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Art Scape
1999年8月 ヨーロッパ篇---熊倉敬聡
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8月2日 パリ
ポンピドー・センターを迂回して、マレ地区で考えたこと

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 早朝、パリに着く。世話になる友人宅に荷物を置いたあと、これといった目的も決めず、ぶらぶらと歩くことにする。 
 この旅行記が頭の片隅にあるのか、何となく足がポンピドー・センターの方に向かってしまう。でも、久しぶりにパリにやってきて、やにわに現代美術では味気がなさすぎるので、ポンピドー・センターを迂回し、これまた何となくマレ地区に向かう。
 パリに来たことのある人ならご存じだろうが、マレ地区はポンピドー・センターのすぐ東、17〜18世紀の貴族の館とともに石畳の小路が入り組んでいるパリでも最も古い地区の一つだ。ピカソ美術館、カルナヴァレ美術館など大小新旧のミュージアム、ギャラリーも点在している。でも、そういったものにも行かず、ただひたすら漫ろ歩くことにする。
 久しぶりのパリ。学生時代に6年半も住んでいたこの都市は、私にとってほとんど「自然」な存在であった。しかし、その「自然」と今、かすかな距離を感じる。現在ニューヨークに住んでいるため、それとの違いをついここかしこに見出してしまう。まず、街に人がいない。勿論、今、フランス人にとってはヴァカンスのシーズンなので至極当たり前なのだが、夏になっても相変わらず人の多いニューヨークからやって来ると、まるで平日なのに休日のようだ。実際、フランスは「休んでいる」。フランスのみならず、ヨーロッパの多くの国は、この季節「休んでいる」のである。つまり、資本主義的な生産労働から離れているのである(その分、レジャーという消費産業の渦中にあると言えないこともないが)。
 また、「カフェ」が多いのにも改めて驚く。ニューヨークには(ダウンタウンの一部を除き)いわゆるカフェの類はほとんどない。これもまた、ニューヨーカーが休まない、常にbusyであること(business!)による。彼らは例えばスターバックスでコーヒーを買って、歩きながら飲む(あの、プラスチックの蓋の穴からチューチュー吸う飲み方ほど──ビールのラッパ飲み同様──コーヒーのまずい飲み方があるだろうか。まあ、コーヒーもビールもそうしなくては飲めないほどまずいということもあるが)。座ってゆったりと時間の流れを感じながら飲むことなど、非資本主義的だからだ。パリは「休んでいる」。
 またパリには「裏通り」というものがあることに改めて驚く。ニューヨークには「裏通り」がない。「表通り」しかないのだ。だから街を歩いていても、思いがけない「発見」が少なく、つまらない。それにマンハッタンは(これまたダウンタウンの一部を除き)曲がった通りがない。つまり、都市の構造として「影」を持っていないのだ。パリにも勿論直線的な大通りは存在する。19世紀後半ナポレオン三世の治世下でオスマン男爵がパリの大改造=近代化を行ったためだ。パリは従って、少なくとも、都市が歴史的に二重になっている。前近代までの曲がりくねった小路で編まれた層と、オスマンによってそこに暴力的に持ち込まれた近代的な直線の幾何学の層だ。ローマならば、その下にもう一つの層、古代ローマ時代からの層がくぐもっていて(パリにもかすかながらあるが)、その都市の地層化がフロイトに「無意識」という概念のインスピレーションを与えたことはあまりにも有名だ。「裏通り」のない、都市に「影」を持たないニューヨーカーたちの無意識はいったいどこにあるのだろうか。

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8月3日 パリ
ロベール・ドローネ展

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ドローネ展パンフレット
ドローネ展パンフレット

 ポンピドー・センターに行く。大改装中、というか大工事中だ。昔、センター前の広場を賑わせていた大道芸人たちの姿も見えない。わずかに、南に位置する展示スペース(昔メッツァニーヌと呼ばれていたところ)が開いていて、そこでロベール・ドローネ展をやっている。1906年から14年にかけて、つまり彼が新印象主義から純粋な色面の抽象へと至るとされる、彼のキャリアの中でも最も造形的緊張に満ちた時期をクローズアップした展覧会だ。
 この時期、彼の中では、全く異質な二つの造形言語──あらゆる意味でのコンストラクション(建築=構築)を分析的キュビズムの手法により解体しようとする力学と、色彩そのものが絵画の表面で奏でる官能そのものを追求しようとする欲望──とが、幸福な綜合を見出せぬまま、あるいは見出せぬがゆえに、異様なアンバランスの強度を醸し出している。彼の代表作の一つ、『エッフェル塔』の連作などはまさにその造形的アンバランスの引き裂きで燃え立っているようだ。以前、MoMAで行われたロドチェンコ展とボナール展を対照し、コンストラクションのタナトスとエロスの賛歌という両極端な文明のヴェクトルに引き裂かれた今世紀初頭のヨーロッパを指摘したことがあるが(ロドチェンコからボナールへ、そしてそこに「ヨーロッパ」があった 1998年8月7日号)、ドローネもまたこの渦中で格闘していたことが改めてよくわかった。

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