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『ダブル・ブラインド』
――第3回アート・ドキュメンタリー映画祭より
北小路隆志

あなたは自分の文章が誰によって読まれるかをもっと意識して書くべきではないか……とたぶん批判的な意味をこめてだと思うけれど、ある同業者(?)に指摘されたことがある。ともかく彼は私の文章を読んでくれているわけで、感謝さえしているのだけれど、確かに私はそんなことを意識したことがない。というか、この文章は間違いなく「あなた」に宛てて書かれている。そのことをいちいち「あなた」に確認する必要があるのだろうか?
 そしてソフィ・カル。彼女が写真作品に添えるテキストは誰に宛てたものなのか? それらは日記風に密やかに執筆されているようでもあるし、連続して読まれることで自叙伝風な相貌をも帯びる。彼女が昨年聞いた《本当の話》というアイロニカルなタイトルの展覧会(私たちは彼女のテキストや写真がどこまで「本当」であるかをいつも推測したくなるのだから!)で私が最も気に入ったのは「健忘症」というテキストで、裸体の男性が性器を股の間に隠してギリシャ・ローマふう(?)にポーズをとる写真と一組を成していた。「どんなによく見ても、男の目の色や、姿かたちや、性器の形が覚えられない……」。

初のビデオ作品『ダブル・ブラインド』でもほぼ同じ発言が聞かれる。自動車でのアメリカ横断旅行のプロセスを記録したもので、グレッグ・シェファードとの(非?)共同作品。ソフィはかつての恋人グレッグへの思いを断ちきれずに、映画作家を志す彼に一緒にビデオを撮ろうともちかけ、旅の同行を承諾させている。彼女にとって作品よりむしろグレッグとの関係の修復や結婚の方が重要なのだ。
 ともあれ、全編を通して不協和音に満ちた旅のなかで「君のセックスの癖を完璧に記憶している」とうそぶく相手に対し、ソフィは先の言葉を繰り返すしかない。私は男たちの性器を記憶できない……。つまり彼女はペニスを持たないし、それを記憶できない。「ペニスの欠如」としての女性?
 このビデオには精神分析家が喜びそうな話題が満載だ。例えばグレッグはエディプス的罠にはまった典型的「男性」だ。彼は母親を愛し、「父殺し」の機会をうかがっている。父親はいつも母親が誰かと浮気していると信じていて、その一方で多くの女と寝ていたのだとグレッグは苦々しげに回想する。だけど彼は憎いはずの父親の営みを反復し、浮気症の男であり続けるのだ。ところで彼は旅の途中に立ち寄るホテルでセックスしようとしない。「僕は彼女に頼りきっている。だから彼女を愛せない」。つまりソフィは母親だから、セックスするわけにはいかない。「ノーセックス、ラストナイト」。朝の日差しを浴びたベッドの映像に重なるソフィの苛立たしげな声!
 こうした「母子関係」を破棄するために結婚という別種の契約の導入が必要だ。彼らはラスベガスで結婚し、ソフィは女になる。「イエス!」(ソフィ)。「僕は結婚しました。相手はお母さんに似た女性です」(グレッグ)。

この世界には筆無精な人間とそうでない人間がいる。私は典型的かつ絶望的に前者だが、グレッグは恐ろしく筆まめな男だ。ソフィとの旅の途中でも他の女に宛てた手紙をしきりに書いている。ケイトへ、そしてHへ……。ソフィはその様子を見守りながら、彼から手紙をもらったことがないことや、生涯に一度だけ受け取ったラブレターのこと、別れずにすむための「人質」としてグレッグに要求した19世紀のフランス絵画『恋文』のことなどを思い起こす……。さらにグレッグがHに宛てて書いた大量の「情熱的な文面」の手紙をソフィが発見したことから、彼らの幸福そうに見えた新婚生活が破局を迎えるのだ。
 不思議でならないのだが、どうしてHに宛てて書かれた手紙が大量に彼らの住まいから発見されたのだろう? H宛てに書かれた手紙なら、それらは当然Hの許に届いているはずではないか? しかしジャック・デリダによれば「手紙は必ずしも常に宛先に届くわけではなく、そしてそのことが手紙の構造に属している以上、それが真に宛先に届くことは決してなく、届くときも〈届かないこともあり得る〉というその性質が、それを一個の内的な漂流で悩ませていると言い得るのである」(豊崎光一訳『真実の配達人』)。
 ソフィ・カルの言葉はいつも「内的な漂流」を生きる。グレッグが書いたH宛の手紙も、誰かに宛てて発せられたあなたの言葉も、そしてたぶんあなたに宛てた私の言葉もまた……。
『ダブル・ブラインド』
監督+出演
ソフィ・カル
グレッグ・シェファード

ダブル・ブラインド1

ダブル・ブラインド2

ダブル・ブラインド3

ダブル・ブラインド4

ダブル・ブラインド5
ダブル・ブラインド

写真:ユーロスペース


アート・ドキュメンタリー
アート・ドキュメンタリー映画祭
第3回アート・ドキュメンタリー映画祭
会場:ユーロスペース
映画祭会期:1997年11月22日(土)〜12月5日(金)上映スケジュール
アンコール上映
会期:1997年12月6日(土)〜12月26日(金)95/96年度主要作品上映スケジュール
問い合わせ:Tel. 03-3461-0211

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