オーストリア
ウィーンは、スイスに国境を接するオーストリアの首都だが、空路ではなく鉄道で行くとなるとスイスから8時間以上を要する。西欧というより東欧に近い歴史ある大都市であり、ハプスブルグ家の宝物やクラシック音楽や19世紀末アートで人口に膾炙している。そのため日本人を含めて多くの観光客を集めているが、西欧から遠く離れているせいかパリやロンドンほどの喧騒はなく、100年以上に渡り時間がストップしたかのような古色蒼然とした雰囲気に包まれている。1日中、カフェで無為に過ごしているだけでもいいと感じられるのである。しかし近年現代アートの活動が盛んになり、オーストリアからも優秀なアーティストが現われてきた。彼らの作品の傾向は、60年代の過激なパフォーマンスで知られるウィーンのアクショニズムとは趣を異にし、すっきりとしたものが多い。手で扱うことのできる彫刻「アダプティヴ」で頭角を現わしたフランツ・ヴェストの言に従えば、最近のアートはアクショニズムの反発から生まれたということだろうか。ところで世紀末アートというとウィーン分離派が有名だが、彼らの活動の展示場として建てられたセセッシオーンは、現在、現代アート専用の空間に生まれ変わっている。分離派も19世紀末には現代アートだったのだから、この歴史的建造物を現代に向けられた活動のために使用することは、本来の目的に反しているわけではない。周知のようにセセッシオーンの地下室の壁には、分離派の巨匠クリムトの傑作《ベートーヴェンフリース》が描かれており、来訪者が絶えることはない。その人たちの何割が現代アートの展覧会を真面目に見るか分からないが、いずれにせよ現代アートを一般に啓蒙する絶好のロケーションとなっている。このセセッシオーンで行なわれていた展覧会が、スコットランドの俊英アーティスト、サイモン・スターリングの個展だった。自動車の撮影現場を撮影した写真やミニチュアの建物のオブジェなど奇妙で不可解な作品を発表してきたが、今回は音楽の都に相応しくピアノ(12音階音楽を開発したシェーンベルグを暗示しているという)を分解して象り、再び組み立てたかのようなインスタレーションを展示していた。この作品は非常に難解だが、過去にジグマール・ポルケの作品を見たときと同じような理由のない昂揚感を覚えた。彼が、見逃せない若手アーティストのひとりであることは間違いない。
さてウィーンの美術館広場の一角に、この夏文化的複合施設がオープンした。レオポルド美術館、近代美術館、クンストハーレだけでなく、さまざまな施設が入ることになっていて、アートのみならず他の分野の表現にも開かれたミュージアム・クオーターが出現する。ここのクンストハーレの柿落としとして開かれたのが、スティーヴ・マックィーンの個展である。イギリスの黒人アーティストである彼は、映像のなかにマイノリティの実存的な力強さを充填して見る者の心に染み込む。他に、ジェネラリ・ファウンデーションで分身をテーマにした「ダブル・ライフ」というグループ・ショウ、MAK(装飾工芸美術館)では、俳優で監督だがアーティストでもあるデニス・ホッパーの大展覧会と中国系のアーティスト、ジュン・ヤンの展覧会。ヤンは、出自と環境の間のずれや齟齬を主題としたインスタレーションを展示して、静かな内省に誘う構成となっていた。