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アートピクニック ON THE WEB 3 廣瀬智央

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ミラノに住んでいて良かったところ/難しいところ

良かったところは、日本と違った時空間を過ごせる。イタリアのなかでは都会。孤独になることができる。あくまでも外国人ということを意識させられること。難しいところは、生活するうえでの習慣の違いなど。

――イタリアに住んだことで作品が変わりましたか? Yesならどんなふうに。

Yes。変わったと思います。多分イタリアだから変わったというわけでもないのかもしれませんが、たまたま、日本を離れたことで作品を制作するモチヴェーションについて初めから問い直せたことでしょうか。

――ルチアーノ・ファブロに学んだそうですが、それはイタリアの美大で? 何を学びましたか?

ブレラでルチアーノの教室に在籍していました。学生からの評判は必ずしもよくなくて、結構避けている人が多かったようです。というのもちょっとといじわるで、簡単に褒めないし、厳しくて、何も親切に教えてくれないという、いわゆる感じが悪い人の条件をすべて兼ね備えたような人だったのが理由だそうです。僕がいたころは、実技中心の授業というよりかディスカッション中心で、作品を制作していくうえでのきっかけや作家や歴史家、哲学者を取り上げてそれについて考えを述べあうというようなわりと抽象的なことばかりで、18、19才の若い学生には物足りなさがあったのではないでしょうか。僕は逆に何も期待していなかったし、自分のやりたいことがあったので非常にいやすい教室でした。ルチアーノからは、作家として生き残っていくための「意志」とか、彼の作品から「世界の捉え方」みたいなものを学んだ気がします。

――そのときの「やりたいこと」って何だったのでしょう?

どのような作品を作っていくのか自分の進むべき方向性がみえてきていました。

――廣瀬さんにとって「もの派とアルテ・ポーヴェラ」はどう違いますか? またはどう共通ですか?

簡単にいえば、「似ているようで違う、違うようで似ている」という言葉に要約できると思います。60年代末から70年代初めにかけて、日本とイタリアという地理的な隔たりがあるにもかかわらず、柔軟な思考や新しい世界の創造、アートの可能性を求めていたという共通の時代精神があり、それぞれの文化的背景や歴史的、思想的、地理的な状況を具現化、あるいは反映したものとしてもの派とアルテ・ポーヴェラがあったということだと思います。例えばクネリスと菅木志雄とのあいだにヴィジュアル的にまったく似た作品がありますが、その作品の成り立ちや背景は違うし、最近ではマウリツィオ・カテランというイタリアの人気作家がいますが、彼などもアルテ・ポーヴェラの流れから分析可能で、最近の作品ではヴィジュアル的に関根伸夫と似たような作品がありましたが、その作品ができた年やプロセスがまったく違います。そこには、一見似ていることが実は微妙に違うとか、実は違うと思われたものが地下水脈でつながっているとか、複雑な世界がからみ合っているというおもしろさがあります。
また「もの派とアルテ・ポーヴェラ」のあいだをみてみると、見えてくる面白さがあると思います。実はあまり語られていないのですが、ミラノ在住で独自のスタイルを築きヨーロッパで評価の高い長沢英俊という作家がいます。彼は、もの派とアルテ・ポーヴェラの作家の両方ともよく知っていて、彼を媒介することによってもの派とアルテ・ポーヴェラの一部の作家は少なからず影響しあっていたと思います。特にファブロやペノーネなどの作品を分析していくと、長沢英俊や日本から東洋的な精神性や空間などについての影響を受けて自分の作品として消化していったし(以前ファブロにそのことを指摘したら少しムッとしていましたが)、長沢英俊もイタリアの精神性を深く学び自分の作品として消化し、もの派の一部の作家にも影響を与えています。それは非常に両義的なことで、二つのあいだを絶えず揺れ動くダイナミックな空間としてみると興味を引かれます。
もうひとつ「もの派とアルテ・ポーヴェラ」のそれぞれの作家たちのその後の展開をみてみると面白いかと思います。アルテ・ポーヴェラの作家たちの多くが、アルテ・ポーヴェラを超えて今も現役として独自に活躍しています。もの派の作家たちは一部の作家を除きみんな元気がないですよね。そこではアートが育まれる社会的システムや国の文化的な支え、批評やギャラリーの在り方が浮かび上がってきます。例えば、イタリアの美術大学や大学の美術史、そしてアート界では、アルテ・ポーヴェラをはじめ若い作家など現代の美術も美術史のなかで徹底的に批評され、そのアートの価値とか意味を見出していきます。このような流れが延々と昔から受け継がれていて、批評や研究資料が膨大な量となり歴史がつくられていくのです。こうした過程から作品や作家が評価され、アートのマーケットもつくられていき、すでにお年寄りのアルテ・ポーヴェラの作家たちもお金持ちになり、今なお現役で多数活躍しているという状況になります。現代のアートが文化的な確固たるものとして、そして政治、経済を動かすものとしてその国の重要な位置を占めていると言えるのだと思います。


――廣瀬さん自身は、「もの派やアルテ・ポーヴェラ」の影響は受けたのでしょうか?

80年代の終わりに南條さんがディレクターを務めていたICA名古屋というスペースがありました。当時としては珍しく、作家をわざわざ日本に滞在させてオリジナル作品をつくらせるという、なんともお金がかかるビッッグな企画をしていたのです。展示空間と作家のセレクションは素晴らしく、驚きの連続でした。当時、村上隆氏、中村政人氏と3人で毎回わざわざ東京から見にいっていたほどでした。その時、たて続けにアルテ・ポーヴェラの作家が3人ほど紹介されて、本物の作品を体感したのがいまでも強く印象に残っています。とにかく、なぜこんな作品ができるのか興味が湧きました。もの派やアルテ・ポーヴェラの作家について学んだので、むしろ自然に自分と彼らとの差異を考えます。今の時代精神がおのずと反映されていると思います。


――廣瀬さんの作品には五感を刺激するものが多いのですが、それはどうしてでしょうか? 人間の感性を信じてる? 感性を解放することで見えてくるものとは何でしょうか?

人間の感性の豊かさは信じます。直観。あらゆる感覚が表現手段になりえる可能性があると思います。例えば、過去に旅先で食べた料理の味や香りの記憶がその時の鮮明な記憶として強力に蘇ったりするという経験がよくあると思います。ダイレクトに人間の感覚に迫ってくる言葉では言い表わせない領域やイメージしにくいことについてどう伝えるのか? アートの可能性を見出すことができるのではないか? 感覚的なものとコンセプチュアルなものが同時に存在するものだと思っています。でも、もっと快楽主義になってもいいのかもしれない。


 
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