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鎌仲ひとみさん
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『エンデの遺言
「根源からお金を問う」』
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「地域通貨とアートの可能性」(2月19日、於:CAP HOUSE)と題したレクチャーの報告をしたいと思う。講演者は映像作家の鎌仲ひとみさん。彼女は、これまで数多くのドキュメンタリー映像を撮っている。 NHKで昨年放映された「エンデの遺言」も彼女が撮影した番組だ。当日はまだ店頭にも並んでいなかった刷り上がったばかりの共著書の『エンデの遺言「根源からお金を問う」』(NHK出版)をかかえて神戸へ到着。約40名ほど集まった参加者をまえに、ビデオなどもまじえながら、「地域通貨」が世界中のさまざまな地域で、いかに有効に使われているかについて例をあげて紹介した。そして、アートを取り巻くコミュニティのなかでの「地域通貨」の活用についての可能性を説いてくれた。
「地域通貨」というものをご存じだろうか?最近、新聞にも“エコマネー”“時間銀行”などといったタームと同様に、頻繁に小特集や国内外の事例の紹介記事がなどが掲載されている。1980年頃から欧米を中心に広まっており、現在世界で2500種類以上の地域通貨が発行されているという。日常生活における助け合いや、ボランティア活動を評価して、参加するコミュニティの住民同士でやりとりする「通貨」のことを指している。長い歴史をもつものとしては、スイスのWIR(経済互助サークル)は34年に開始されている。NHKで放映された「エンデの遺言」も、世界的に広がりつつあるこの「地域通貨」の可能性を紹介したものだ。
ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ人は多いと思う。ある日、人々のまえに時間貯蓄銀行から来たという灰色の男たちが現れる。彼らは人々から時間を奪おうとする時間泥棒たちだった。時間貯蓄銀行に時間を預ければ、利子がついて、人生の時間が何十倍にも増えると誘惑し、人々を余裕のない生活に追い立てていく、という物語だ。この番組のキーワードとしても「Time is money」という言葉がまず登場する。エンデは、現代の金融システムに疑問を感じていたのだ。番組のなかでも、彼のさまざまな示唆に富んだ発言がたびたび引用されている。
ニューヨーク州にあるイサカ市は人口3万人、豊かな農村地帯で、コーネル大学のある街としても知られている。紹介された地域通貨のイサカ・アワー(Ithaca Hour)にも「Time is money」と印刷されている。時間を単位としているのだ。イサカ・アワーは91年から発行を開始、最初は40名ではじめられた。通貨の発行は、新たなメンバーが参加するとき、メンバーがローンを組むとき、NPO(非営利組織)に寄付するときだけに決まっている。99年までの8年間に日本円に換算して800万円が流通しているが、経済効果におきかえると2億円以上になるという。
グローバル・スタンダードとされてきた市場競争至上主義が揺らぎ、生きていく基盤は地域にあることが再認識されはじめている。そんなコミュニティ・コンシャスが重要視されるなかで、地域通貨は交換手段のひとつの方法として、また地域経済を支える方法として注目すべきシステムだ、と鎌仲さんは説く。
日本でも、最近、いろいろな例が出てきており、「地域通貨」の種類も増えている。公民館活動の活性化や、郊外に新しくつくられた街の人的交流を活発化し、コミュニケーションを円滑にはかっていくことにも貢献している。
個々の表現をかたちとしてゆくアーティストにとっては、コミュニティという意識をもつこと自体が難しいかもしれない。しかし、アーティストの経済活動としてあるのが、作品の売買を通じたものだとすれば、美術品の市場が広がらない現状では、経済活動が成立していないということになる。ニューヨークなどでも、作品そのものにしか経済的価値が見い出されない、そういったシステムのなかから、どのように逸脱するかを一部のアーティスト自身が模索しはじめているのだそうだ。
アーティスト同士による技術の交換、といったことなどがまず考えられ、検討の余地はありそうだ。地域通貨というのは、補完通貨で、毛細血管を流れるようなものだという。通貨というコミュニケーション・ツールが、アート活動の活性化にも一役かうのではないかと鎌仲さんは考える。
日本にも「美術団体」といわれるものは存在するが、それは生活に密着したアソシエーション(あるいはコミュニティ)とは言い難い。アーティストやその周辺の人々の互助システムとも呼べるかもしれないが、[コマンドN]などの活動に、今後さまざまな可能性が期待できるように思う。人は集団になり、継続して何かをはじめ、いくばくかの功績を残すと、権力を持ってしまうことがある。アートと権力との距離は、あまり近くてはいけないように思う。アートが特別なものであると主張することもやや問題を孕む。当然の“権利”を得るためには、人として当たり前のことを最低限のことはやっていかねばならないだろう。社会は、さまざまな交換によって成り立っている。さまざまな事柄とアートも交換が可能だ。アートを支える環境づくりも大切かもしれないが、社会を支えるものとしてアートがあるのだ、という自負をもって発想の転換をはかりつつ、さまざまな交換活動に参加することがより大切であるように思う。
フランスでは、地域通貨が発行される場合、政府がコストの20%を負担するという。フランスのある通貨の単位はSELといい、これは塩の意だ。フランには「このお金は人々の間に、心を開き合い、関係性を築く」とマニュフェストが書かれているそうだ。日本銀行が発行する日本円にはマニュフェストはない。そんなことに気づきもしなかったが、言われてみればそうなのだ。
われわれにとってお金とはいったい何なのか?アートにとってお金とは何なのか?そんなことを考えるきっかけを与えてくれたレクチャーだった。
■参考文献:『エンデの遺言「根源からお金を問う」』
(河邑厚徳+グループ現代著、NHK出版、ISBN 4-14-080496-3 C 0033)
■参考サイト:
・http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7109/link.html
・http://www.seaple-n.icc.ne.jp/~murayama/letspeanuts.html
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