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【ロサンゼルス】ジャッキー・アップル──エコフェミニストの旅立ち

キオ・グリフィス(ヴィジュアル・サウンド・アーティスト、キュレーター、デザイナー、ライター)

2022年11月01日号

ジャッキー・アップル(JACKI APPLE)の華麗なるラスト・パフォーマンスは自宅のタウンハウス2階の寝室で催された。当事者主催、演出もすべて計画的にセルフ・プロデュース、参加者は口伝えの招待のみで集まった。会場のステージであるキングサイズのベッドはライフワークの資料で覆われていて、それは毛布のように彼女を包んでいた。主治医は看護師と奥のドアから入り、客間を通り抜け、サイドテーブルのランプ越しの椅子に着席した。鞄の中のものは舞台の小道具のようにテーブルの上に丁寧に並べられた。医師は道具を順番に手にし、まるで指揮棒を振るように演じだした。緊迫した空気には、彼女が好きだった甘い金木犀の香りがほのかに放たれた。


アートセンター・カレッジ・オブ・デザインのプロダクトデザイナー専攻のエミン・デミルジによる帽子と眼鏡のモデルを務めるジャッキー・アップル(2017年4月)[Photo by Sophia Alvarado]


Assisted Death(自殺幇助)のことを知ったのは、それより20日前のバイデン大統領来ロサンゼルス関連のセキュリティで生じた渋滞の車中だった。ラジオではウクライナの終わらない戦況やただならない経済の増悪化にともなった事件などがしきりに流れ、論理の行方も曇るままハイウェイの車線も詰まっていた。「そんなノイズ消して私が今から言うことを聞いて」タッチスクリーンの受信ボタンを押すと同時に甲高い声でいつものような命令を受けた。「ジョーン(ディディオン)もレイチェル(ローゼンタール)もコウジ(飼い猫)もいなくなったわ! 私もいい加減に最後の旅支度がしたいの。協力して」

20世紀後期のカルチュラルシーンをマルチアーティストとして切り開く

私が初めてジャッキー・アップルの作品に出会ったのは、「Black Holes/Blue Sky Dreams, Airwaves」という70年代を代表するパフォーマンス・アーティストの作品を収録した2枚組のアルバムだった。1977年にニューヨークのOne Ten Records からリリースされたこのLPは、東芝EMIで海外部長だった叔父から当時上野毛のインターナショナルスクールで高校1年生だった私に手渡され宝物となった。アート・ロック、前衛・実験音楽、スポークン・ワード、エレクトロニック、ノーウェイブ等のジャンルを軸にヴィト・アコンチ、テリー・フォックス、デニス・オッペンハイム、メレディス・モンクやローリー・アンダーソンなどが収録されていた。その後にOne Ten Records から1980年にリリースされる、ジャッキー・アップルのソロLP「The Mexican Tapes - a Film/Audio Work」は、じきに彼女のライフワークとなるコンセプトアルバムだった。メキシコ・シティで外交官としてCIAエージェントと結婚することの奇妙さについてのラジオ・オペラのような内部モノローグであったことをぼんやりと覚えていたのだったが、まさかそのアート・ブック版の編集とデザインをのちに自分が依頼されるとは想定外だった。しかも遺作。

今年6月に自己意思で他界したジャッキー・アップル(享年80歳)は、アメリカで類い稀な70年代初頭から活動してきたマルチアーティストのひとりであり、美術評論家、脚本家、教育者でもあった。太平洋戦争、真珠湾攻撃の翌朝にニューヨークで生まれた彼女はそのことを大変意識して、幼少期からの大の愛日家であった。1981年からはロサンゼルスを拠点に活動していた。半世紀にわたるキャリアのなかで、彼女はニューヨークでファッション・デザイナーとしてデビュー、それがきっかけとなりマーサ・ウィルソン創設の伝説の草分けオルタナーティブ・スペース、フランクリン・ファーネス(Franklin Furnace)で初代キュレーターを務めた。フェミニスト・パフォーマンス・アーティストのパイオニアであり、多岐にわたるマルチメディアを通したヴィジュアル、サウンド、テキストによる表現全般を探求し拡大した。外部でのキューレーションも多く務めたジャッキーは、1979年には西武美術館で企画されたアーティスト・ブック展にゲスト・キュレーターとして参加している。



