フォーカス
絵本『ちいさいおうち』の結末は、ハッピーエンドか?──ゲニウス・ロキから考える、モダニズム建築保存の困難
本橋仁(建築史家、金沢21世紀美術館レジストラー)
2023年06月15日号
東京都武蔵野市所有のアントニン・レーモンド設計による旧赤星鉄馬邸は、昨年、国の登録有形文化財(建造物)に登録され、有効な利活用の方法が専門家や一般市民によって模索されている。先月一般公開したところ、7日間で5,000人近くがつめかけたという
。また、昨年は吉阪隆正が設計し、解体の危機にあったヴィラ・クゥクゥを俳優の鈴木京香氏が購入したことが話題になった 。近年、原美術館が取り壊され、香川県立体育館も解体の危機に晒されているなど、長年にわたってひろく親しまれていたモダニズム建築が惜しまれながらも姿を消していく現実が、関心の裾野をひろげているのだろう。そこでは、建築史家や建築ファン、地元住民の保存への思いと保存維持・耐震工事等に対する莫大な費用の捻出や相続・管理の問題などを抱えた所有者側の実情がせめぎ合っている。本稿では、とくにモダニズム建築のもつ特質ゆえの悩ましさについて、日本近代建築史が専門の本橋仁氏(金沢21世紀美術館)にご寄稿いただいた。(artscape編集部)私が所属する金沢21世紀美術館の敷地には、21世紀から1世紀すっ飛ばした19世紀の建築が隣接している。「松涛庵」。この建築は、加賀藩12代藩主の前田斉泰が、江戸の根岸に構えた邸宅として建設。その後16代目の前田利為が鎌倉に移築。さらにそれを1979年に金沢の民間の敷地内に移築。でもって、これを後に金沢市が取得。最後にもういっちょ、金沢21世紀美術館の建設に伴い、同じ敷地内に移築。と、まぁこれだけの変遷を経て、21世紀と19世紀とマリアージュというわけ。この松涛庵の軽やかさは、きっと金沢21世紀美術館の透明感にも負けない。
コレクションとしての建築
そんな風に、近現代建築もヒョイっと持ち上げちゃって、スーッと別のところに持っていけたら楽なのになぁ。最近の建築の保存の「されなさ」を憂う身としては、そうボヤきたくなる。ただ、松涛庵は珍しい事例ではない。とくに近代以後の日本では、数寄者の間で、ある意味では建築は「コレクション」として扱われた歴史もある。
たとえば有名な事例としては、国宝の茶室「如庵」だろう。1618年に京都建仁寺の塔頭正伝院に織田有楽斎により普請された。そして近代になり三井家に引き取られ東京の麻布、神奈川の大磯と移築され、名古屋鉄道に引き取られ、現在の愛知犬山へと移築され現在に至る
。またほかにも、大コレクターとして知られる益田鈍翁(1848-1938)も、明治時代に「田舎家」として敷地内に名古屋の古民家を、小田原にある彼の別邸「掃雲台」まで移築し、それを茶会で使っていたという 。また三渓園も原富太郎の収集したある意味では建築コレクションと言えるだろう。そう、近代日本では、わりと木造建築はダイナミックに移築されて、使い回されながら保管されてきた訳だ。また戦後の高度経済成長期になると、全国の都市開発の憂き目に合う建築の破壊に対して、これを地域史料として残すという目的での保存が図られた。それ自体が地域の郷土資料館として活用されるものもあれば、日本民家集落博物館(1956年設置)、川崎市立日本民家園(1967年開園)や、四国村(1976年開村)と野外博物館もある。こうした郷土資料館や野外博物館として残される近世・近代の民家や明治期の近代建築は、建築の構法がもつ地域的特性や、建物自体が有するナラティブを史料として残すという意味で、郷土資料を入れる器としてふさわしいと考えられ、建築と史料との一体的な現地保存のための施設として残されてきた。こうした動きは70年代頃より本格化し全国で実施されていった
。モダニズム(近代主義)建築の難しさ
こうした「移築」の事例を引き合いに出すと、果たして近世・近代の建築の移築や郷土資料館的保存を、昨今課題ともなっているモダニズム建築(近代主義建築)にも展開できるか? といったら、そうは簡単な話ではない。
保存における問題は、さまざまな要因に起因する。容易に想像がつくように、そもそも重い。木造建築にくらべて、モダニズム建築のなかでも鉄筋コンクリート造の建築は、解体し、再構築することのハードルは上がる。当然、木造建築が移築しやすいのは、その部材が解体可能であり、ときに一時保管可能でもあることによる。部材だけ長く保管し、然るべきときに、再建するという事例も多々ある。江戸東京たてもの園にあるデ・ラランデ邸(1999年解体・2013年復元)や、京都工芸繊維大学にある和楽庵(武田五一設計、1916年竣工・2013年解体・2020年復元)などはそうした代表的事例だろう。そうした移築における木材の冗長性が、移築という時間的・経済的に直面せざるを得ない数々の問題に対しても柔軟に機能し、保存の可能性を広げるという特性となっているだろう。他方、モダニズム建築の保存には、そうした実際上の問題とは別の、理念的な困難さもある。それが「場所性」の問題だ。
ゲニウス・ロキとモダニズム建築
