キュレーターズノート
「イェッペ・ハイン 360°」カタログ
鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2011年08月01日号
対象美術館
8月31日まで金沢21世紀美術館で開催中の「イェッペ・ハイン 360°」のカタログを目下制作中である。8月6日より、金沢21世紀美術館のミュージアムショップで発売する。ハインの作品は、空間との関係もさることながら、観客との関係が重要である。つまり、展覧会の開始時点でインスタレーションとしての作品が完成するのではなく、観客が作品を体験したり、また、作品を触媒として、観客同士のあいだに新たな関係が生まれたりすることが、作品の一部であるとも言える。それゆえ、カタログは、金沢で、どのように人がハインの作品を経験したかを記録するものとした。オープン早々から訪れてくださり、ショップでカタログを探してくださった方にはお詫び申し上げる。
展覧会の開始がゴールデンウィークであったため、幸いにも、当初から非常に多くの方にご来場いただいた。不特定多数の観客の肖像権を守ることに配慮しつつも、できるだけ、観客の反応、例えば、ゆっくりとした作品の動きをじっと注視していたり、ヘッドセットをつけて空っぽの空間を歩きまわったり、鏡と戯れていたりする様子を写真でとらえるようにし、カタログに掲載した。同時に、私のテキストでも、金沢の観客の反応を観察し、記述するよう心がけ、それを出発点として論を展開した。すなわち、精神分析における臨床や、文化人類学におけるフィールドワークに近い方法を意識した。もちろん、これまでにも、社会学的な、美術館の観衆論の研究成果はあるが、それらの研究は、数量的なものであったり、美術館の観客の社会における偏りを指摘するものであったりすることが多く、観客をひとつの集合体ととらえる傾向にあるように思われる。それよりも、より質的な観察、ハインの作品を契機として、どのようなコミュニケーションが発生しているかを描写することを目指した。そして、ニコラ・ブリオーとクレア・ビショップを二つの参照点としつつ、ハインを、コミュニケーションや対話を重視する今日の美術の潮流のなかに位置づけることを試みた。
カタログのもうひとつのコンテンツは、ハインとSANAAとの対談である。アーティストであるハインと建築家であるSANAAは、フィールドは異なるが、ともに公共空間への関心が強い。ハインは、美術館の中に作品を展示することと同等、あるいはそれ以上に、美術館の外部の公共空間での作品設置に関心を抱き、美術館にけっして足を運ばないような人が、それが作品であると意識することもない状況で、作品を経験することを大切に考えている。SANAAも、例えば金沢21世紀美術館の建物では、都市に対して公園のように建物が開かれ、その中で、さまざまなグループがそれぞれの活動を行なえるような空間を提案している。実際、ハインは、金沢21世紀美術館での個展が決まる前に、美術館を2回訪れており、影響を受けている。例えば、2009年のARoSオーフス美術館の個展では、広い展示空間の中に大小さまざまの大きさのキューブを仮設的につくり、その間を街路のように回ることができる展示空間をつくった。金沢21世紀美術館の個展でも、表と裏のない建築のコンセプトによって、そこに展示されるハインの作品が、根本的に変容した。この点については、カタログの私の文章で論じたのでここでは繰り返さない。ご参照いただけると幸いである。
さらに、もうひとつのテキストは、デンマークの美術史家、エディターであるピーター・キアクホフ・エリクセンが2009年のオーフスでのハインの個展のカタログのために書いたものを、再録、訳出したものである。エリクセンは、ハインが妹のレアケ・ハインとともにコペンハーゲンで運営しているバー「カリエール」での、レクチャーなどのプログラムを担当し、また、そこで発行しているフリーペーパーの編集を行なっている。金沢21世紀美術館での展覧会では、ハインが他のアーティストと恊働で行なっている、「カリエール」や「サーカス・ハイン」といったプロジェクトについて紹介できなかった。しかし、美術館の外の公共空間と、展示室を横断してアーティストとしての活動を行なうハインの姿勢は、マーケット指向の作家とプロジェクト指向の作家とが二極化する傾向にある日本の美術界において、重要であろう。また、金沢のような日本の地方都市における、美術館という比較的フォーマルな場と、街中のアーティスト・ラン・スペースのようなインフォーマルな場の関係を考えるうえでも、参照する価値があると考えている。そのため、レクチャーなどの関連プログラムや、『美術手帖』のためのインタビュー(2011年8月号。筆者が聞き手を務めた)では、その部分についても紹介できるよう心がけたが、こうした意味からも、ハインと並走してきたエリクセンのテキストをぜひとも掲載し、金沢での「360°」展を中心に論じた私のテキストを補完する役割を担ってもらいたいと考えた。
もちろん、ハインの幅広い活動を紹介する意味だけでなく、コペンハーゲンという例えばベルリンと比較してローカルな都市における、エリクセンの実践的な活動に共感したということもある。エリクセンは、特に《見えない迷宮》を例に、ハインの作品が美術館の空間内に独自のルールを設定する点を指摘している。例えば、「ここには見えない壁があり、そこを通り抜けてはいけない」というルールである。しかしながら、そのルールは、観客が破ろうと思えば簡単に破ることができるということを、ミシェル・ド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』を参照しながら、観客の能動性と結びつけている。私は、ルールの設定とそのルールを超越することは、むしろ作品への没入と、そこからの覚醒という二重の視点というテーマに(ブレヒトの異化効果)と関連していると考えており、エリクセンの見解とは若干異なる。しかし、ハインが仮設的に、空間内にもうひとつ、内部を持つ空間を設定することは重要な点だと考えており、その意味で、このエリクセンの指摘は参考になった。このエリクセンの指摘を通じて想起したのは、むしろ、アトリエ・ワンの塚本由晴の「建築はルールを解除する機能をもつ」という発言である。それは例えば、火を使っていけないというルールが設定されている国定公園のエリア内で、建物を建てることにより、その内部では火を使えるようになる、といったことである。これまで、多くのアーティストが、美術館という制度を批判的に取り上げ、美術館の制度の限界を可視化する作品をつくってきた。しかし、それが、あくまで美術館の制度に寄り添って自己批判的に展示されざるをえないことを考えると、批判によって美術館という制度との交渉を終わらせ、問題点を棚上げにしているとも言える。一方、ハインの方法は、美術館内に、作品という名目で、美術館のルールの及ばぬ圏域を作り出すというもので、興味深い。そのようなアプローチで、アートやアーティスト、さらには建築や建築家の役割を考えてゆく際、エリクセンの指摘は参考になると思われる。
さらにカタログには過去の作品図版を含む年譜を掲載した。2006年にケーニヒ・ブックスよりハインのまとまったカタログが出版されているが、その後のイェッペの活動をフォローし、また日本語の書籍として初めてのものであることも考慮して、20ページにわたる詳細な年譜をつけることにした。
ぜひ、展覧会に足を運び、カタログを手に取っていただきたい。