フランクリン・ファーネスの初代キュレーター時代、ニューヨーク(1978年7月)[Photo by Bruce Barber]


エコフェミニストであり、コンセプチュアルでつねに実験的なジャッキーは、多くのアーティストとのコラボレーションを重視し、マイクロアーティストブックのようなミニチュアなものからサイトスペシフィックな大規模なインスタレーションに至るまで、さまざまな作品を手がけた。彼女は制作のなかでのジェンダーや人種といった境界にほとんど関心を示さず、それを超えた先にある本質的な資質や人間の価値に目を向けていた。文化の衰退や廃墟の概念から、気候変動やエコロジー上の危機、生物の絶滅といったグローバルレベルの問題、さらには宇宙旅行やスペースダンスなど異端的な課題まで網羅した作品を発表してきた。



ロングビーチのFHP Hippodrome Galleryで、ウィリアム・ローパー、アンナ・ホムラーとともに「Voices in the Dark」を演じるジャッキー・アップル(1988年10月8日)[Photo by Annie Appel]


アーティスト活動と並行して、カリフォルニア州パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで現代美術論、美術政治論、ソーシャルエンゲージメントについて講義やワークショップを設け、同校の最高賞を2012年に受賞し名誉教授で退任した。また、1981年から1995年までロサンゼルス公共ラジオ局KPFK-FMのラジオ番組「Soundings」のプロデュースとホストを務め、実験音楽とサウンドアートを放送するとともに、米国のサウンドアーティストに多くの新しいラジオアートを委嘱した。



ラジオ番組「Soundings」をホストするジャッキー・アップル(1987年)[Courtesy of Jacki Apple Archives]


1983年から1995年にかけて、リンダ・フライ・バーナムがロサンゼルスで創刊したパフォーマンス・アート専門の季刊誌『High Performance』の共同編集者を務めた(1978-1997)。ジャッキー・アップルの初期の作品は、1978年にニューヨーク州ロチェスターのVisual Studies Workshop Pressから出版されたアーティストブック『Trunk Pieces』で、これは、彼女のオーディオ作品において自身のアーカイブ音源やファウンドサウンド(拾得音)を構築するのと同様のプロセスで、半自伝的ナラティブを作り出すために使用されたファウンドフォトを収録している。この物語は、"trunk"が持つさまざまな意味をもとに構成された愛と殺人の物語である。頭や手足を除いた男性や女性の体。衣服などを入れる箱や箪笥……人生のある時点から別の時点へ自分を運ぶために使われる考え、人、状況、または関係。物語は、発掘された写真で構成されている。



ニューヨーク近代美術館(MoMA)で上演された作品『Heart of Palms II』前に座るジャッキー・アップル(1978年)[Photo by Michael Levine]


科学、テクノロジー、環境への意識のひろがり

ニューヨークのラジオ・アーティスト、ヘレン・ソリントンとのコラボレーションである限定版のアーティストブック『The Tower』(2015)は、シネマティックな構造を持つ実験的小説である。この物語の軸となるのは、多次元空間の理論物理学、とくにカラビ・ヤウ多様体、弦理論、メタバース(多元宇宙論)の研究から着想を得て発展した仮想の10次元建築物「タワー」である。タワーは、アメリカ北東部大西洋沿岸のある場所に位置し、多次元とパラレルワールドの間にあり、環境に深い影響を与える強力な視覚的、音響的存在である。登場人物たちは、展開とともに次元のズレを経験し、自分の認識や信念、アイデンティティや意識の本質に疑問を抱くようになる。良心と倫理への疑念が浮かび上がってくる。もし私たちが無意識のうちに、われわれのコントロールや理解を超えた力を解き放つことによって、宇宙やわれわれの住む地球のバランスを崩壊させるとしたら、未知のものに対する知識を追求することは価値ある目標なのだろうか? ロサンゼルスとニューヨークの海岸都市からアメリカ大陸を跨ぎ未知に向けての信号を発しながら試行錯誤するこの作品は2コラム構成となっており、縦にも横にも読むことができるため、さまざまな入口と出口があるコール・アンド・レスポンス式SFドラマである。


