遭遇する。現場の雰囲気と乖離したドクメンタを巡る人々の反応と感情をどう消化し、今後の活動に反映させていくのかについては慎重になる必要がある。ドクメンタを訪れた2日目の夕食の後に、グッドスクール・キッチンに誘ってくれた中国系のアーティストである友人が「ヨーロッパはこの先もずっと(本当に意味で、自分たちが信じる考え方とは異なる実践を受け入れる)用意はできない」と呟いていたように、その限界をどのように突破することができるのか、複雑な関係性を想像したうえでどう表現活動を突き進めすことができるのかという課題はいまだに残されたままである。
ドクメンタ15
会期:2022年6月18日(土)〜9月25日(日)
会場:フリデリツィアヌム美術館、その他カッセル市内