フォーカス
去勢された20世紀的身体への訣別──「森村泰昌展・なにものかへのレクイエム──戦場の頂上の芸術」レビュー
土屋誠一(美術批評/沖縄県立芸術大学講師)
2010年04月15日号
対象美術館
2006年から開始されたシリーズ「なにものかへのレクイエム」の完結である。この個展は、ポストモダンの時代における、シミュラークルの戯れという脱社会的立場を棄て、成熟した歴史主義者として社会的コミットメントへと向かう、といったような、森村の思想的転換を宣言するものであるのだろうか。そのような読解は、完全に誤りであるとは言えないにせよ、森村および彼の作品の特質をかなりの程度見落とすことになるだろう。ここで起こっている事態は、それほど単純ではない。
ポストヒストリーの世紀/表象の機能不全
森村によって「レクイエム」が差し向けられる対象は、20世紀の歴史を雄弁に物語りはしない。例えば、展覧会に先立って刊行された『美術手帖』の森村特集号などでも述べられていたが、森村は、「ロシア革命」「ファシズム」「アメリカ」という3つのキーワードを、20世紀なるものの象徴として語っている。当たり前のことだが、そこには、20世紀を語るために扱われてしかるべき、あまりにも多くの歴史的トピックが抜け落ちている。けれども、そのこと自体は批判すべきポイントではない。それどころか、むしろその欠落こそが、20世紀の特質を物語っているのではないか。
このことは、20世紀それ自体、ポストヒストリーの世紀であるという認識を指し示していると見ることができるだろう。いわば、歴史を語ることの不可能性こそが、20世紀の「歴史」であるということだ。そこでは同時に、表象作用の機能不全、とでも言うべき事態が引き起こされる。誤解を恐れずに言えば、先の3つのキーワードのいずれにせよ、それらのイデオロギーは、すべて敗北のプロセスを歩む。ファシズムは言わずもがなであるが、共産主義もまた、ソ連の崩壊とともにその意義を失効する。「アメリカ」もまた、単一の国民国家の枠組みによって世界を表象=代表するわけではない。むしろそこで覇権を握るのは、一国の枠組みに包摂され得ないグローバリゼーション、あるいはネグリ=ハート的〈帝国〉といったような、非実体的な政治・経済活動である。だから、《なにものかへのレクイエム(人間は悲しいくらいにむなしい 1920.5.5-2007.3.2)》(2007)において、釜ヶ崎に据えられた演台上で、レーニンに扮した森村が、ほとんど誰に語るともなく述べるように、「むなしい」のだ。中心を欠き拡散する世界において、単一のイデオロギーは世界を変革する動因にはなり得ないし、そこでは表象=代表することは断念させられる。そして、それこそが「20世紀」と呼ばれる時代であったのではないか。
このことは、社会的トピックのみならず、芸術の20世紀においても同様であるとみなされているのだろう。ピカソ、藤田、デュシャン、エイゼンシュテイン、ダリ、ポロック、ボイス、クライン、ウォーホル、手塚といった、美術を中心とした芸術家たちのポートレートは何を明らかにするのか。ここでは、ゴッホやレンブラントの作品を範としたころから森村が一貫して行なってきた、芸術家たちによって生産された「作品」に扮するのではなく、「芸術家の肖像」それ自体にその扮する対象が移行している。これもまた、表象の機能不全を表わすものかもしれない。ここでは、彼ら近代から現代にいたる巨匠たちが生産したマスターピースが問題にされているのではなく、芸術家彼ら自身のセルフ・ポートレートのイメージのほうが、作品そのものよりも先行する。つまり、作品よりも「作家像」のほうが先立っているのだ。この、作品に比した作家像の優位という価値の転倒が意味するものは、「作品」概念の価値の下落、より正確に言えば、作品の価値の決定が、写真やマスメディアによって流布される(しばしば常人よりも奇特であるとみなされる)芸術家の固有名およびその有名性によって規定されるといった事態である。
ベタ・メッセージ/メタ・メッセージ──20世紀に対する21世紀からの訣別
