フォーカス
【マニラ】記録の断片に触れる──女性カルチュラルワーカーたちのアーカイブ
平野真弓(キュレーター)
2023年06月01日号
フィリピンではグループ展の企画やスペースの運営といったオーガナイザーとしての役割を果たしているアーティストによく出会う。こうしたまとめ役を担う人たちの労力があって、美術界の既存のヒエラルキーとはある程度の距離を保ちながら、自由な発想や実験的な表現を支えるコミュニティが形成されてきた
──にもかかわらず、オーガナイズやマネジメントのタスクは「才能ある」アーティストをサポートする女性的な仕事としてジェンダー化され、ケアやメンテナンスの役割そのものはアートシーンの隅に追いやられてきた 。こうして美術の歴史のなかで見えなくされてきた仕事は一体どこに記録されているのだろうか。本稿では、女性アーティストやカルチュラルワーカーが残したメモ、テクストや書簡など、記録の断片をつなぎあわせながらオーガナイズやメンテナンスの仕事を追い、彼女たちの視点からフィリピンのアートシーンと社会、歴史について想像し直してみたい。女性による3つのアーカイブづくりの取り組みをマニラから紹介する。フィリピン近代美術を支えたパトロネスのスクラップブック──プリータ・カラウ=レデスマ・センター
マニラ首都圏マカティ市のビジネス街の一角にひっそりと佇むプリータ・カラウ=レデスマ・センター(The Purita Kalaw-Ledesma Center)。ここは、プリータ・カラウ=レデスマ(1914-2005)の所有していた書籍と資料を保存公開しているアーカイブだ。カラウ=レデスマはフィリピン近代美術の発展に寄与したパトロネスとして知られている。10代の頃からフィリピン大学ファインアート・スクールの前身であるラ・エスクエラ・デ・ベリヤス・アルテス(La Escuela de Bellas Artes)で絵画を学び、美術とデザインに傾倒していたが、女性は経済的に自立するべきだとする両親の意見を尊重し画家になる道は断念した。大戦後の1948年、美術学校の同窓生たちとフィリピン芸術協会(AAP:Art Association of the Philippines)を創設、初代会長に就任し、美術のコンクール(AAP Annual Art Competition)を立ち上げた。年に一度行なわれたこのコンペ展は、約4世紀にわたる植民地支配から解放されたばかりのフィリピンにおいて、新たなナショナル・アイデンティティを探求するモダニストたちの表現が開花する場となった。カラウ=レデスマ自身もAAPのアーティストたちの作品を購入し、フィリピン近代美術のコレクションを築きあげた 。またヴェネチア、パリやハバナなどの国際展にフィリピンの参加を導いたことでも知られている。
こうしたエリート階級のパトロネスとして光が当てられてきたカラウ=レデスマだが、1948年から2000年までの長きにわたり、新聞や雑誌の記事を切り抜き、スクラップブックに収めていたことはあまり知られていない。高温多湿な気候と政治不安などから多くの資料が失われてきたフィリピンにおいて、カラウ=レデスマが残した83巻にのぼるスクラップブックは戦後フィリピンの文化芸術に関する出来事や論考を保存する貴重な資料として研究者に利用されている。だが、カラオ=レデスマのスクラップブックそのもの、また52年間にわたるアーカイブづくりの取り組み自体が美術史の文脈で評価され始めたのはつい最近のことなのだ
。2015年にスクラップブックは全巻デジタル化され、カラウ=レデスマ・センターで閲覧可能だ
。カラウ=レデスマの三女でありセンターの初代所長を務めたアダ・レデスマ=マビランガン(Ada Ledesma Mabilangan) はセンターのミッションについてこう語っている。「プリータ・カラオ=レデスマは生涯を通して、フィリピン文化のなかで見落とされたもの、過小評価またはまったく評価されていない分野に光を当ててきた。こうした取り組みを私たちの方法で私たちが生きる時代のために継続していくことが本センターの目指すところだ 」 カラウ=レデスマのスクラップブックには、近代美術の巨匠に関する記事、AAPの催しのレビューやコンぺ展への公募情報、経理書類、アーティストや彼らの家族から届いた手紙やドローイング、独裁者フェルディナンド・マルコスの妻イメルダからの感謝状と反体制派美術展のチラシが同じスクラップページに収められていたりと、カラウ=レデスマの当時のアート界における立場が映し出されている。それと同時に、美術教育や児童絵画を取り上げた新聞記事、子どもの健康や貧困問題に関する特集、育児や家事関連の記事や広告、親戚のこどもからのクリスマスカードなどが混在していて、母親としての関心ごとや日常生活の様子を垣間見ることができる。カラウ=レデスマにとって美術と家庭生活、表舞台とメンテナンスの仕事は切れ目なく複雑にもつれ合っていたことを彼女の分厚いスクラップが物語っている。その様子は優しく穏やかな文体で執筆された著作『The Struggle for Philippine Art』や『And Life Goes On: Memoirs of Purita Kalaw-Ledesma』からも読み取ることができる 。女性アーティストたちが自ら残した記録──カシブーランのアーカイブとアテネオ女性文書館
