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影、あるいはシルエットへの固執──不可知の世界の手触りを確認する(「石元泰博 写真展」レビュー)

飯沢耕太郎(写真評論)

2010年10月15日号

 だが逆にこのシリーズにこそ、石元の作品がもともと孕んでいる自発性、能動性、官能性などがもっともよくあらわれているのではないかと感じた。色や形そのものに潜んでいた魂を揺さぶるパワーが、まさに「やってみなければわからない」というスリリングな状況に身を置くことで、最大限に引き出されてきているのだ。
 以下、展示は「シカゴ、シカゴ」「日本」「花」「刻 moment」「桂離宮」「伊勢神宮」「ポートレート」「東京」「シブヤ、シブヤ」と続く。展示の流れも、作品の選択も、彼の代表的なシリーズを過不足なくフォローしていて、とてもうまく構成されている。1940〜60年代の初期のスナップショットの傑作「シカゴ、シカゴ」と、渋谷の若者たちのTシャツやバッグをクローズアップで捉えた2002〜2006年の近作「シブヤ、シブヤ」が、こうして見るとタイトルにおいても対になっているように見えるのが興味深い。

2──石元泰博「子供」1948-52
高知県立美術館所蔵

3──石元泰博「落ち葉」1986
高知県立美術館所蔵

 もう一つ、面白いと思ったのは、普通、美術館での写真展では一部屋ごとに一つのパートの作品が展示されていることが多いのだが、今回は壁を辿っていくと連続した流れで写真を見ることができるようになっていたことだ。部屋ごとに写真が並んでいると、作品の流れが中断し、飛び飛びに目に入ってくることになってしまう。壁を伝うようにして作品を見ていくのは、写真集のページをめくっていくようで、視覚的、生理的に無理がない。たとえば、「桂離宮」と「伊勢神宮」の二つのパートが隣り合っている場合、その異質性と重なり具合をすんなりと理解することができるのだ。

4──石元泰博「桂」1954
高知県立美術館所蔵

 さらに、展示の全体を見終わって強く印象づけられたことがある。それは石元が影、あるいはシルエットに対して、やや異様なほどに固執し続けていることだ。「多重露光」のシリーズはシルエットそのものが主題だし、「シカゴ、シカゴ」にも通行人と壁に映る影を同時に捉えた6枚組のシークエンス(連続写真)がある。他にも影やシルエット、あるいは切り抜かれた「ヒトガタ」が画面の中に取り入れられている写真はかなり多い。それらは、単なる視覚的効果を狙ったものとはいえないのではないだろうか。むしろ、実体と影との関係が逆転し、影の方がより重要な意味を担っている場合もある。
 影やシルエットや「ヒトガタ」は、石元にとってどこかオブセッション的なテーマなのではないか。彼の写真はおおむね明晰で曇りのない意識によって撮影、プリントされているように見えるのだが、実はそこかしこに謎めいた表象の罠が仕掛けられているのだ。それはいうまでもなく、現実世界そのものが論理的に割り切れるようなものではなく、一歩間違うと黒々とした奈落がぽっかりと口を開いている場所であるからだろう。石元はその不可知の世界の手触りを、写真を通じてくり返し確かめているようにも思えてくる。

石元泰博 写真展

会期:2010年10月 9日(土)〜11月 7日(日)
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー

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