logo
TOPICS
..
 

ソフィ・カル Addicted to You:あなたを追い掛けて。

..
赤いスタンプが押された写真
1984年の日本の思い出。
赤いスタンプが押された写真

ホテルの1室の赤い電話
ホテルの1室の赤い電話
「限局性激痛」より1999 
写真:原美術館

 その日、今晩ソフィ・カルに会えると思ったら、なんだかそわそわしている自分に気がついた。レセプションに出かける前に思わず友人に、これから出会う人のことを思うと胸が踊ると告白している。さっそく訪れた原美術館のオープニング会場で、彼女はブルーリボンを頭に付けて私たちを迎えてくれた。その大きなリボンが揺れるたびに笑顔を振りまいている彼女をながめていると、なんとおちゃめな人なのだろうと感心してしまうのである。傍らでは京大教授A氏が「マッドな女だから逢ってみろと言われて来たんだよ」と友人に語っている。確かに彼女はエキセントリックな行動で有名だし、その奇抜な行為がアート作品でもあるのだ。"Art as I live" (生きることが芸術)とは、彼女のことをいうのだろうと思うのである。
 彼女が作品に使う手法は、ロード・ムーヴィーや探偵物語のようにリアルタイムで語られるドキュメンタリータッチなものが特徴である。見知らぬ人を尾行したり、落とし物の手帖からその持ち主の人物像を推察したりするディテクティヴな行為によって人々の好奇心を駆り立てる、いわば半ば犯罪めいたスリリングな追っ掛けがたまらない魅力でもあるのだ。ソフィがキテレツなゲームを思いついて人々を驚かせたり、勝手に人の膝に乗ってきてしまったり、かと思うと突風のように消えてしまったり、そんな思う存分な生き方をしてる彼女を、犯罪だ!陳腐だ!といってはナンセンスなのだ。人によっては彼女をわがままに思ったり、ただの変人扱いしたりするだろうが、彼女が私たちにみせてくれるさまざまな言葉やイメージには、アーティストならではの鮮烈なメッセージがあって、しかもそこには人間らしい温かみを感じてしまうのだ。そう。不思議な魅力のある人物である。こんなに変てこりんで楽しいことをやってのける彼女を暖かく見つめていくことが、ソフィワールドの入口なのだと言えるのだろう。今年はソフィイヤーといわれるように、原美の展覧会と同時にギャラリー小柳でも個展が開催されている。併行して初めての日本語によるソフィの書籍『本当の話』(平凡社)の出版、ユーロ・スペースでの最初のムーヴィー「ダブル・ブラインド」の公開なども行われた。ソフィのポケットをひとつ覗いてしまったら、なんだか彼女が裸になるまで覗いてしまいたいという衝動にかられて、ついにこれらの全てを見て回った。それでも、もっと彼女のことが知りたくてたまらないのである。まるで宇多田ヒカルの"addicted to you"ではないかと自分の中毒症状にほとほと呆れてしまうのだ。

「ダブル・ゲーム-服従/色彩ダイエット」

「ダブル・ゲーム-服従/色彩ダイエット」
「ダブル・ゲーム
−服従/色彩ダイエット」1998

「ダブル・ゲーム-色彩ダイエット」
「ダブル・ゲーム
−服従/色彩ダイエット」1998 
写真:ギャラリー小柳

 さて、もう少し順を追って彼女のことを説明してゆこう。『限局性激痛』と題された原美の展覧会は、かつて日本で味わった辛い失恋の思い出を綴るものである。綴るといっても小説や紀行文ではなく、パリを出発してから日本で過ごした92日間を写真や手紙、書籍などの小物と一緒に展示しながら彼女の独白がところどころに入りこんで、悲劇までの行程がカウントダウンされるのである。あまりの衝撃的で悲痛な出来事によって自分自身で封印していたという1984年の日本の思い出は、観客である我々には瑞々しく映り、ソフィ・カルの初期作品として注目すべき点がいくつか見受けられるのである。
 3ヵ月の奨学金によるレジデンスをもらったとはいえ、日本への憧憬も情熱もなかった彼女にとって、「そんなに長く好きな男から離れるほうがよっぽど辛い」というのが本音だった訳で、無目的に旅をつらつら続けるさまが写真というかたちに定着されることで、彼女の心情が浮かび上がっていくのだ。ダイアリーのように月日が順番に流れていくのだが、写真の上にまるで囚人に付けるような大きく赤いスタンプでカウントダウンが刻印されることで、一挙に切迫した危険な匂いをかもし出している。92日間の最後の目的は、男との再開をめざすというのも単純かつ明解なゴールで、見るものにとってもシミュレーションゲームのような感覚で刺激的である。切迫した雰囲気のなかで、彼女がところどころに愛しい人に語りかける「もうすぐ貴方に逢える」という発言によって、待ち構える彼女の期待感を観客は共有することになるのである。《ソフィ。あなたは、こんなにその男が好きだったの》と皆が納得するのである。
 にもかかわらず、「愛している男に捨てられてしまう悲劇」が起こってしまうのである。確かに「それだけのことである」とソフィが徐々に冷静さを取り戻すことで、こちらも胸をなで下ろしていくのだが。気持ちの整理がつくまで延々と続いていく彼女の哀しく辛い想いの独白を、繰り返し読んだり、この苦しい時期に彼女が聞いたさまざまな人々の人生で最も辛い経験を、彼女と同様に伝えられていくことで、《そうよ。ソフィ。哀しいのは貴方だけじゃないわ》と彼女の感情とシンクロして考えてしまうのだ。悲しみを乗り越える手立てを考えられるだけでも、彼女は冷静さを失っていなかったと思うが、こんな手段を思い付くのはやっぱり彼女はアーティストなのだと嬉しくなるのである。
「Cの頭文字:カルとカル、墓地にて」
「Cの頭文字:カルとカル、墓地にて」1998
ポール・オースターとのコラボレーション
Photo: Roberto Martinez

