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4桁目が「1」である一千年の歳月が締めくくられる1999年。だが口先でそんなことを言うわりに、変化は少なかったのではないだろうか。もちろんそれはごく当然のことで、事件というのは起こすものではなくて、起きるものだからだ。その意味でこの年の音楽界における変化もせいぜい前年・前々年の流れのうちにあり、そのなだらかな変化のなかから「何か」は見出されねばならない。
一般的にもっとも大きな音楽的な話として盛り上がった名は、宇多田ヒカルだろう。ただし彼女についてはただアーティストという単体として云々できるわけではなく、むしろ「宇多田ヒカル」現象として取り扱われるべきだ。よそにも書いた(文藝別冊『宇多田ヒカル』[河出書房新社、1999])ので詳細は避けるが、そこにはブラック・コンテンポラリーの身体化、日本ポップスの記憶とその混在、日本の韻律に依拠しないフレージング、さらに、一家で音楽をやることによって生活と音楽が密接に結びつき、音楽の環境化がなされていること等々が浮かび上がってくる。そして、有線その他で流されることで、「どこかで耳にした」感触を徹底化するマーケティング戦略、独特な歌手だった藤圭子が母親である事実、帰国子女、安易なインタヴューからの遠ざけなどとからみ、広い範囲にわたるひとびとを惹きつけることに成功した。
同じJ-POPのなかでは、鈴木あみ、浜崎あゆみといった女性歌手、GLAYなどの「ヴィジュアル系」、ドラゴン・アッシュのような系統のアーティストもそれぞれのエリアで健闘しているが、宇多田ヒカルのような求心力は持っていない。90年代になってこうした分散化は加速されアーティストの数も膨れ上がったが、それは少し前に言われた「分衆化」という語では語りきれない、一種の無関心と連動しているようにみえる。そうしたなかで、SPEEDの解散が世間に広げる波紋は、やはりキャンディーズやピンクレディーのものとは大きく異なっているものであるはずだ。
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《LIFE――坂本龍一オペラ1999》
写真提供:朝日新聞社
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周到に仕掛けられたとはいえ、自然発生的に見えなくもない「宇多田ヒカル」現象に対して、実際「世紀末」の大イヴェントとして組織されたのが坂本龍一のオペラ《LIFE――坂本龍一オペラ1999》(9月4、5、9-12日)である。坂本が朝日新聞社の肝煎りで「オペラ」というジャンルに挑む、しかもフィル・グラスの《浜辺のアインシュタイン》やスティーヴ・ライヒの《ザ・ケイヴ》、その他「オペラ」の概念を組み替えるような試みを通過してきた文脈のなかで提起する「オペラ」。坂本はここで演戯的であるよりは映像的であること、演劇よりは身振りをこそ選択した。扱われるのは文字どおり20世紀という「戦争」の時代で、それに西洋的な音楽技法の変化を重ねる。そして後半では西洋音楽の近代における劇的な変化を表現する前半とコントラストをなすように、独自の唱法をもつ複数の歌手を中心に据え、地球的規模の「共生」を、テーマ的に、音楽的に示そうとする。この作品にあるのは、坂本龍一というアーティストの身体をフィルターを通してアウトプットされた20世紀音楽史の体験であり、坂本自身の「個性」というものが抑えられることで、逆に「ワールドミュージック=世界音楽」的な匿名性へと接続されているかのようだ。しかも、ここにはそうした匿名への志向が、客観に対して、ブレヒト的な「教育」として強くはたらくよう意図されているのだが、教育装置という枠組をはずして考えたとき、ではどこまで作品として有効であるのかはいささか疑問であるようにも思う。しかし、これを「オペラ」と呼ぶに価しないとか、やりつくされたことの反復だというふうに非難するのは、見当はずれではあるだろう。
もうひとつ俎上にあげられるのは、おなじ「オペラ」として括ることのできる細川俊夫の《リアの物語》(6月12、13、19日)だ。シェイクスピアの『リア王』をひとつの精神病院の物語にみたてた鈴木忠志の演出を根幹に据えたこの室内オペラは、ひじょうに緊張度の高い作品であり、細川が時間をかけてゆっくりと練りあげた意味が強く伝わってくる。「室内オペラ」であるため、東京文化会館の大ホールで行なわれるより、静岡のグランシップのほうが空間そのものの空気、音の密度という点からも望ましかったのだろうとは思うが、それはまた別の話。もちろん、如何にもあくのつよい鈴木の演出であり、細川の音楽であるから、これらのどちらかに好き嫌いや感覚的な拒否反応をおぼえることもありうるだろう。そのあたりが、ただ音が音として提示されるものと「オペラ」のような共同作業とは異なるところであるにちがいない。
オペラついでに言えば、多くの現代オペラがCD化されたことも特記しておいていい。シマノフスキ《ロジェ王》という珍しい作品から、リゲディ《グラン・マカブル》、メシアン《アッシジの聖フランチェスコ》、ブゾーニ《ファウスト博士》などなど。生誕100年を迎えたプーランクの《カルメル会修道女の対話》も2種類出たことはうれしい事実だ。
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キース・ジャレット
"The Melody at Night, with You" 1999
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テリー・ライリー
写真:(c) 青柳聡
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来日したアーティストについて言うと、キース・ジャレットが数年間の病気を克服し、2度の即興によるソロ・コンサートを行なったこと(9月27、29日)、テリー・ライリーが純正律ピアノを使ってぴったり1時間半の即興新作《DREAM》を演奏したことを挙げたい(12月4、5 日)。ほかに、『アジアの鼓動1999』というコンサートで、フィリピンの作曲家ホセ・マセダによる《色のない色》が日本初演されたが、聴衆が少なすぎたのは残念としか言いようがない。オーケストラの各楽器の音色を積み重ねるのではない、まったく新しい発想で組み合わせた80歳を越えた才能に、あらためて感嘆せずにはいられなかった。ちなみにコンサート終了後、日本の長老伊福部昭とマセダが握手をかわす場面を目撃し、その「うつくしい光景」と胸を熱くした。これが個人的には99年最大の音楽的に「幸福」な事件であったかもしれない。
2000年になったからといって、なにかがドラスティックに変化するわけではないだろう。しかし、音楽家自らが「2000年」であることに意識的で、新しい展開を自他ともに望んでいるということは事実としてあるのではないか。そしてそれがかたちとして現われてくるのは、もう少し先になってであるはずだ。 |
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