「私たちの間には板ガラス窓が存在する」
「あなたは窓際まで歩み寄り、指先で私の顔の輪郭をなぞろうとする」
「あなたは剃刀を持って、私の心臓の位置するガラスに一直線に切り込みを入れる。私は恐怖のあまり手のひらに汗をかきながら、手早くテープを貼り付けた」




「Free Fire Zone」のレコーディングをするジャッキー・アップル(ZBS財団)、ニューヨーク州フォート・エドワード(1980年5月)[Photo by Marlene Hersh]


パフォーマンス・アートの研究でフェミニストの理論家のひとりであるペギー・フェランが論じたように、「パフォーマンスは消去されることによってそれ自体になるのだ。パフォーマンスの持つ消耗性というのは、その主たる特徴のひとつであり、すなわちアーティストは、私たちよりも前に作られた作品を部分的にしか理解せざるを得ないのである。映像や写真で再生することは可能だが、それはゾンビのようなもので、ライブの生命力を欠いたものである。また、作品の意味を理解するためには、その作品がどのようなものであったのか、当時の体験を読み解くことが必要であろう。ジャッキー・アップルのテキストは、このような貴重な役割を担っているのだ」

ファッションデザイナーとしての経験から他者に対する、また自分自身に対する偽装工作をスタイルにもったジャッキーは、このように早くから当時のニューメディアを自由に操り、そこから生み出されるコンテクストの展開をまた思いのままに繰り広げたのである。カセットテープの作品である『Amazon, The Mekong, The Missouri and the Nile』(1985)は、植民地主義の本質に迫るディスコース、1991年からは生物の絶滅(『The Culture of Disappearance』)や自然災害(『You Don't Need A Weatherman』)といったテーマを掘り下げている。考古学、古生物学、理論・天体物理学、地球科学、そして文化・音楽・ダンスに関わるポリティカルな資料が影響している。ほかでは、物理学者デイヴィッド・ボームの『全体性と内臓秩序』を、パフォーマンス・スペクタクル『Fluctuations of the Field《場のゆらぎ》』の土台として選んでいる。

1981年にローリー・アンダーソンのシングル「O Superman」を出したOne Ten Recordsから1980年に出版されたジャッキー・アップルの長編作「The Mexican Tapes」は、アーカイブ音源、フィクションの検証、多層に織り込まれたスポークン・ワード、仮想のスーパー8カラーフィルムのサウンドトラックである。マヤ・アステカの聖典、外交官やCIAの機密書類、アメリカ大統領の演説、冷戦時代のプロパガンダ、オクタヴィオ・パスや ロラン・バルトなどの文献の抜粋、トロツキーのメキシコ亡命、1968年のメキシコオリンピックなど、さまざまな資料を男女の声が同時に読み上げるポリフォニー作品である。時折、パーカッションや効果音で構成された絶妙なアンビエント・サウンドが響き、ホルヘ・レイエスが行なったような古代マヤ音楽への暗示が感じられるが、みごとにミニマルに仕上げたものだ。



アートセンター・カレッジ・オブ・デザインのファッション学部にて(2005年)[Photo by Jose Mandojana]


夏の終わりに企画された集まりでは、ジャッキーのこだわりで追悼式ではない祝祭が催された。会場は白い花に囲まれ、親友であったメレディス・モンクの音楽が流れるなか、各自が彼女に関連した不可思議なエピソードをシェアした。この会でMCを務めたニューヨークから駆けつけた実妹のマージョリーは、ジャッキーが化けて出て来たのではないかと思うほどの瓜二つで、これもまた彼女の演出ではないかと大笑いしているなか、ロサンゼルス郊外の砂漠地ジョシュア・ツリー国立公園でGreen Burial(樹木葬)が行なわれた。最後まで徹底している彼女としてはまっとうな方法で、自然資源の保護、二酸化炭素排出量の削減、労働者の健康保護、生息地の回復や保全に役立つ、環境への影響を最小限に抑えた故人のための葬儀の方法をとったのだ。大層な石碑はつくらず、サボテンや砂漠の動物に囲まれた普通の石に名前が筆で書かれているだけだった。



Green Burial(樹木葬)、ジョシュアツリー・メモリアルパークにて(2022年6月) [Photo by Emily Waters]


★──Jacki Apple Web Retrospective https://www.jackiapple.com/

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