このことを顕著に表わすのが、森村が《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》(2006)において主題の中核に据えた、三島由紀夫であろう。三島もまた、彼の作品よりも、彼自身の「作家像」のほうが良く知られている芸術家である。三島における「作家像」の先行の極点は、自衛隊市ヶ谷駐屯地における「パフォーマンス」にあたる。このヴィデオ作品において三島に扮した森村は、現代美術の現状を憂うアジテーションを繰り広げるわけであるが、そこで語られるメッセージは両義的である。そのメッセージを「ベタ」に受け取れば、現代美術の現状に対するナイーヴな応答、あるいは単なるオヤジの説教に聞こえかねないだろう。しかし、三島の「パフォーマンス」が死を賭した「ネタ」であったとするならば、三島を通じた森村のメッセージは、それ自体、「ベタ・メッセージ」ではない、メタ・メッセージになる。ならば、森村のメッセージは、額面通りには受け取ることができないだろう。
この三島に基づく作品に限らず、森村は「レクイエム」のシリーズにおいて、ベタに取られかねないメッセージを臆面もなく発している。例えば、ヒトラー(より正確に言えば、チャップリンの『独裁者』のヒンケルとチャーリー)に扮した《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え/スキゾフレニック)》(2007)における、「私は独裁者になりたくありません」という語り。あるいは、この展覧会の中核をなす、硫黄島の星条旗を基にした《海の幸・戦場の頂上の旗》(2010)で発せられる、「あなたなら、どんな形の、どんな色の、どんな模様の旗を掲げますか」という問いかけ。これらは、ベタであるどころか、ともすれば、そのあまりの教育臭ぶりによって、単に「イタい」メッセージとして受け取れらるかもしれない。もちろん、チャーリーのモノローグに並置されるヒンケルのナンセンスな演説、またあるいは、草月会館のマリリン・モンローと硫黄島の遭遇、などによって、そのベタ・メッセージは中和されてはいる。とはいえ、なぜそのようなメッセージが発せられなければならないのか。この直截的なメッセージもまた、態度決定を無限に先送りする、ポストモダニストの韜晦のために導入された、ひとつのネタに過ぎないのだろうか。
ここで想起しておくべきは、《なにものかへのレクイエム(創造の劇場/動くウォーホル)》(2010)であろう。アンディ・ウォーホルはかなりの点で、森村自身との類縁性を持つ芸術家である。レディ・メイドのイメージを元にして作品を制作することは勿論だが、美術史的作品からの引用、セルフ・イメージに尋常ならざる拘りをみせること、また、男性というセクシュアリティを持ちつつもジェンダーの領域確定が曖昧であること。この作品で、森村が素材として選択したウォーホルのふたつのポートレートの一方が、女装したウォーホルのそれであることは偶然ではない。その選択は、森村自身のこれまでの作品に見られるジェンダーの転倒という点に、ほぼぴったりと一致する(その点は、三島における性的コンプレックスとも共通する)。かつて森村は自らを「美術史の娘」と呼んだはずだが、その意味では森村は、ウォーホルの義妹とでも言えるかもしれない。そのような点から他の作品をみると、例えば《なにものかへのレクイエム(赤い夢/マオ)》(2007)の引用元は、天安門広場に掲げられる毛沢東のそれではなく、ウォーホルによって制作された(それもまた引用によるものではあるが)マオの肖像画を参照しているかのようにさえ見える。
ウォーホルもまた、その作品と、セルフ・イメージの表出において、表象することの不可能性、あるいは「むなしさ」という点に、自覚的な人物ではなかったか。そのような断念、歴史を表象することの不可能性は同時に、ある思想信条に基づく社会的コミットメントの無為を露呈させる。そこではメッセージは、ベタ・メッセージとして額面通りには機能せず、表象=代表の恒常的な失敗、いわば去勢されたものとしてのみある。そして、そのことこそが、この展覧会で完結されたシリーズにおけるメタ・メッセージである、「20世紀」という歴史なき時代の本質なのではないか。
ところで森村は、彼の展覧会や著作において、非人称的な複数性たる「M」というイニシャルをしばしば使用していた。この人称代名詞としての「M」とは、まさにポストモダン的な主体の認識を、良く示すものであったように思う。しかし、森村がここで主題とする「20世紀」によって、交換可能かつ非限定的な「M」という主体を離れ、いわば20世紀的な身体とでも呼ぶべき具体性を獲得しているように思われる。20世紀的身体は、なにものも表象=代表することなく、あらかじめ去勢された存在としてある。ならば、森村が「レクイエム」を贈る「なにものか」とは、そのような去勢された20世紀的身体の謂にほかならない。世紀を更新してちょうど十年目に差し掛かったいま提出される「レクイエム」は、20世紀に対する21世紀からの訣別の辞でもあるだろう。しかし、21世紀は見出されたであろうか?