2021年10月15日号
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モダニズムと前衛の消長(国立新美術館「シュルレアリスム展」レビュー)

暮沢剛巳(美術評論、東京工科大学デザイン学部准教授)

2011年02月15日号

 1920年代のパリに始まり、約40年間続いた20世紀最大の芸術運動「シュルレアリスム」の全貌を、48人の作家による約170点の絵画、写真、彫刻などでたどる「シュルレアリスム展」……過去に何度も開催されたポピュラーな展覧会だが、今回は、従来とは異なる新たなシュルレアリスム像を提示できているのだろうか。

 毎年のように展覧会が開催され、書店や図書館の美術書コーナーには画集や研究書が常備されているなど、日本におけるシュルレアリスムの人気は高い。普段あまり美術に接する機会のない人たちであっても、サルヴァドール・ダリ、マックス・エルンスト、ルネ・マグリットといった代表作家の夢幻的な作品には見覚えがあるだろう。発祥から100年にも満たない歴史の短さを思えば、そのポピュラリティには素直に驚かざるを得ない。半面、人気が高く何度も展覧会が開催されているということは、その分イメージが強く固定されているということでもあり、変わり映えのしない型どおりの紹介には満足できない人も少なくないだろう。その点で本展の成否は、いかにして核となる部分を踏まえつつ、従来とは異なる新たなシュルレアリスム像を提示できるかにかかっていると言っていい。

 本展は時代順に5つのパートによって構成されているので、順を追って見ていこう。
 第1部の「ダダからシュルレアリスムへ 1919-1924」はシュルレアリスムの前段階へと焦点を当てており、ジョルジョ・デ・キリコとダダをシュルレアリスムの先駆者として位置付けているのはさしあたり従来の定説通りである。とはいえ、特にダダに関しては、現存作品が少なく、ヨーロッパでも本格的な回顧展の開催が困難なだけに、シュルレアリスムへの移行のプロセスが具体的に視覚化された展示は大いに説得力に富む。この貴重な展示は、一重にポンピドゥセンターのコレクションが為せる業である(日本の美術雑誌まで含まれているその充実ぶりには恐れ入るしかない)。


サン=ジュリアン=ル=ポーヴル教会のダダ・グループ
撮影者不詳
Le groupe Dada à Saint-Julien le Pauvre
Anonyme

 第2部の「ある宣言からもうひとつの宣言へ 1924-1929」は、シュルレアリスムの出発点とされるブルトンの『第一宣言』が発表されて間もない時期の展開へとスポットを当てているが、ここで主役の地位を与えられているのがアンドレ・マッソンだ。前述の代表作家たちとは明らかに作風が異なるマッソンが厚遇されているのは、彼がフロッタージュ(物質や路面に押し当てた紙を擦って不規則なかたちを写し取る技法)にいち早く着手し、多くの作品を残していることに起因する。ここでは、作家としての知名度よりも、詩人であったブルトンの提唱した「自動記述」が美術の表現へと応用されたプロセスが重視されているのだ。同様の視線が、知名度こそ高いながらも、やはり従来のシュルレアリスム解釈では傍系とみなされてきたジョアン・ミロに対しても適応されている。


1942年のピエール・マティス画廊におけるアンドレ・ブルトンとほかのシュルレアリストたち(マッタ、セゼール、タンギー、デュシャン)
写真=ジョージ・プラット・ラインズ撮影
Breton chez Pierre Matisse en 1942 avec d'autres surréalistes (Matta, Césaire, Tanguy, Duchamp)
photo: George Platt Lynes(1907-1955)

 第3部の「不穏な時代 1929-1939」は、タイトルとは裏腹にシュルレアリスムにとっては盛期と位置付けられる時代であり、全体を通じても一番のヴォリュームゾーンとなっているが、ここの展示を構成する6つのパートのうち、私は特に、闘牛や磔などの殺伐とした場面が描かれた絵画や武器を彷彿とさせるオブジェが多くを占める「供儀」に強く関心をひかれた。当時のフランスの時代背景を視野に入れたとき、「供犠」という概念の考察に当たって否応なしに思い起こされるのがジョルジュ・バタイユのことである。シュルレアリスムのメンバーとして名を連ねたことは一度もなかったバタイユだが、同時代のパリにあって彼らの活動には絶えず関心を払っていて、特にブルトンとは知的な緊張関係にあった。ときに意見が共通し、またときに対立する両者の関係は複雑だが(この点に関しては、バタイユ研究者の酒井健が著した『シュルレアリスム』が大いに参考になる)、ごく大ざっぱに要約すれば、バタイユが絵画に対して既成の権力を危機に陥れる「妥協のない唯物論」を求めていたのに対し、ブルトンの方は「明瞭さ、厳密さ、静かな瞑想にふけらせてくれる何ものか」を追求していたとでも言えようか。物質を加工するように人間や動物の命が奪われる「殺戮」と、それが生贄として神前にささげられることによって獲得される「聖性」とが表裏一体となっている「供犠」の情景は、関心を異にする両者の求めるものがかろうじて重なり合うインターフェイスであったのかもしれない。
 第4部「亡命中のシュルレアリスム 1939-1946」は、ナチの迫害を逃れてブルトンらがアメリカにのがれた第2次世界大戦中の、また第5部「最後のきらめき 1946-1966」は、彼らがヨーロッパへと戻った戦後約20年間の展開についての展示である。シュルレアリスムは亡命や第2次世界大戦によって終焉したという意見は今でも根強いが、しかし本展ではシュルレアリスムがブルトンの死まで継続したとの立場から、従来の展覧会や専門書ではあまり紹介されてこなかったこの時代の展開にも光を当てている。アンフォルメルやタシスムなど、他の展覧会では戦後美術の枠にくくられることが多い作品がシュルレアリスムとして紹介されていることには違和感を覚えなくもなかったが、そこに至るまでの展示をしっかりと見ておけば、戦前からの問題意識の一貫性・連続性は確実に伝わってくる。

 ここまでに言及した内容は全体のほんの一部にすぎないが、それでも展覧会の成否を判断するには十分すぎるだろう。第1次世界大戦後の美術を対象としたポンピドゥセンターにとってシュルレアリスム作品の収集・展示はミッションと言ってもいいのだろうが、本展は日本では初公開となるそのポンピドゥセンターのコレクションを母胎として、最新の研究成果が多々盛り込まれた展覧会となっている。内容が清新で充実しているのは至極当然の話なのだ。
 もはやこれ以上の説明は不要だろうが、最後に蛇足として、会場を徘徊する私の脳裏に、絶えずモダニズムと前衛というふたつの言葉が浮かび続けていたことを告白しておきたい。今や硬直した権威や旧套とほとんど同義語となってしまった観のあるモダニズムも、かつてはまぎれもなく時代のフロンティアに立つ先駆的、戦闘的な概念だったのだし、それは半ば死語と化してしまった前衛も同様である。約40年とかつてなく長いスパンでシュルレアリスムの興亡をたどった本展の展示を通じて、私は同時にモダニズムと前衛の消長をも目の当たりにしたかのような感慨に襲われたのだった。

シュルレアリスム展──パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による

会場:国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2/Tel. 03-5777-8600(ハローダイヤル)
会期:2011年2月9日(水)〜5月9日(月)
*毎週火曜日休館(ただし5月3日は開館)

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