カシブーラン(Kababaihan sa Sining at Bagong Sibol na Kamalayan[芸術における女性と新たな意識]、略称Kasibulan) は、マルコス独裁政権崩壊後の混乱と希望の時代に、イメルダ・カヒーペ=エンダヤ(Imelda Cajipe-Endaya)、ジュリー・ルッチ(Julie Lluch)、アナ・フェー(Anna Fer)、イダ・ブガヨン(Ida Bugayong)とブレンダ・ファハルド(Brenda Fajardo)によって創設された女性のためのアートグループだ。女性アーティストは家庭で育児や高齢者のケアワークを担いながら、時間と家計が許す範囲で制作に取り組んでいる。こうして社会から切り離され孤独な状況に置かれた女性アーティストそれぞれが抱えている問題について話しあい、アイデアや意見を交換し、材料や道具や設備を共有する相互サポートの場をつくることを目的に設立された 。当初は個人的な声がけで集まった小さな会だったが、その後、法人化され会員数を拡大、世代交代を重ねながら今日まで活動は続いている。
カシブーランの一部のメンバーが所有していた資料や作品がアテネオ女性文書館(ALiWW:The Ateneo Library of Women’s Writing)に寄託公開されている。展覧会の招待状、団体のパンフレットや会員登録フォームといった印刷物から、手書きのメモで埋め尽くされた推敲中の原稿、ミーティングの議事録、スポンサーへの依頼状、誕生日カードや写真、感謝の気持ちが綴られた書簡や運営方針に対する不満や抗議の手紙など多様な資料が保管されている。資料目録をたよりに閲覧希望資料を請求すると、資料庫から紙封筒に入った原本資料が貸し出されるのだが、紙資料には破れや染みがついていたり、経年による変色が見られる。原本を手で扱うことの責任と私的な記憶に触れる緊張感。個人の記録を通して歴史に接する親密な体験でもある。
カシブーランは女性アーティストのグループ展を開催してきたことで知られているが、ALiWWに保管された初期の頃の資料からは協働のプロセスが活動の主軸にあったことが読み取れる。例えば1992年のフィリピン文化センターでの展覧会に向けたコンセプト文
では、女性の日常生活にまつわるさまざまなトピックスについて、女性が共に考え表現するための場を自分たちの手でオーガナイズすることの必要性が示唆されている。展覧会に向けた作品の共同制作、月例ミーティングや勉強会、ワークショップやフィールドワークのオーガナイズのほかにも、国内各地で活動している女性アーティストの調査とデータベース化にむけたリサーチなど年間を通して共同作業に取り組んでいた。自分たちの組織を自分たちの手でつくることは、女性のビジョンを社会に向けて可視化するために必要不可欠なプロセスだった。ALiWWは「フィリピン人女性が書いた文書をみつけるのがどうしてこうも難しいのか」という課題に取り組むために、文学研究者のエドナ・マンラパズ(Edna Manlapaz)とソリダッド・レイエス(Soledad Reyes) によって1994年に創設された女性関連資料を専門とする文書館だ。フィリピン人女性の体験を記録した出版物、音声資料やデジタル資料、未出版の原稿や書簡、日記、写真など、3万点に及ぶ資料が収集・保存・公開されている。現所長のクリスティン・ミシェル・サントス(Kristine Michelle Santos) はこう話している。「多くの女性が自身の手元にある資料にはアーカイブされるような価値がないと考えている。フィリピンの家父長制社会で女性が見下されてきたため、自身の資料が文書館で公開されることに抵抗を感じるのだ。しかし、十分な対話を重ねることが寄託する決意に結びつく
」自身の記録や記憶がリサーチャーにとって有益なものだという自己認識を促すことがALiWWの果たしている重要な役割のひとつである。女性のインディペンデント・プレス──ガンタラ・プレス
