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1. 断末魔に喘ぐキューバ
キューバ。それはあまりに「ここ」から遠かった。地理的にという意味ではなく、世界的な経済・情報・文化の構造から見て、それは、「ここ」、すなわちインターネット、資本主義的豊かさ、消費的文化のスペクタクルといったものから遥かに遠い世界であった。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、サルサなどへの昨今のファッショナブルな熱狂。あるいは、チェ・ゲバラ、ヘミングウェイなどの名がある世代に喚起するロマンティシズム。そんなものは、ここ、キューバの現実とはほとんど無縁である。崩れかけた建物に水や電気もままならぬ状態で暮らす人々の荒んだ表情、廃車寸前のような60年代アメリカ車や旧ソビエト製のLADAが撒き散らす猛烈な排気ガス、馬や自転車も悠然と走る高速道路でオートストップ――キューバで最も一般的な移動手段――をする無数の人々、大学教授の月給(20ドル)よりも一日で多くを稼ぐ観光タクシーの運転手等々、それは文字通り危機的な社会であった。
社会主義という理想=幻想の世界的崩壊。観光を通して大量に流入し始めたアメリカドルの暴力。そのまさに狭間で、キューバ社会は今、断末魔に喘いでいる。おそらく無意識に首領の最期を待ちわびながら。
そんな中での、ビエンナーレ? しかも七回目? 私は会期終了間際の会場を観て廻った。
2.「カウンター・ビエンナーレ」としてのハバナ・ビエンナーレ
今回のビエンナーレは、2000年11月17日から2001年1月5日にかけて、160名強の作家を、主にラテン・アメリカ、アフリカ、アジア――日本からはただ一人岩井成昭が参加――から招き、ハバナ市内約40ヶ所の会場で展開された。関連企画として、キューバ建築展、バスキア展、現代陶芸展や、各種パフォーミング・アーツの公演、ワークショップなどが多数開催された。それは誠に一大文化イヴェントであった。
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▲総合ディレクター
Nelson Herrera Ysla
ネルソン・エレラ・イスラ
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▲Galeria Dupp(キューバ)
「1、2、3、……ただいまマイクのテスト中……」(2000、メイン会場の一つモロ要塞城壁上に錆びた鉄のマイクロフォンが並ぶ) |
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▲ Willem Boshoff(南アフリカ)
「砂に書く」(2000、床の上の砂にステンシルで書かれたテクスト) |
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その膨大な作品の一つ一つをここで論じるのは不可能なため、むしろ全体のコンセプト、運営の特徴・問題点などを、総合ディレクター、ネルソン・エレラ・イスラに行ったインタビューや彼のカタログ・テキストを参考に考えてみたい。
このようなビエンナーレをハバナで開催する背景には、まず、豊かな欧米と貧しいそれ以外の国々との間に横たわる経済・情報・文化的格差がある。資本主義、IT、メディア産業による経済・情報・文化のグローバリゼーションがますます覇権を広げることにより、その網から漏れ出る国々、地域の生活は、打ち捨てられたゴミのように世界的な無関心の中に忘却される。
現代アートの世界もまた然りである、とディレクターは断じる。世界中にビエンナーレやそれに類する大規模な展覧会が咲き乱れ、美術マーケットを潤し続ける。どこに行っても同じようなキュレーターが同じような作家を使い回し、あるいはその予備軍を市場の思惑により発明する。それは誠に「美術館業界の専制」(ボニト・オリヴァ)とでも言うべき由々しき事態だ。作家たちは、その専制君主たちに取り入り、「売り物」にしてもらうか、さもなくば永遠にマージナルなままに甘んじるしかない。我々の使命は、だから、そのマージナル化され、ゴミのように打ち捨てられながらも未だに豊かな文化的差異、リアルで人間味に溢れたコミュニケーションを、芸術表現を通して、再活性化し、前景化することに他ならない。――と、彼は説くのである。
したがって、ハバナ・ビエンナーレは(少なくともコンセプトにおいて)「ビエンナーレ」という名を冠しながら、いわば「カウンター・ビエンナーレ」とでも言うべき存在なのである。
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左上=Grupo Grafito(コロンビア)
「都市」(1998、メデジン市の街路をキャンヴァスに拓本)
右= Esterio Segura(キューバ)
「水の中を行く何かから聞こえる声」(2000、インスタレーションの一部)
左中= Sila Chanto Quesada(プエルトリコ)「壁」(1999−2000、薄布に木版の人型シルエット、全長80m)
左下= Albert Chong(ジャマイカ生、アメリカ合衆国在住)「羽の生えた記憶」(1999、翼が電動式のインスタレーション) |
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3.ハバナ・ビエンナーレの抱える問題点
が、そのような大志を抱きながらも、ハバナ・ビエンナーレにいくつかのコンセプト上運営上の問題点があることもまた否めない。
まず、ディレクターの少なくとも今回の立論は、ほぼ北vs南、富vs貧、マジョリティvsマイノリティ、ヴァーチャルvsリアル、グローバルvsローカル、悪vs善、といったありがちな二項対立に縛られており、確かにマイノリティの自己主張、前景化という面においては一定の効力を持つだろうが、経済・情報のグローバリゼーションや「美術館業界の専制」というもう一つの「現実」に対しいかに対処ないし対話していくかといった、単なる反コロニアリズムを越えた建設的戦略が――すでに七回目を迎えながら――具体的に見えてこない。
次に、予算が非常に限られているため――それはキューバの経済的困窮から言って全く仕方のないことだが――ごく一部の作家を除き、渡航費から制作費、滞在費、作品保険料まですべて作家持ちであるがゆえに、作家たちはチープな素材を使わざるをえなかったり、会期終了時に作品撤去のためもう一度渡航するのを避ける関係上、オープニング数週間にして半分以上の作品が作家の帰国とともに消え失せるという事態が生じたりする。また仮に、エレクトロニックな機材を使うとしても、そのメインテナンスの技術や部品がないために、会期終了頃にはほとんどが機能していなかったりもする(これほど、デジタル機器が少ない現代美術展があるだろうか)。
そして、社会主義国であるからか、やはり政府からの検閲があり、宗教、暴力、セックスなど――「現代美術」に欠かせないテーマ――に関する深い激しい表現に関しては、選考において自粛せざるをえない、ということだ。
こんな様々な困難を抱えながらも、ディレクターはすでに次回のビエンナーレの準備に取りかかり始めていると、力強く語った。次回はいっそうハバナ市民の参加を促すようなインターラクティヴなビエンナーレにしたいということだった。
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