キュレーターズノート
福岡現代美術クロニクル1970-2000(仮称)/糸島芸農/とらんしっと:世界通り抜け
山口洋三(福岡市美術館)
2012年05月15日号
来年1月開催予定の展覧会「福岡現代美術クロニクル1970-2000」(仮称)の準備にかかっている。「菊畑茂久馬回顧展」に続き、これもまた2館共同企画・(完全)同時開催の展覧会。今度のお相手は、すぐ近所の福岡県立美術館である。
福岡県内における戦後の美術活動の回顧は、福岡県美および市美でたびたび行なわれてきている。ざっと振り返ると、「上田宇三郎と朱貌社の仲間たち」(1992、県美)、「九州派−反芸術プロジェクト」(1988、市美)、「福岡映像史」(1992、市美)、「福岡美術戦後物語」(1998、市美)などである。以上の企画により1960年代までの回顧はほぼ終わっているといえる。また、2003年に北九州市立美術館と当館とで共同開催した「福・北美術往来」(2003)では、おもに90年代以降に活動を開始した作家たちの活動を紹介した。そうすると、1970〜80年代が抜け落ちていることになる。この時代を含むなんらかの企画展が必要であるため、じつは10年くらい前に立案はしていた。しかし、いろいろタイミングの取り方もあってようやく開催の運びとなった。
福岡県立美術館との共催となったのは、立案当時は同館学芸員であった川浪千鶴氏との共同企画だったからである。私より(はるかに)大先輩であり、福岡で豊富な人脈をお持ちの彼女との企画展となれば、私は後景に退いてサポート役となり、川浪氏を主役にたてて企画を進められるだろう……と思っていたら、川浪氏は突如高知県立美術館に移られてしまった……。
そうはいっても、出品候補となる作家や関係者とは、私もつながりができていたため、作品調査や出品交渉に当たり現在のところ余り困難はない。県美の竹口浩司学芸員、当館の正路佐知子学芸員とともに調査と年表づくりに明け暮れる日々である。
1970年代以降とは、福岡の文脈で言えば「九州派以後」である。おおまかな流れを記せば、九州派の余韻さめやらぬ1970年代半ばより、彼らより若い世代の美術家たち(おもに東京帰りの若者たち)が、独自の美術活動を開始した。村上勝、小川幸一らは、グループ「ゾディアック」を結成して年に4〜5回の展覧会を開催して状況をつくろうと試みる。その一方で、山野真悟や江上計太もまた、「版画教室」(のちのIAF芸術研究室)を立ち上げ、作家たちの交流をうながそうとする。いずれのグループにも言えることは、九州派の反芸術的な土俗性やローカリズムとは一線を画し、スタイリッシュでインターナショナルなフォーマットを福岡の地に確立しようとしたことである。村上、小川らは、グループ活動からやがて離れ、「個」の表現の確立へと向かうが、IAF組は、状況を求めていくが「現代美術」が根付かない地方都市福岡においては刺激も少なく鑑賞者もなく(これはいまも同じ?)手詰まり感は否めない。この閉塞状況に大きなヒントを与えたのが、川俣正である。当館企画展「素材と空間」展(1983)に出品した川俣は、美術館内のほか、当館近所の木造アパートでも展示を行なった。また、本展企画者である帯金章郎(当時は当館学芸員、現在は朝日新聞社)の紹介により、IAFの作家たちと川俣が出会い、大きな示唆を受ける。ここから「インスタレーション」と「ギャラリー外での展示活動」が、おもにIAFの作家たちのレパートリーとなり、活動の指針となっていく(川俣は90年代には田川市で「コールマイン田川」を立ち上げ、長期間にわたるプロジェクトを展開して福岡の美術史に再登場する)。その後、他都市の作家との交流展も続き、これが1990年の「ミュージアム・シティ・天神」の布石となる。都市型野外展覧会の先駆けであり、現在国内で開催される野外での国際美術展の原型である。90年代前半は、この流れに福岡市美術館でのアジアの現代美術の紹介が加わり、福岡の美術状況はにわかに国際性を帯びていく。そのピークは1994年である。私はこの年、福岡市美術館のスタッフとなった。いま振り返っても、おそらくこのときの関係者は誰もが、福岡が日本の現代美術におけるもうひとつの極となるだろうと確信していたのではないだろうか? しかしその後は景気の後退もあって状況としては閉塞に向かう。時代を2000年で切ったのは、この年でミュージアム・シティが終了するからである。また、そこから現在まで12年が経過するが、新しい状況も、それを牽引する作家も育っていないからである(まあこの「作家を育てる」という言い方も微妙だなあ。「育つ」気があるのかな? 放置されていたときのほうがよっぽど作家が元気で行動力もあった)。
もちろん、このおおまかな流れに属さない作家もいるため、個々の作家たちの活動にも触れなくてはならない。あと、意外にも70年代の作品は現存していて、80〜90年代のインスタレーションが残っていない(まあ当然か)。再制作も視野に入れながらの企画作業が続く。
福岡現代美術クロニクル1970-2000(仮称)
糸島と北九州での展覧会を紹介したい。ひとつは糸島市二丈地区(旧二丈町)で行なわれている「糸島芸農」。福岡市を西に行き、糸島市(旧前原市、二丈町、志摩町)地域に入ると、のどかな農村風景が広がる。この地域で開催される国際美術展である。即座に「越後妻有トリエンナーレ」が想記されるかもしれないが、「糸島芸農」は、現代美術家、松崎宏史氏が、地元有志とともに企画した展覧会。そしてここは彼の地元でもあり、これまで彼の人脈を生かして数多くの作家をレジデンシーとして海外から受け入れてきている。この糸島芸農はその集積のうえに成り立っている。
さっそく、5月5日のオープニングに顔を出し、田植えワークショップ(って要するに田植えなんだけど)やシンポジウムなどに参加。日常感、身の丈感とでも申しましょうか、田畑の広がる光景のなかで、少人数で開催されるところは、ほのぼのとして良かったが、一方でこの手の展覧会の手法はもう出尽くした感を深くした。大アートの「スペクタクル」を優先すれば地元から遊離するが、逆にスペクタクル感を減殺して地元密着を採れば(反芸術的に)、来場者からは不満が出る……。といってもこの展覧会、農業と密接に結びつくコンセプトなので、会期は長く11月まで続くことになっている。継続的に参加して、その経過と成果を折に触れレポートしたい。
かたや北九州では、北九州市立美術館、国際芸術センター青森の元学芸員であった真武真喜子氏が実家の動物病院跡をギャラリー/レジデンス施設とした「Operation Table(オペレーション・テーブル)」が活動を開始している。現在開催中の展覧会は、「とらんしっと:世界通り抜け」。福岡の作家以外にも、国内、海外の作家が参加していて、まさに交流拠点。作家の選択は真武氏のこれまでの仕事のうえで培った人脈に負うところが大きい。選定された作家と出品作品を見ると、商業画廊とはまた違った意味での個人運営ならではの機動性が見られてうらやましくもある。
この2つの展覧会というか交流拠点を見るにつけ、「交流」の様相が、福岡の1970〜90年代を支えたものとはずいぶんと異なってきたことを実感する。前者のそれは要するに個と個の交流である。これは大きな状況につながるか? 個のままで終わるのか。しかし大アートも見たいような。それを言ってはおしまいか。