キュレーターズノート
土佐の3人──武内光仁、西悟、絵金
川浪千鶴(高知県立美術館)
2012年08月01日号
対象美術館
美術館の活動拠点を福岡から高知に移して、ちょうど1年が経ち、地元作家たちとの面識や交流もそれなりに増えてきた。高知のアートシーンにおいては、公募展(新聞社・民間主催、アウトサイダーアート専門など各種あり)やグループショー(クラフト系が多い)は盛んだが、作家の「態度」が興味深い、存在感のある個展に接する機会はこれまでほとんどなかった。
ところが5月から7月にかけて、これぞ土佐というべき(?)類を見ない規模と内容の展示に立て続けに触れることができたのでご紹介したい。
私が見た順に、その作家名をあげれば、一人目は前衛美術集団「前衛土佐派」の最年少作家だった武内光仁(1947-)、二人目はアメリカで長く学んだのち地元で活動しているベテラン画家・西悟(1955-)、三人目は芝居絵屏風をひっさげて幕末明治の土佐で活躍した絵金(1812-76)である(以下敬称略)。
集積と前衛「武内光仁」
武内光仁との出会いを仲介してくれたのは、佐賀出身の前衛画家・池田龍雄。福岡県立美術館時代に「池田龍雄──アヴァンギャルドの軌跡」展(2011)を担当させてもらったご縁もある池田は、戦後美術の生き字引的存在で、美術界における多彩な人脈は全国に及んでいる。1962年に高知で結成された前衛美術集団「前衛土佐派」とも、リーダー格の濵口富治を始め、多くのメンバーとこれまで折に触れ交流を重ねてきた。
独学でアートを目指し、15才という若さで「前衛土佐派」参加した武内にとって、親子ほど年の離れた大正生まれの濵口は生涯の師であり父であり、また昭和3年生まれの池田は、その前衛の道を一筋に歩む生き様に先達として長年尊敬の念を感じてきたという。
「前衛土佐派」のゆるやかな仲間関係や、公募・団体展活動も併存させてきた活動内容、そしてモダンアートの系譜が色濃い造形主義的な作品群には、福岡土着のアナーキーな前衛美術集団「九州派」になじんだ身からすれば、土佐における「前衛」とはなにかを意味するのか、正直戸惑いや違和感を感じる。
しかし、武内が7年がかりで手作りし、2009年にオープンさせた白木谷国際現代美術館を訪れて、65歳の武内の創作態度に純化された前衛性を見た気がした。
「第13回白木谷国際現代美術館4周年記念特別企画:池田龍雄・濵口富治・武内光仁『3人の世界展』」(2012年5月3日〜7月24日)は、武内がコレクションした濵口作品のコーナーや、「BRAHMAN」シリーズを中心に構成された池田特設コーナーなども見どころではあるが、濵口・池田へのオマージュも含めて全体が、武内が自らの原点を振り返り、今後の道筋を再認識するために行なわれた個展といっていいだろう。
増改築を重ねた広大な美術館空間と渓谷沿いの敷地を埋め尽くした武内作品は、絵画であっても、立体であっても、インスタレーションであっても、作家の営為の集積と言い換えることができる。日々の積み重ね、素材や行為一つひとつの集積が、時に破格の前衛力を呼び寄せうることを教えてくれる。
第13回白木谷国際現代美術館4周年記念特別企画:池田龍雄・濵口富治・武内光仁「3人の世界展」
展示と時間「西悟」
西悟の「Seigo レトロスペクティヴ展──1980年代から」も、まずその開催場所に、さらには展示点数に驚かされた。さすが高知というべきか、駅前から中心街にのびる大通りに面した3階建ての元金融ビル全部が個展会場であり、約30年間で制作したほぼすべての作品が展示の対象という、他に例のないスケールのプライベート回顧展である。
つねに未知の、将来の作品に関心をもつ作家の性からいえば、過去の作品は大事ではあるが、保存の意義を個人的に追求する人は稀だろう。武内光仁が美術館建設に至ったのは、保存と公開を兼ねる空間、さらに人が集う場をつくるためであり、それは集積・凝集という武内作品の特性に沿ったものでもあった。
西の場合は、ビルの所有者が知り合いだったこともあって、改築を検討中だった時期はビルの1階部分を作品保管の倉庫がわりに使わせてもらっていた。しかし10月のビル取り壊しが決まったことで、作品の今後の行方(整理や処分を含む)を考えると同時に、同じ場所を保管ではなく展示に使ってみたいと思ったという。
300〜400点近い数の絵画作品が、1階吹き抜けの店舗から、2階、3階の会議室や更衣室、廊下、階段にいたるまで、壁という壁はもちろんのこと、床やテーブルまでも埋め尽くしている。会期は6月から始まっているが、展示作業は延々いまも続いており、展示の最終形が見えるのは、恐らく8月に入ってからになるだろうとのこと。
学芸員の仕事柄、展示という行為にはどうしても注目してしまう。創作と展示の違いについて愚直な質問すると、自分にとってまったく別の作業だと西は語ったが、私には展示という表現に、彼は十分はまっているようにも見受けられた。
