キュレーターズノート
画家たちの二十歳の原点/菊畑茂久馬回顧展
山口洋三(福岡市美術館)
2011年08月15日号
対象美術館
「“孤独”という“大切な時間”をどう生きるか」。──「画家たちの二十歳の原点」という展覧会の図録の帯にある言葉だ。この展覧会のことが気になっていた。下関市立美術館に巡回することを知り、「菊畑茂久馬回顧展」を福岡・長崎の両会場で立ち上げ、ちょっと一息ついたところで見に行った。
ご存じのとおり、この展覧会は、明治期から現代にいる主要な画家54人の初期作品(おおむね二十歳を挟んだ数年間の作品)に焦点を当てたものだ。「青春」という言葉がぴたりとはまりそうな作品から、老成とも言えるような、その後のその画家の作風がすでに確立されたようなものまで多岐に及ぶ。「真剣に生き、制作していた『二十歳』」という「季節」に横溢する「生」のエネルギーが本展のテーマであることは一目瞭然である。
しかし、同時にこの展覧会には強烈な「死」のにおいがつきまとっているように思えてならない。まず展覧会題名。高野悦子の『二十歳の原点』がその「原典」である(本書を読んだことのあるartscape読者はどれくらいいるのだろうか? 私読みました。その頃シアンクレールはまだあったな……。まもなく閉店してしまったけど。それはいいとして)。1960年代末の学生運動の時代を背景に悩み抜いた高野悦子は結局自殺してしまう。関根正二に村山槐太、田中恭吉など、20代で死んだ画家たちの作品を見ると、その完成度の高さに驚くとともに、初期作品が同時に「絶筆」に近い意味を持っていることに慄然とする。高畑正、野村昭嘉のことは寡聞にして知らなかった。両者とも病と事故で若くして死んでいる。石田徹也の作品は知ってはいたがこの画家も踏切事故で近年夭折している。不慮の事故や病による突然の死は、どこか最近の大震災による多くの人々の死のイメージと重なるような気もする。死がその画家のそれぞれの「生」を逆説的に浮かび上がらせているようである。早死にの画家の作品は、たとえそれが二十歳前後で描かれていようとも、「絶筆」そのものである。そのように見ていくと、現役の画家、そして長寿を全うした他の画家の作品のいずれもが、死へのカウントダウンの序章のように思えてくる。私はどうしても、ここにある作品群に対して「青春」とか「懊悩」とかいった言葉をフィルターにすることができない。自分が、いまだその「原点」への距離を持たないでいるためか。
ここで思い出されるのが、菊畑茂久馬の著書『絶筆──いのちの炎』(葦書房、1989)である。画家の最晩年の作品1点を取り上げ、そこからさかのぼるようにしてその画家の人生と作品に迫る内容の書であるが、まさに画家の死が、彼の「生」を浮かび上がらせていた。結局のところ、「原点」は「絶筆」なのか。いや、「原点」を「絶筆」に接続できる画家は、幸福である。
画家たちの二十歳の原点
学芸員レポート
2館同時開催となった「菊畑茂久馬回顧展」のことは先号の私の記事に書いた。このときはまだ開会前であったが、7月9日に福岡市美術館、そして7月16日には長崎県美術館でも無事に開会した。真っ白な壁面に柔らかな光が差し込む長崎県美術館の会場では、新作《春風》の展示がすがすがしい。そして《海 暖流・寒流》や《月宮》《月光》がシリーズごとに並ぶ。長崎会場を担当してくれた野中明氏の展示センスがさえている。
長崎が、それぞれの絵画シリーズを効果的に見せることを主眼としたとするならば、福岡会場では、菊畑茂久馬の画業をほぼ年代順にたどる構成となっている。福岡市美術館は開館30年以上経過して壁面も照明もくたびれ果てているので(苦笑)、反芸術と九州派の時代となる1950〜60年代の作品が似合う。というか、作品やパネルを多くして展示設備に目が行かないようにする(?)。というのは(半分)冗談だけど、戦後の作品から《天動説》に到る道、そしてその接続としての1970年代がよく見えるような展示を心がけた。
全国紙3紙ですでに好意的な評判も得て、新作《春風》の評判も上々。しかしこうした評判と集客が相乗しないのはいつものこと。特に福岡の場合は、知名度の高い美術家とか美術動向を取り上げた展覧会とそうでない展覧会との集客の落差が大きすぎる。観客層の保守化が進む。地元のことになるとすぐにのぼせる福岡市民のこと、菊畑茂久馬展はひょっとしたら……というちょっとした期待もあった。山本作兵衛の「世界記憶遺産」認定のニュースも5月にあり、こちらも追い風になるかとも思ったが……現実は厳しい。
菊畑の作品は、けっして万人にわかりやすい作品ではない。福岡に、九州の地に住み続け、そこでしか生まれ得ない作品を生み出してきたことは紛れもない事実であるが、時代と地方の関係を思考しながら、試行錯誤を続けた1970年代の彼の「“孤独”という“大切な時間”」を、いま誰が共有または追体験できるだろうか。戦後美術という枠にこだわらず、地方に生きる多くの創作者たちに、本展をおすすめしたい。上映会での『絵描きと戦争』は必見ですよ。戦争画の批判の番組ではなく、時代と美術(家)の関わりついての峻厳なる問いかけが全編に満ちている。