さて、ヴェネツィア・ビエンナーレでは、ハラルド・ゼ−マン(スイス)の総合ディレクションでこれまでのビエンナーレと異なるアプローチでメインパビリオンとアルセナーレの展示が行なわれた。新しい試みは賛否両論を伴うのが常だが、「アぺルト・オーバーオール」と題された企画で88人におよぶ作家が参加したことで中身の濃いものだったことは確かだ。特に20世紀最後のビエンナーレとして注目を集めた今回は、中国人や韓国人作家の参加が多数いたことが、これまでのヨーロッパのビエンナーレと違って異彩を放っていた。
90年代の日本では、‘アジアの時代’と唱って、多数のアジア展や近隣諸国からの作家の招聘を行なってきたが、そこに自国の作家が登場しなかったように、今回のビエンナーレでも日本人作家は登場しなかった。日本はアジアか、という問題を西洋からも問われたかたちになった言えるかも知れない。
中国をメインにした東洋の嵐が吹き荒れた今回のヴェネツィア・ビエンナーレは、今後のヨーロッパ国際展に大きな影響を及ぼすことになるだろう。それは、これまでのオリエンタリズムと違った、単純な異文化への興味から“国際性”とは何かといった西洋中心に対する国際展の見直しが根底から考え直され始めたといえるのではないか。その点を踏まえても日本からの参加者が真剣に取りあげられなければならないはずだが。
長々とヴェニスの話をしてしまったが、先日に発表された「横浜トリエンナーレ」の行方を考える上でも、今回のヴェネツィア・ビエンナーレは重要な機会だったといえる。かねてより本格的な国際展の開催が望まれていた日本でようやく定期的な国際展が行なわれることになった。
2001年という新世紀を祝う縁起の良い時期が選ばれたのも日本らしいと思うのだが。横浜が開催地になったということで、海外からの観客が期待できる。先輩のヴェネツィア・ビエンナーレは100年間におよぶ歴史を誇る。ヴェニスの魅力は、その歴史と文化が豊かな街並みと海に囲まれた貴重な美しい景観だ。ビエンナーレは楽しいが、ヴェニスという街そのものが魅力的だから人々が集まるというのも十分考えられる。その意味では、横浜も引けを取らない。横浜が単に首都に隣接した個性のない近郊都市ではなく、歴史と文化を持った豊かな近代都市であることは非常に魅力的な立地条件と言えるだろう。市政として21世紀への展望を早くから提案してきた横浜が文化をその目玉にしようとしているのだから、とても頼もしいことではないか。もちろん、バブル時代に計画が始まったわけだから、経済的にはかなり苦境に立たされていると想像できる。それでも大掛かりな文化イヴェントを、現実化するためにはそれなりの覚悟が必要だろう。
さて、国際交流基金と横浜市が主体となって進めている「横浜トリエンナーレ」の中身の方だが、まだまだこれからだということは分かってきた。現在、組織のフレームワーク作りが進められているが、ようやく主体となるア−ティスティック・ディレクターが発表になった。企画を司る主体的役割の人物が4人というのは、ちょっと多いように思うが、これまで主催者に顔がないかたちで組織代表が登場することがほとんだったことを考えると一歩前進といえるかもしれない。その4人とは、河本信治(京都国立近代美術館)、建畠晢(多摩美術大学教授)、中村信夫(CCA北九州ディレクター)、南條史生(インディペンデント・ディレクター)で、日本でほぼ同世代で活躍しているキュレ−タ−たちである。さらにインターナショナル・アドバイザリ−・コミッティーとして、多彩な顔ぶれの世界の美術関係者が名前を列ねているのもそれらしい。どのような主旨でどのような顔ぶれのトリエンナーレになるのか気になるところだろう。リーダーシップが常に問われる日本組織が行なう超大型イヴェントをどのようにまとめていくのか注目される。 という訳で2001年は、横浜トリエンナーレとヴェネツィア・ビエンナーレと英国での日本年(この件は別途詳しく触れる機会をもちたいと思うが)などで忙しくなりそうだ。特に総合ディレクターとして今世紀末と新世紀を務めるゼ−マンの次回のヴェニスは見逃せないといえるだろう。日本でのトリエンナーレも国際的な注目集める本格的な国際展を期待したい。今後も続報によってトリエンナーレの行方を見つめていこうと思う。
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