「Cの頭文字:告白」
「Cの頭文字:告白」1998
Photo: Roberto Martinez

「Bの頭文字:静物(美女と野獣)」
「Bの頭文字:静物(美女と野獣)」1998 
BBの写真をモチーフにした作品
Photo: Jean-Baptiste Mondino
写真:ギャラリー小柳

 つまり、彼女のストーリーが単なる喫茶店の女の子同士の会話で終わっていないのは、彼女の構成力とプレゼンテーション能力のためである。横軸には時間の流れがあって、それが単純な棒線で引かれるのではなく、彼女の心臓の波形のように、大きく波打ったり、時には沈静したり、またカラーが加わったりとバラエティな彼女の日本滞在の記録が彩られている。そして、後半になって強烈な印象を与えるホテルの1室の赤い電話が、リフレインされてその狭間に第3者の逸話が挿入される。彼女の構成には、明らかにフィルム・エディティングの手法が取り入れられていて、シンプルなテキストに同じイメージを繰り返すことで、フラッシュバック作用を導くダイナミズムを与えている。ひとつのエピソードがアートとして進化する状況を、我々は目前に体現できるのである。会場を深く考慮した緻密なインスタレーション・プランはまったく素晴らしいといえるだろう。

 また、「ダブル・ゲーム」と題されたギャラリー小柳の個展は、ちょっと複雑なしくみである。やはりソフィが思い付いたゲームに私たちも参加することで、その面白さを噛み締めていけるものだ。まず、根っからのディテクティヴ・コンビといえそうなポール・オースターとのコラボレーションが、今回のゲームの重要なポイントだ。
 出発点となっているのが、オースターによる『リヴァイアサン』という小説で、日本ではこの展覧会に合わせて出版された。この小説に出てくるマリアという人物は、ソフィをモデルにして書かれたものだ。マリアは、奇抜なアイデアでその日の生き方を決めていく怪しい女として登場するのだが、もちろんポールによって作られたキャラクターなので実際のソフィとは異なる。その違いを気になってしかたがないソフィが、今度は自分からマリアに近付こうとするのである。
 例えば「色彩ダイエット」は、1週間の食事をカラー別に作って順番に食べていき、週末には友人を集めて6人で6色のそれぞれ決められた色の食事を食べるという趣向のパーティを開く。ソフィはポールの記述で細かいところを修正しながら、自分でこのゲームを実行するのである。また、アルファベットの1文字を選び、その文字で始まる単語に沿った行動をとってみるものだ。例えば、Cは'cemetery' として、墓地で1日を過ごしたり、'confession' 懺悔をするために教会に行くのだ。
しかし、このマリアに成りきるゲームは、『リヴァイアサン』のなかの記述に留まらずに、ソフィはポールに頼んで“ゴータム・ハンドブック”というニューヨークでの過ごし方のマニュアルを手に入れるのである。当然ながらポールの場合はフィクションの世界で築き上げられたゲームなのだが、ソフィは敢えて実際に行動することで、マリアとのダブル・キャスティングを楽しもうとしているのだ。 
 『ゴータム・ハンドブック』では、自分の感情とは裏腹に笑いつづけることを指示した 'スマイリング' や見知らぬ人々に話し掛けなければならない 'トーキング・トゥ・ストレンジャー' などソフィならできるかもしれないが、一般人だったらちょっと困るような指示が与えられている。果たして、彼女はそのゲームをどんな風に仕上げていくのだろうか、またまた興味津々である。この結末は、『Double Games』(viollete出版社)という豪華本の中で明らかになっている。小説の世界でも遊んでしまう彼女を追い掛けて、あなたも一緒にフォローイング・ソフィしませんか?

..
限局性激痛
会場:原美術館 東京都品川区4-7-25
会期:1999年11月20日〜2000年2月27 日
問い合わせ先:Tel.03-3445-0651

ダブル・ゲーム−服従
会場:ギャラリー小柳
会期:1999年11月19日〜12月18日
問い合わせ先:Tel. 03-3561-1896

映画『ダブル・ブラインド』
会場:ユーロスペース(渋谷)
会期:2000年2月5日〜2月25日
問い合わせ先:Tel. 03-3461-0212

『本当の話』(ソフィ・カル著 野崎歓訳 平凡社)
『リヴァイアサン』(ポール・オースター著 柴田元幸訳 新潮社)

top


home | art words | archive
copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1999..