いわゆるモダニズム建築は、正直いって一般的(なにを「一般」と呼ぶかは難しいが、ここでは建築を専門としていない、あるいはコアな建築ファンではないくらいの意味として用いよう)には、地域の歴史とのダイレクトなリンクを結びづらい。モダニズム建築は、いわゆるヴァナキュラー建築のように、直截にその土地のマテリアルのみを使いデザインするのでもない。また形態においても、地域の伝統的建築の形そのままを、デザインとして使うでもない。モダニズム建築は、ローカルな歴史的コンテクストと、進歩主義的な現代的技術との間で、弁証法的解決として個々に解が与えられてきた。ゆえに、「この建築は地域のコンテクストを汲んでいるのだ」と言われても、そのハイコンテクストな文脈理解を必要とするモダニズム建築は、どうしても地域で異質な存在に見えてしまうきらいもある。
ここにモダニズム建築と一般的な理解との断絶も認められよう。それはいささか不幸な状況といえる。建築家自身も、地域のコンテクストを踏まえた設計は、モダニズムの歩んだ歴史の批判として成立した態度であるからだ。特に、黎明期の近代主義であり、建築の普遍的形を目指そうとしたインターナショナル・スタイルなどへの批判とその反動である。近代主義とローカリティとの調停は、常に問い続けられてきた。たとえば、ケネス・フランプトンは1983年に「批判的地域主義に向けて」と述べ
、ポストモダンの方向性を示そうと試みた。また同じ頃、場所のもつ豊かさについて、再び目を向けようとするゲニウス・ロキ(地霊)を尊重する態度が現われはじめる。日本で、ゲニウス・ロキをあつかった嚆矢である、鈴木博之『東京の地霊』(文藝春秋、1990)では、次のように建築と場所の問題について触れる。
日本の都市の物語は、建物のうえに刻まれるというよりは、土地のうえに刻まれるのではないかと思われてこないだろうか。私がここに書きついでいる「
(『東京の地霊』、176頁)
1964年に採択されたヴェニス憲章での現地保存の原則もあり、建築の保存運動においても、このことは常に強調される。日本建築学会からの保存要望書をみれば、必ずといってよいほど、歴史や景観といった場所性が保存のストラテジーとして盛り込まれる。つまりそうして、土地と切り離すことができずモダニズム建築の保存問題は、不動産バブルとの対決を強いられることが運命づけられている。そして時に保存運動は、建築保存から派生し開発それ自体への批判を含意する。
言い換えれば、繰り返される場所への強い結びつきと、建築のおける現地保存の論理は、こうしたモダニズムの辿った経緯からみれば必然の帰結である。そして、このことは同時に、度々所有者との軋轢を生む要因ともなる。(念のため繰り返すが、もちろん市民運動そのものを批判している訳ではなく、不幸な相容れなさを述べているのである)そして、解体か保存かの議論は、この軋轢ゆえにたとえば取り壊しが事前の告知なく突然行なわれたり(原美術館[旧原邦造邸]、2021年解体)、後味の悪い結末を迎えることもある。
保存と解体のオルタナティブはあるか
ただ、ここで述べたいのは、保存への冷笑的な態度ではない。解体にしろ、保存にしろオルタナティブな方法は無いのか? という素朴な疑問である。現地保存ができれば、それに越したことはないのか? 法や制度を変えることも有用だろうか? 移築はそのひとつの方法であろうが、先に確認したように、モダニズム建築の移築、とくにコンクリート造の場合には単純に移築のハードルは高い。
ただ、解体を悲劇と捉えるまえに、別の物語を紡ぐことも可能ではないか。そう思わせてくれたのは、中銀カプセルタワービルの解体に際する取り組みである。これは、銀座の一等地に住まう最小限の生活空間のための建築であった。中銀カプセルタワービルは解体されることとなったが、カプセルはリサイクルされ、銀座という場所を離れて、あらたな場所に放流されるという経過をたどりつつある。
丁度、この記事を書いているとき、サンフランシスコ近代美術館がカプセルの一つを収蔵することになった!というニュースが飛び込んできた
。いよいよカプセルが日本を飛び出すことになった。メタボリズムの思想を、うまくトレースしたようでもあり、実現したカプセルの保存というストーリーを進めた多くの関係者には頭が下がる思いである。そして同時に、これも建築の保存の一事例として評価することが、現地保存一辺倒と、それゆえの悲劇からいかに文化としての建築を積み上げていくかを考えるうえで重要な問題であったと思える。
むすび
そこで、試金石はやはりバージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』(岩波書店、1965)をハッピーエンドと見るか、バッドエンドと読むか、いかに各人が感じるかではないだろうか。『ちいさなおうち』は、次のようなあらすじである。開発の進むまちなかにおいて、どんどんと周辺の変化から取り残される古くて小さなおうち。その顛末は(ごめん、言っちゃうよ)、このおうちが曳家され、きれいな景色のある場所に移され余生を送る。めでたしめでたし。というものである。ポストモダン以後の、地域主義を標榜するモダニズム建築を思えば、それでいいのかなぁと言いたくなる気もしてしまう。でも、素直にヨカッタと思う気持ちも尊い。
場所のコンテクストから切り離して、いま如何に建築は保存可能なのだろうか? 19世紀の松涛庵と21世紀美術館。いま、問題とされているのはこの狭間にある、20世紀の建築群である。保存と解体の悲劇で、建築が地縛霊とならないために、都度都度、保存の議論は柔軟に考えていきたいものです。