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関東エリア展覧会/イベント情報 嘉藤笑子
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   Releasing Senses−感覚の解放展 / パーマネント・ルーム 三田村光土里個展
   ヴァネッサ・ビークロフト新作展 / パサージュ:フランスの新しい美術
   アラン・シールズ展:刷りと形の冒険
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   体感する美術'99
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   2001年横浜トリエンナーレ開幕 / 東京オペラシティアートギャラリー開館
 

 実は6月は、ヴェネツィア・ビエンナーレを含むヨーロッパツアーを敢行してきたこともあって、今回はさまざまなヨーロッパの新しいアート状況について言及してみたいところだが、別枠で特集が組まれているようなのでここでは残念ながら、いつもどおりの関東情報をお伝えしよう。しかし、なにげにチョコチョコと私なりに報告を差し挟んでいきたいと思っている。
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2001年横浜トリエンナーレ開幕

2001年横浜トリエンナーレ開幕
 さて、ヴェネツィア・ビエンナーレでは、ハラルド・ゼ−マン(スイス)の総合ディレクションでこれまでのビエンナーレと異なるアプローチでメインパビリオンとアルセナーレの展示が行なわれた。新しい試みは賛否両論を伴うのが常だが、「アぺルト・オーバーオール」と題された企画で88人におよぶ作家が参加したことで中身の濃いものだったことは確かだ。特に20世紀最後のビエンナーレとして注目を集めた今回は、中国人や韓国人作家の参加が多数いたことが、これまでのヨーロッパのビエンナーレと違って異彩を放っていた。

 90年代の日本では、‘アジアの時代’と唱って、多数のアジア展や近隣諸国からの作家の招聘を行なってきたが、そこに自国の作家が登場しなかったように、今回のビエンナーレでも日本人作家は登場しなかった。日本はアジアか、という問題を西洋からも問われたかたちになった言えるかも知れない。

 中国をメインにした東洋の嵐が吹き荒れた今回のヴェネツィア・ビエンナーレは、今後のヨーロッパ国際展に大きな影響を及ぼすことになるだろう。それは、これまでのオリエンタリズムと違った、単純な異文化への興味から“国際性”とは何かといった西洋中心に対する国際展の見直しが根底から考え直され始めたといえるのではないか。その点を踏まえても日本からの参加者が真剣に取りあげられなければならないはずだが。

 長々とヴェニスの話をしてしまったが、先日に発表された「横浜トリエンナーレ」の行方を考える上でも、今回のヴェネツィア・ビエンナーレは重要な機会だったといえる。かねてより本格的な国際展の開催が望まれていた日本でようやく定期的な国際展が行なわれることになった。

 2001年という新世紀を祝う縁起の良い時期が選ばれたのも日本らしいと思うのだが。横浜が開催地になったということで、海外からの観客が期待できる。先輩のヴェネツィア・ビエンナーレは100年間におよぶ歴史を誇る。ヴェニスの魅力は、その歴史と文化が豊かな街並みと海に囲まれた貴重な美しい景観だ。ビエンナーレは楽しいが、ヴェニスという街そのものが魅力的だから人々が集まるというのも十分考えられる。その意味では、横浜も引けを取らない。横浜が単に首都に隣接した個性のない近郊都市ではなく、歴史と文化を持った豊かな近代都市であることは非常に魅力的な立地条件と言えるだろう。市政として21世紀への展望を早くから提案してきた横浜が文化をその目玉にしようとしているのだから、とても頼もしいことではないか。もちろん、バブル時代に計画が始まったわけだから、経済的にはかなり苦境に立たされていると想像できる。それでも大掛かりな文化イヴェントを、現実化するためにはそれなりの覚悟が必要だろう。

 さて、国際交流基金と横浜市が主体となって進めている「横浜トリエンナーレ」の中身の方だが、まだまだこれからだということは分かってきた。現在、組織のフレームワーク作りが進められているが、ようやく主体となるア−ティスティック・ディレクターが発表になった。企画を司る主体的役割の人物が4人というのは、ちょっと多いように思うが、これまで主催者に顔がないかたちで組織代表が登場することがほとんだったことを考えると一歩前進といえるかもしれない。その4人とは、河本信治(京都国立近代美術館)、建畠晢(多摩美術大学教授)、中村信夫(CCA北九州ディレクター)、南條史生(インディペンデント・ディレクター)で、日本でほぼ同世代で活躍しているキュレ−タ−たちである。さらにインターナショナル・アドバイザリ−・コミッティーとして、多彩な顔ぶれの世界の美術関係者が名前を列ねているのもそれらしい。どのような主旨でどのような顔ぶれのトリエンナーレになるのか気になるところだろう。リーダーシップが常に問われる日本組織が行なう超大型イヴェントをどのようにまとめていくのか注目される。  という訳で2001年は、横浜トリエンナーレとヴェネツィア・ビエンナーレと英国での日本年(この件は別途詳しく触れる機会をもちたいと思うが)などで忙しくなりそうだ。特に総合ディレクターとして今世紀末と新世紀を務めるゼ−マンの次回のヴェニスは見逃せないといえるだろう。日本でのトリエンナーレも国際的な注目集める本格的な国際展を期待したい。今後も続報によってトリエンナーレの行方を見つめていこうと思う。

