――海外でのプロジェクトでは、難しいことや困難にぶつかることもあると思うけど、具体的にはどんなことがありましたか? また、どのように対処してきましたか?
NYの時に、展覧会の直前にお金をだまし捕られる事件に巻き込まれた時が一番しんどかった……。事件に遭った時よりも、その後からのほうがショックと恐怖感がすごい襲ってきたんです。制作が佳境に突入して、作品を創らなければならないのだけれど、体も心もくたくたで、ちっとも動いてくれなかった。作品を創ろうとすると、ぐっとなにか黒いものが心の中に込み上げてきて、自分では、必死に制作してるつもりなんですが遅々として進まない……。ついに高熱を出してしまい、もっと作品が進まない状態に……。あれは、ものすごいピンチでした。
結局、皆が搬入してる横で、ちくちく縫ってましたよ(笑)。ホテルに帰っても、ひたすらちくちく。私の作品が、一番最後に搬入を終えました。しかもタイムリミット、本当にギリギリで。
――でも楽しいこともありましたよね。それはどんなこと?
やっぱり、いろんなひとやものに出逢えること。そして、その土地を作品にできた時の、なんとも言えない充実感を味わえる瞬間。
――さやかちゃん、馴れ馴れしいのが私の悪いところでもあり、いいところでもあるので、こう呼んでもいいかな?
どうぞ。どうぞ。海外で知り合ったひと(日本人)の、たいがいが「さやか」と呼びます。なんだか面白い。
――そう。初めて会ったのは、ストックホルムの「J-way」のときだったものね。
基本的に歩くことを作品に取り入れているんだけど、きっかけはあったのでしょうか?
毎日の記録って、日記や、写真、ドローイングなどそれぞれ違うかたちでみんなが残していくように思うけど、地図にマーキングとかステッチするのは、どうしてかな?
私の作品は、日常生活のなかでの時間の足跡(そくせき)を追求するものです。おもに、あるきながらその行動範囲を糸で地図に縫い込んでゆく、という制作を続けています。
私はもともと油絵を描いていました。地図を意識した抽象的な絵画表現に始まり、自分の住む町を俯瞰的に描くこと、そしてこの実際に歩き回りつつ、その動きを記録するという行為に発展していきました。初めは地図に、行動範囲をマーキングをしていましたが、縫い取るという行為を見つけ、縫うというリズムと、自分の歩行のリズムが、とても似ているように感じ、以来、この方法を続けています。また、それと並行して「人間万歩計」という制作も行なっています。これは、歩行のリズムそのものに興味を持ち、追求していったものです。自分の体に紙と鉛筆を取り付けて、移動中の体の振動のみでドローイングを行なうという、ある種、オートマチックっぽい作業です。
私は「あるく」という事を通して、感じたものや、無意識で積み重ねられてゆく行為、そういうものを作品にしています。これは、いわば、時間を切り取り平面に落とし込んでゆく、「生活日記」のようなものです。しかしそれは、特別な意味をもつ日でも、時間でもありません。毎日くり返される日常生活のなかでのありきたりな時間の流れを、私は切り取るのです。この一見標本の様な作品のなかで、時間は、フリーズされています。そしてこのフリーズされた時に、ありきたりな時間は、意味をもちだすのだと思っています。だから、あるいた時間、場所、私との関わりは、過去ではなく、現在形としてつづいています。私は、その時にあった出来事を短い文章にした日記のようなレーベルを作品につけますが、現在形にしているのはその為です。
――寄り集めてきたものを、刺繍やステッチで縫い合わせたりしてるけど、子供の頃から手芸とかお裁縫とか好きなの? 普段は、手芸したり編物したりとか、洋服つくったりとかもするのかな?
それが、ゼンゼンなのです。私、ほんっとーーーーーーーーに不器用なんです。真剣に悩んだりしますよ。あんまりにできないから。
私は、このような制作スタイルをとりながら、実は裁縫が苦手です! 作品上にはいつもごつごつとした、ぶさいくな線が刻まれてゆきます。しかし、そのお陰(?)で、普通の「縫う」という感覚とは異なって、この行為と向き合えるんではないかと思います。絵の具を扱う気持ちに似てるかな? そして私はよく道に迷うんです。あるくことをテーマにしていながら極度の方向音痴なのです。でも、だからこそ糸で縫いとりながら、自己の足跡をしるしてゆく、ということにリアリティを感じれるんだと思います。
私の作品の縫い目には、いろいろな変化があります。あるく、という行動ひとつのなかにも、心の起伏が入り込んでいると思うからです。例えば、普通に気分よくあるいている時は、運針でなめらかな動きをもって表わします。しかし、道に迷ったり、お腹がすいていたり、なにかトラブルがあったり、そんな時には、私は、ステッチを乱れさせます(ひきつれさせる)。また、バスや電車という乗り物による移動にも、縫い目に変化をつけさせます。それは「他力」による移動であるし、その動きや時間の差を表現する事がリアリティを生むと思うからです。私は、縫い目に、動きや時間というものを吹き込みたいと思っています。
そして、私が糸の色を選ぶ時は、絵の具を選ぶ感覚と似ています。糸には、私の気持ちが表われています。糸の色のもつ意味は、あかるい色は、ハッピーな色です。おいしいものを食べた時、よいものを観た時、大好きなものに出会った時……等々、楽しかったり、感動した時には、糸の色は、明るくなります。
反対に、寂しい時、不安な時には、暗い色を選びます。夜道をあるく時、道に迷った、しんどい時、など、糸の色は沈みます。糸の色には、こころを吹き込みたいと思っています。
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↑↑← 《相模大野をあるく》(部分) 2000年1月/ユニパフィルムにコピー、ステッチ/84×120
cm
↑↑→ 制作中。(《あるく――私の基本生活形(相模大野)》1999 )
↑← 「あるく――相模大野下宿探しプロジェクト」1999
コピーにステッチ、ドローイング/32×44 cm
↑→ フィリップモリスアートアワード 受賞者展 会場風景(フジテレビギャラリー、東京 、2001)
↓↓← 「あるく――自分の部屋の中での1週間の行動」より 《6月18日 一日中、大掃除をする。》(部分)2000
シルクスクリーン、インク、ステッチ、布、紙、皮/16×25 cm
↓↓→ 《あるく ― 私の生活基本形(NY) 2001年1月10日〜2月10日 ―》
ユニパフィルムにコピー、ステッチ/80×300 cm |
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