しかし、それをインスタレーションと称してみたり、空間を使った新たな表現と言ったとしてもしっくりこない。ビル内部をさまよいながら感じたのは、西作品の主役は空間や場ではなく、「時間」なのではないかということ。作品は、丁寧に塗り重ねた絵具層を斑に削り出していくシリーズや画布を焼いたり縫ったりしたシリーズなど、素材や技法の領分からコンセプトを伝えるものが多い。30年間を通底する絵画のテーマもまた「時間」と言っていいだろう。
再び時間を積層させる個展作業が完了したとき、作品群がどんなポリフォニーを奏でてくれるか再訪を楽しみにしている。
Seigo レトロスペクティブ展──1980年代から
祭礼と現代「絵金」
高知に来て、車の運転以外にも初めて学んだことは数々あるが、絵金文化もそのひとつ。
文化9(1812)年に現在の高知市に生まれ、明治9(1876)年に亡くなった絵金こと絵師・金蔵は、最初は土佐藩家老の御用絵師とし活躍するが、贋作事件に巻き込まれ、お城下追放となる。その後、町絵師として赤岡の町で土佐独特の芝居絵屏風を数多く描き、「絵金さん」という通称で、現代にいたるまで、地元を中心に人も作品も広く親しまれてきた。
絵金の芝居絵屏風の画題は、歌舞伎や浄瑠璃など。浮世絵のような役者本位ではなく、芝居の物語性に力点がおかれているのが特徴的だ。ひとつの画面に複数の場面を描き込んだり(異時同図法)、血みどろのおどろしさにユーモアや笑いが混在する多元的な絵づくりはユニークで、見飽きない。構図がおもしろい、美しい「絵」であることは紛れもない事実だが、なによりも見る人が喜び、自由に読み解き、語り合うための「装置」としてつくられたからだろう。
絵金の芝居絵屏風の最大の魅力は、美術館・博物館のケースのなかに、時を止めて保管・展示されているのではなく、その大半が祭礼の闇のなかで、蝋燭の灯りのなかで、いまも確かに地域の人々とともに生きているという点にある。芝居の熱気を封じ込めたような屏風絵を競い合って奉納する、土佐独特の文化は、時代は変わっても人から人に受け継がれている。幕末明治の文化が平成の世にも、美しくおもしろく生き続けていること自体が大事な地域の誇りになっている。
今年は絵金生誕200年の節目の年にあたる。7月、8月の祭礼に始まり、秋の絵金顕彰の展覧会(高知県立美術館では約180点の絵金作品を一挙公開する「大絵金展──極彩の闇」を予定)やイベントまで今年は行事が満載(詳しくは下記の「絵金ガイド」の項を参照)である。
絵金ゆかりの地、赤岡町で7月に開催された代表的なふたつの絵金祭りで、商店街の軒先に絵金の屏風を並べるだけで、高知ゆかりの画家や漫画家、イラストレーターたちの現代の屏風絵13点を「第1回えくらべ復活展」として路上に登場させたのも、生誕200年記念の一環。「絵競べ」とは、幕末明治の絵金の時代、地域ごとさまざまな絵師に芝居絵屏風を依頼し、その出来映えを民衆が競った風習に由来する。
こういう試みはぜひ続けてほしい。伝統においても、変わらないためにこそ、変わり続けることが大切なのだから。絵金さんと一緒ならなにをやっても大丈夫と祭り好きな赤岡町の人たちが胸を張る姿が目に浮かぶようだ。
須留田八幡宮神祭
第36回土佐赤岡絵金祭り
朝倉神社の夏祭り
学芸員レポート
さて、高知県立美術館では、今年一押しの企画展、秋の「大絵金展 極彩の闇」(2012年10月28日〜12月16日)を盛り上げるべく、絵金の定本となる図録の書籍出版や明治美術学会との共同シンポジウム、美術館の秋祭りとしての「高知絵金灯明」(監修=藤浩志、2012年11月3日)開催など、さまざまな準備を進めているが、その第一弾としてフリーペーパー『高知絵金ガイドブック2012』を7月に発行した
高知県立美術館が企画し、赤岡町の絵金蔵とともに執筆・編集を行ない、絵金生誕200年記念行事を各種計画中だった香南市と共同発行。16頁という小振りながら、「初めての絵金さん」体験をする人に必ず役に立つ、またはいつか訪れるときまで手元に残しておきたくなるガイドを目指して、中身の濃いものに仕上がったと自負している。(こんなガイドブックがあれば便利なのに、と昨年高知に来たとき感じた私の個人的な思いが原点になっているので)。
マップやカレンダーなど祭礼情報が中心ではあるが、「絵金入門」「静と動 ふたつの絵金祭り 赤岡町」「土佐の神社には絵金がいる──朝倉神社と郡頭神社」「エキンのつぼ」などコラムも読み応えがあり、「ちんな絵金のEXHIITION」という最後の頁に掲載したとおり、夏祭りから県内の複数の美術館・博物館で予定している絵金展まで、絵金生誕200年イヤーを半年にわたってカバーしている。
観光は、地域文化を見直し、継承の活力を生み出す、古くて新しいキーワードである。地域へのこだわりは、本気であればあるほど、反対に地域を超える可能性を秘めている。坂本龍馬の名前しか残らない定型の観光だけではなく、地域の文化資源を守り伝えるために広げる観光戦略は、地方美術館にとっても、重要なテーマである。