アメリカの美術雑誌の表紙にも取り上げられた世界貿易センター(WTC)が、非情なテロの標的にされ脆くも倒壊したのは、9月11日だった。
1カ月半後の10月末、私はニューヨークの地に降り立った。J=F・ケネディ空港からマンハッタンに向かう道すがら、バスの車内より眺められるニューヨークの夜景は、街の灯の数が減少して弱くなり、街全体がどことなくみすぼらしくしぼんでいるようにさえ思われた。しかし、テロ直後は閉鎖されていたというトンネルを抜けてマンハッタンに入ると、人通りがやや少ないことを除けば、普段のニューヨークの見慣れたたたずまいが現われ出たのである。ホテルにチェックインし、テレビを点けてみた。当然のことながら、各テレビ局では同時多発テロ、アフガン情勢、炭素菌騒動の報道を流していたが、隣のチャンネルではホラー映画を放映していて、アメリカ人が暴力を好む国民なのではと疑ったほどである。
翌日、早速美術館とギャラリー回りに出た。まず街を歩いて気づいたのは、自動車や商店のショーウィンドウなどにやたらと星条旗が飾られ、警官が市内の随所に配置されていたことである。厳しいチェックを実施しているギャラリーの入ったビルもあった。そうしたなかで、展覧会は事件前と同じく平常通りに開かれていた。改築中のMoMAでは「ジャコメッティ展」、グッゲンハイム美術館では、ブラジルのバロックから現代アートまでを扱った「Brazil:
Body & Soul」、ブロンクス美術館では、「One Planet Under a Groove: Hip Hop
and Contemporary Art」というタイトルのヒップホップの影響を受けたアートの紹介、クィーンズ美術館では、東アジア発のパフォーマンスを集めたグループ展「Translated
Acts」、そしてニュー・ミュージアムでは、トム・フリードマンとウィリアム・ケントリッジの展覧会(後者については、ケントリッジのアニメ作品が、社会性と政治色の強いものから、私的でパセティックな情緒を帯びたものへと変化してきたことが理解された)。また、P.S.1での「ジャネット・カーディフ展」では、彼女の作品の特異性、すなわち視覚と聴覚の情報が融合して、現実とも虚構とも言えないその中間の不可思議な世界を開くことを改めて実感した。それだけではない。新作のサウンド・インスタレーションは、楕円形に取り囲むスピーカー群の中に立つと、スピーカーから溢れ出し私を包み込むコーラスの響きが、テロ事件の犠牲者へ向けられたレクイエムのように、そして現在行なわれている過酷な戦争に対する悲嘆の声のように強く心に迫ってきたのである。とはいえ、アートに事件の直接の影響が出てくるのは、まだ先のことだろう。私の滞在中にアート界が行なった目立った動きといえば、WTC事件の犠牲となった人々の家族への援助とするために、多数のギャラリーで、アーティストから寄託された小品を売るコーナーを設けていたことだった。また、ソーホーの空きスペースを使って、WTC事件をテーマとした写真展が開かれていて、一般の市民が撮影した事件の生々しい映像と切実なコメントが貼り出されて、来場者は熱心に見入っていた。
さてギャラリーを見て回りながら、展示作品のなかにアメリカのモダンアートを代表するアーティストの作品(デ・クーニング、ジョン・チェンバレン、モーリス・ルイスなど)に頻繁に出会ったが、昔彼らから受けた圧倒的な迫力がまったくなくなっていることに少なからず驚いた。ただし今回見たなかでは、フィリップ・ガストン、アレックス・カッツ、リチャード・セラは例外である。ガストンは、滑稽さのなかにアメリカの良質の精神を秘め、カッツは、画面に漂う温かさと冷たさに洗練の極みを閃かせ、セラの新作彫刻は、素材の鉄の重量感から遂に脱出したかのような軽やかさを、その輪郭が描く優美なカーヴから得ていたのだから。確かに、テロ事件はアメリカの強大な政治と経済に対する挑戦だったが、私が以前から行き詰まりを感じていたモダンの物質主義に対する決定的な死亡宣告でもあって、日本でテレビ報道を見ていたとき、テロリストのWTCへの急襲と崩壊に、資本主義経済の象徴の破壊というより、文字どおり物質文明の終焉を見て取って重苦しい気分になったものである。だからと言って、そのために何千人もの犠牲者を出してよいということには絶対ならないが。
アップタウンのギャラリーでは、リヒターの新作展が開かれていた。リヒターの表現が、物質よりもイメージに力点を置いていること、またこの個展に多くの鑑賞者が引き付けられ、彼らに受け入れられるようになった様子を見れば、アメリカも大きく様変わりつつあることが感じられた。それは、先述の物質主義に対する批判ではなくとも懐疑が、アメリカの内部から芽生え始めていることを物語っている。実は、当のリヒターは人生の黄昏を迎えて、彼の活動がこじ開けたイメージの扉を再び閉めつつあるかのように、グレーのヴェールをかけた作品を展示していたのだが。同様の変動の兆しは、ホイットニー美術館やP.S.1で開かれていた企画展にも現われていたように思う。というのも、前者の「Into
the Light: the Projected Image in American Art 1964-1977」とタイトルされた展覧会では、60−70年代に生まれた映像メディアを用いた作品をまとめて展示し、映像全盛の現代アートの系譜を遡ってその起源を探り、後者の「Animations展」では、映像表現の可能性の広がりを、大衆文化と連続するアニメーションという領域に追い求めていたからである。しかしながらこうした企画展のすべてが、ものの見方の尺度を物質から映像へ移行させる原動力に直ちになるわけではない。というのも、ホイットニー美術館での展覧会は、過去の映像の機能を呼び起こすことで、映像の認識論的断絶(再現/非再現)に目を塞ぐ方向で作用するかもしれないからだ。