横浜トリエンナーレ事務局
〒107-6021港区赤坂1-12-32アーク森ビル21階
国際交流基金内
Tel:03-5562-3531 Fax: 03-5562-3528

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東京オペラシティアートギャラリー開館

東京オペラシティアートギャラリー開館
 さて、話しをもう少し近未来的なところに戻して、東京の新しいアートスポットの誕生について述べていこう。西新宿の高層ビル化が進んでしばらく経つが、その後期にあたる開発で、初台に建設された「東京オペラシティ」が今回紹介する場所である。
 東京オペラシティは、'96年にすでにオープンしているビジネスと文化の両面を持った新世代の総合ビルとして注目を集めている。ビル内にはNTTのICC(インターコミュニケーションセンター)が'97年に開館され、階下の東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアルが続けてオープンしている。このコンサートホールと今回紹介する東京オペラシティアートギャラリーは、運営母体が同じである。運営は東京オペラシティ文化財団で、このビルを開発した民間地権者(企業・個人による9団体)が中心になって行なっている。正確には、6企業がランニングコストまで面倒見ることになっているが、基本的に営利事業として独立採算を目指している。
 東京オペラシティのコンサートホールとギャラリーは芸術監督として武満徹氏が逝去するまで携わっていた。したがって、これらの文化施設のコンセプトの立案とコンサートホールのオープニング企画までは、武満氏が主軸となって行なっていた。こうしたことを背景に、今後もこのふたつの施設は連携や交流のある企画を考案していくとのことだ。
 さて、このアートギャラリーには、大きくふたつの側面がある。ひとつは共同地権者として唯一個人で参加している寺田小太郎氏の個人コレクションを公開するギャラリーである。実は、この開発プロジェクトが開始された当時は、寺田氏も文化施設の運営に関わるはずだったのが、運営資金を定期的に提供するのではなく、個人として違ったかたちでの参加方法を望むようになり、寺田氏所有の個人コレクションを公開するということにしたのである。コレクションの中心は、寺田氏が東京オペラシティの場所を見据えて、精力的に蒐集をしてきた難波田龍起・史男が核となる作品1,800点あまりである。寺田氏が好んで収集した作品は「東洋的抽象」または「ブラック・アンド・ホワイト」というテーマを掲げている。日本近・現代美術の抽象絵画を見る上で貴重なコレクションになりそうだ。
 もう一方は、コレクションの常設展ではなく、国際的な作家を中心とする現代美術の企画展のみを行なう展示スペースの運営である。こちらは、自主企画による国内外の作家を積極的に紹介する新しい現代アートスペースといえるだろう。欧米にあるオルタナティヴ・アートスペース、クンストハレといったホワイトキューブの空間をイメージして開設される。それにしても建物は立派である(バブル期に立案されたのだから当然ではあるが)。欧米型のオルタナティヴ・スペースは低予算をうまく活用して、廃屋や倉庫をリサイクルしたものがほとんどだ。最近は建築家によるモダーンデザインの建築が話題になってきているが、それにしても身分相応といえる運営方法を行なっている。新築好きの日本人にとっては、親しみやすい空間かもしれないが、高層ビルのなかの文化施設が多様な現代美術の作品展示にどこまで対応できるか疑問がない訳ではない。
 いずれにしても、バブル崩壊後の新美術館として開館するのだから、巨額な収蔵品を持たずに、また膨大な運営資金に頼らず、いわゆる節度と中身のある新しいタイプのアートスペースとしてうまく運営していってほしいものだ。このケースがサクセスストーリーとなれば、現在、経済的に瀕死の状態にある多くのバブル期美術館にとっても朗報になるはずである。

東京オペラシティアートギャラリー
エントランス

exhibition
1999年9月9日オープン
東京オペラシティアートギャラリー開館記念展
「Releasing Senses−感覚の解放展」

出品作家:アーニャ・ガラッチオ、クリスチャン・マ−クレー、
     村岡三郎、マルティン・ヴァルデ
会期:1999年9月9日〜11月21日
開廊:12pm〜8pm
入場料:一般1000円、学生800円 夜間割引き有り
問合せ先:東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティ3階
Tel:03-5353-0447 Fax: 03-5353-0776


 人間の五感を刺激する、または感受することによって鑑賞する作品を中心にした展覧会。インタラクティヴなアプローチによってオブジェに触れたり、匂いを嗅いだり、ものを聞いたりすることで、人間の感覚能力の鋭覚さを触発させる。今回は、テクノロジーを駆使するというよりシンプルな人間の行動から感じ取るものが中心。美術というものが視覚からのみではなく、全身を通じて感じることができるということを知る新しい出合いを提供するもの。