本稿であげる最後の事例としてガンタラ・プレス(Gantala Press )の活動を紹介したい。ガンタラ・プレスはインディペンデントの出版レーベルであるが、女性の物語を収集・保存し、公開するという活動はほかの女性によるアーカイブづくりの試みと多くの共通点をもっている。「出版は物事を社会に知らせること」と創設メンバーのひとりフェイ・クラ(Faye Cura)は述べている 。クラはマニラにある企業博物館の図書室に勤務していた経験から、2015年にガンタラ・プレスを立ち上げた。そこでは経済・政治的権力をもつ支配者の視点からフィリピンの歴史が語られている。ガンタラ・プレスはこうした博物館の展示から排除されてきた人たち、つまり権力構造によって声を奪われてきた人たち ──特に女性たち── が自身の体験を主体的に語る場づくりに取り組んでいる。
「クリエイティブライターとしての技量ではなく、実体験によって得た知識をその人にしかできない方法で語ってもらうよう執筆を依頼しているDanas(経験)』は、プロ・アマ問わず、フィリピン各地またアメリカで暮らすフィリピン人女性から寄稿されたテクストを収録したマルチジャンルの作品集で、レズビアン・ロマンスや、先住民族のこどもたちを襲う性的虐待、フィリピンでバイレイシャルとして生きること、女性間の友情や政治犯として収容されることなど、これまで公の場で議論されることのなかった主題を取り上げている。
」ガンタラ・プレスにとって正統な芸術の教育を受けたかどうかは問題ではない。例えば2017年 に出版された『また本書の出版を通して繋がりのできた、フィリピン南部ミンダナオ島マラウィの戦火LAOANEN』 (2017)をオーガナイズした。この活動のなかから、ミンダナオ島の文化、マラウィの戦闘や戒厳令下の状況を現地の女性の視点から描いた同題名のエッセイ集や、家族直伝のマラナオ料理のレシピを通して幼少時代のマラウィを回顧する『MANGA TUTUL A PALPA』(2017)を出版。その関連イベントとして、女性団体Me & My Veg MouthとGood Food Communityによって、マラナオ料理を食べながら、マラナオ族の文化やコミュニティ、対立の歴史について学ぶフォーラム「Food for Peace」が開催された。この事例に象徴されるように、ガンタラ・プレスにとって「出版」は常にワークショップ、チャリティー・イベントの開催や街頭デモへの参加など、女性たちが自分たちの居場所をオーガナイズする活動と連動している。「こうした活動に実際に参加するたびに、伝えなければならないこと、広く世に知らせるべきことがたくさんあることに気づかされる。プロテストすることが、私たちの出版活動の原動力になっている」とクラは語っている 。出版物の売り上げの大半が社会・経済的に抑圧された女性、農民やこどもに寄付される。出版を通したエンパワメントの取り組みである。
で難民となった女性たちと連帯するために、彼女たちが置かれた状況を伝える勉強会やドキュメンタリー映画の上映など情報の拡散と義援金を募る取り組み『プリータ・カラウ=レデスマ・センター、アテネオ女性文書館、ガンタラ・プレス──彼女たちの取り組みによって、収集・保存・公開されている資料や物語を読んでいると、「才能ある」アーティストの「優れた作品」を評価の軸としない表現の世界が浮かび上がってくる。才能の有る無しを誰が判断してきたのか、価値のある作品とそうでないものを誰が分別してきたのか。これまで見落とされてきた女性の体験や知識や表現を収集し保存することは、時間を超えて女性がお互いの存在を確認しあい「正しい」とされてきた歴史を問い直し、声を発していくための共同作業である。女性の手によるアーカイブの取り組みは次世代につながる持続可能な社会を創造するためのコミュニティ・オーガナイズなのだ。
プリータ・カラウ=レデスマ・センター(The Purita Kalaw-Ledesma Center)
8th Floor - KL Tower, 117 Gamboa St. Legaspi Village, Makati City, Metro Manila
*入館には要事前予約
アテネオ女性文書館(ALiWW:The Ateneo Library of Women’s Writing)
1st Level SpecialCollections Building, Rizal Library, Ateneo de Manila University Loyola Heights campus, Katipunan Avenue, Loyola Heights, 1108 Quezon City
*入館には要事前予約
ガンタラ・プレス(Gantala Press)
不定期にポップアップストアを開いている。書籍はオンライン・ストアからも購入可能。https://shopee.ph/gantala_press