キュレーターズノート

ニューヨーク、アート訪問備忘録(ギャラリー街、Guggenheim、MET、MoMA&PS1、New Museum)/オノ・ヨーコ展「希望の路 YOKO ONO 2011」

角奈緒子(広島市現代美術館)

2011年07月01日号

 ニューヨークのグッゲンハイム美術館で先週オープンした李禹煥の個展に当館所蔵の作品を貸し出すため、クーリエとしてニューヨークを訪れた。このところの多忙ゆえ、国内の展覧会をなかなか見る機会がなかったということもあり、今回のレポートは日本を飛び出し、ニューヨークで見てきた展覧会の報告としたい。

 近年これといった用事もなくすっかりご無沙汰していたニューヨーク。わたしにとっては10年以上ぶり、つまり9.11以降初の、しかも二度目の訪問であった。このところは、コンパクトにまとまった印象の強いアジア諸都市に赴くことが多かったこともあり、久しぶりに降り立ったニューヨークはなにもかもが異様に大きく感じられ、さまざまな肌の色をした多くの人々が足早に闊歩する街の様子からは、活気を取り戻しつつあるような印象さえ受けた。そのような今回のニューヨークでのアート訪問は、全体的に、「巨匠」を振り返るものとなった。
 チェルシーのギャラリーに足を運んだものの、なにか目新しい作品や期待できる若手の作家発掘という点においては残念ながら大きな収穫があったとは言いがたい。が、大きな二つのギャラリー(ガゴシアン・ギャラリーペース・ギャラリー)で、ジョン・チェンバレン(1927年生まれ)の個展を同時に開催していたことには驚きとともにいささかの興味を覚えた。チェンバレンの作品はご存知のように自動車などの廃材パーツを組み合わせてつくられる大型のアッサンブラージュ作品である。目の前に立ちはだかる、高く組み上げられた巨大な彫刻群を眺めながら、活気を取り戻したように見えるとはいえいまだ不景気から完全に抜け出せずにいるアメリカで、この大巨匠の大作品を扱うことの意義を見いだしあぐねつつ(無論、たんなる「訪問者」の筆者にはNYのアート界の現状を知るはずも理解できるわけもないのだが)、つくづくアメリカという国のスケールの大きさを改めて、そして否応なしに実感させられるに終わった。補記しておくと、新作を発表していたガゴシアンの作品群のほうが総じて、一見無秩序に見えるダイナミックさのなかにも整えられた美しさがより強く感じられた。
 冒頭にてお伝えしたように、グッゲンハイム美術館ではアレクサンドラ・モンローのキュレーションによる李禹煥(1936年生まれ)の大回顧展“Marking Infinity”が始まった。筆者が見たのはまだ展示作業の最中、展覧会としては未完の状態だったのだが、1960年代以降、李がその理論推進の中心的役割を担った「もの派」時代も紹介しながら現在までの足跡を辿るという、たいへん見応えある内容となっている。ペインティングにせよインスタレーションにせよ、絶妙な「空白」をたたえた李の作品に対し、欧米人はどのように反応するのかとても興味深い。ところで、今回展示作業に立ち会ったことで初めて知ったのだが、この美術館、展示作業中ではあるけれども別の展覧会は開催中のため、通常どおり開館しており、つまり来館者は真剣な面持ちで展示に取り組む作家やスタッフの作業の様子を垣間見ることができてしまう。よく考えてみれば、建物自体がすばらしい作品であるこの美術館は、ひとつの展覧会準備のためだけに全館休館にはできないのかもしれないが、多くの来館者がいるなかで(もちろん作業中の空間へは立入禁止)粛々と進められる展示作業の光景はなぜかとても不思議に思えた。これは多くの警備員の存在と強面警備によるセキュリティ・チェックがなければ成り立たないシチュエーションであることは間違いない。なお、同時開催は、コレクションの中から19〜20世紀初頭の絵画を紹介した展覧会と2010年のヒューゴ・ボス賞受賞者、ハンス=ペーター・フェルドマンの個展。フェルドマンは賞金10万ドルの1ドル紙幣をすべてピンで、壁という壁一面に貼付けたインスタレーションを披露。アートを文字通り「貨幣」の姿に転換したこの作品は、さまざまな問題を孕むアートマーケットへの警鐘という点では効果的かもしれないが、表現としてはあまりにストレートすぎるように思われた。ちなみに作品も然ることながら、鑑賞者たちのいろいろな反応──大量の1ドル札でできた壁紙の部屋を素通りする人、狐につままれたような顔つきで紙幣を眺める人、興奮のあまり歓声とともにカメラを取り出し監視員に注意される人などを見るのも一興であった。


李禹煥展会場入口

 同じくミュージアム・マイルにあるメトロポリタン美術館では、さらに別の巨匠との対面となった。リチャード・セラ(1939年生まれ)初のドローイングに注目した回顧展が開催中である。ドローイングといっても小さなスケッチやデッサンではない。展示室の壁面を覆うほど大きな紙面に描かれた黒くシンプルな矩形は、作品の前にたたずむ者の前に立ち上がり、ドローイングというよりはむしろインスタレーションとなる。ここでもまたある意味、スケールの大きさを見せつけられるかたちとなり、複雑な気持ちになったが、美しい作品と迫力の展示、しばし瞑想の時間をもたらしてくれる静謐な空間は必見だろう。


多くの人で賑わうメトロポリタン美術館入口の様子