マルティン・ヴァルデ
クリスチャン・マークレー
マルティン・ヴァルデ
「Squash Virus」1998
感覚の解放展
クリスチャン・マークレー
「エコーとナルシス」1992
クリーブランド現代美術センターでの
インスタレーション 1995
難波田龍起
難波田龍起「線の展開」1991
写真:東京オペラシティアートギャラリー

exhibition
パーマネント・ルーム 三田村光土里個展

会場:現代美術製作所
会期:1999年5月22日〜6月27日 月・火曜休み
開廊:12pm〜7pm(ただし土・日は6pmまで)
入場無料
問合せ先:03-5630-3216


 現代美術製作所で行なわれた三田村光土里展は、彼女にとって日本で行なわれた初めての本格的個展となった。ここ最近は、ケルンやロンドンなどのグループショーなどに参加して国際的な活動を行なってきた。
 三田村は、家族の古いアルバムから写真を取り出し、オリジナルのビニールレザー製のソファやマットレスにそのイメージを定着するという手法を使っている。過去の写真のなかで登場する家族や自分の子供時代などのノスタルジックな姿が、デフォルメ(渦を巻いたり、歪ませたり)した状態で薄青いトーンで描き出される。
 写真のみならず、過去に使用していたベッドや照明機具など、自分のルーツと関わる素材がさまざまに展示してある。そこには、記憶という個人が抱くイメージからアイデンティティを模索する作家の姿が見てとれる。過去の写真や実際の家具類を用いることで、記憶というイリュージョンに少しでもリアリティを付着させる行為ともいえるだろう。自らの系譜のなかに普遍的なイメージをみつめ、単なる個人の思い出からパブリックに存在する共通の記号へと昇華しようという試みだ。
  「パーマネントルーム」と呼ばれた今回のインスタレーションは、三田村が創造する世界への入口だ。どこか過去に捧げる惜別の思いが色濃く映ったのは私だけだろうか。三田村は、古いアルバムに新たにレンズを向けることで、彼女が通り過ぎた実際の過去とは違うフィクションを創り上げようとしている。そこに残された記録に封印された時間を蘇生させることによって、新しいイリュージョンを生み出そうしていることが伺える。
 今回は、会場を熟知している作家によってうまく構成されたインスタレーションだった。だが、素材となった家族のアルバムや記録は限られた資源でもある。今後の作家のアプローチはどのようになるのであろうか。できれば、ノスタルジーとは決別した普遍的な記憶の中のイリュージョンを見てみたいと思うのだが。

次回展覧会

パルコキノシタ花個展・アドュレセンス黙示録
会期:1999年7月31日〜8月21日
入場無料

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ヴァネッサ・ビークロフト新作展

会場:galerie deux
   〒152-0022東京都目黒区柿ノ木坂2-10-17
会期:1999年5月15日〜8月7日
開廊:11am〜6pm
入場無料
問合せ先:03-3717-0020


ヴァネッサ・ビークロフト新作展
 最近では、ファッションがアートに大きく関与している作品が増えてきている。いまの現代美術が、社会との関係性を追求しているものが多いのだから衣服やファッションがそのモチーフとして用いられることは当然のことともいえるだろう。
 ヴァネッサ・ビークロフトは、そのなかにあって、ファッションを流行や体を被う衣服というものではなく、ファッションを作り上げるシステムに着目し、ショーをシミュレーションする行為によって身体や女性像といったものに言及している。
 ビークロフトは、3月にスパイラルでのアラーキーとのフォトセッションで来日しているため、ご存じの人もいると思うが、前回のヴェネツィア・ビエンナーレで新人賞を受賞したり、昨年のニューヨークのグッゲンハイムでの展覧会などで注目を集めている。日本での今回の展覧会では女性の身体や顔をモチーフにした新作のドローイングが中心だ。
 ビークロフトの作品の特徴は、なんといっても半裸の女性が、同じヘヤ−スタイルやメイクでファッション・ショーさながら歩行したりポーズを取ったりする様子を写真やヴィデオ、または実際のパフォーマンスなどで表現する作品が有名である。ファッションモデルが、商品である衣服をまとって、デザイナーの意図を伝えるニュートラルな存在であるように、彼女が演出するショーに登場してくる女性たちはみな無表情で、画一された動きを繰り返すだけである。
 女性の身体を苛酷に整えて身体の美を追求をしたのがモデルであって、今日のモデルの社会的認知からしても、ジェンダーとしての女性の身体:究極的なモデルのボディはアート作品ということにもなるだろう。以前、リサ・ライオンが自らの身体をウェートトレーニングで鍛え上げて、写真にとった作品をアートとして発表していたが、ギリシャ時代から均整の取れた身体は、美しい存在として讃えられてきた。
 ビークロフトは、鍛え上げられた体型やマッスル事体への執着心ではなく、そうした人間の身体に関する感心をファッションショーまがいのパフォーマンスによって露呈することに成功している。しかもファッションというメディアのなかで徹底的に無機化していく身体に、記号化された現代社会の女性のイコンを描いているといえるだろう。古代から女性の裸体が美の象徴であったように、現代社会のなかで、無個性でありながら均整な身体を持つモデルがヴィーナスなのだろうか。

ヴァネッサ・ビークロフト展 展示風景

展示風景
写真:ギャルリー・ドゥ

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