キュレーターズノート
定本『絵金 極彩の闇』
川浪千鶴(高知県立美術館)
2012年11月01日号
対象美術館
図録はもうひとつの展覧会
図録はもうひとつの展覧会。長年そう考えながら、展覧会づくりを行なってきた。
展覧会を構想・企画する際、作家・作品選考やタイトルのネーミング、展示イメージとほぼ同時に図録づくりも始まる。少なくとも私の場合はそうだ。
展示においても、図録においても、作品の魅力的な紹介が重要なのは同じだが、複数の作品が並ぶ空間を他者と共有する展覧会場での鑑賞と異なり、図録に掲載された作品図版の鑑賞は、まさに「対峙」。図録を一頁一頁紐解き、作品を見つめるときの一対一の関係は、印刷物を通じてとはいえ、「鑑賞」という行為を親密なものに変える可能性を秘めている。
頁を行き来しながら気になった複数の図版を見比べる、お気に入りの図版を好き勝手な方向から眺めてみるなど、展覧会場ではできない/しにくいこともできる。
立ちっぱなしで作品鑑賞するあいまに、文字数の多いパネルを何枚も読みこなすのはかなりの気力と体力が必要だが、図録なら、企画意図や作家の言葉、作品解説、エッセイなどの文字情報に自分のペースとタイミングで触れることができる。本の形だからこそ可能になること、伝えられるものはじつに多い。
展覧会は期間が終われば消えてしまうが、図録は残る。終了後も展覧会の記憶をつなぎ、記録として新たな物語を語り始める。となれば、展覧会は終わらないといえるかもしれない。
本になった絵金
さて、連続のネタふりで恐縮だが、高知県立美術館では、10月28日から12月16日までの会期で、生誕200年記念の「大絵金展」を開催中である。幕末明治の土佐を舞台に活躍し、「芝居絵屏風」を大成させた絵金こと絵師・金蔵(文化9[1812]年〜明治9[1876]年)。当館にとって16年ぶり、二回目の絵金展は、絵金とその弟子たちの貴重な作品が188点も一堂に並ぶいまだかつてない規模を誇っている。
前回の絵金展図録は完売して久しく、ネット検索しても絵金に関する、現在手に入る本は数えるほどしかない。今回公式図録をgrambooksから出版し、書籍として流通させることにしたのは、ひとえに絵金と絵金文化の普及のためである。
会場に約200点もそろえたとはいえ、所蔵者の都合や保存の問題、修復中などの理由から、展示が叶わなかった代表作も多い。となれば公式図録であるだけでなく、継承と発展のためにも、現存作品をできるだけ網羅し最新の研究成果をまとめた「定本」の出版が必須と考えた。
地域固有の文化の見直しが全国的に進んでいる。土佐の夏祭りで実際に飾られ、いまも「生きている」絵金文化は希有なものとして称賛を受ける一方で、高齢化とともに公開や継承がままならなくなってきている地域も増えている。
守るために閉ざすのではなく、守るためにこそ広める必要性はあるのではないか。定本を通じて絵金の作品を地域内外、国内外の人々に知ってもらい、「いま・ここに在る」絵金文化に、直接的、間接的なエールを受け続けることができれば、きっと「これから・どこかに在りうる」新たな智恵や方法、なにより縁をつなぎ、人を呼び寄せることができるだろう。たとえ住んだことがなくとも、そこがある人にとって忘れられない、かけがえのない場所になる可能性はある。今回の大絵金展は、行政のエリア区分としての「地域」ではなく、そうした新たな地縁で結ばれた「地域」のために、地方の公立美術館がすべきことはなにかと考える機会を与えてくれた。
絵金本のみどころ
さて、絵金本を出版したgrambooksは、『肉体のアナーキズム』や『菊畑茂久馬──戦後/絵画』など、近年アート界の大きな賞を立て続けに受賞した、存在感のある書籍を多数手がけている。
絵金本出版の依頼を快諾してくれた理由について、編集者は、芸術のためだけの本づくりではなく、芸術と「何か」というテーマ設定を大事にしているからと語ってくれた。なるほど同社が最初に刊行した『金と芸術』しかり、芸術と社会の関係など、時代やジャンルの垣根を越えたところにgrambooksの関心はある。絵金についても、収蔵庫や展示ケースの中だけではなく、人々の暮らしとともに生きて在ることに興味を持ったという。充実した図版掲載やバイリンガル化はもちろんのこと、絵金の没後から現代までをカバーする年表や幅広い参考文献のリストなど、「絵金の伝えられ方」という重要な「もうひとつの展覧会」の視点を編集の立場から示唆いただいた。
最後に、絵金本の頁をめくりながらの「なかみせ」紹介を簡単に行ないたい。
真っ赤なカバーからちらりとのぞく真っ黒な本体。黒をはらんだ赤とも、赤をまとった黒とも映る。「極彩の闇」というタイトルを「The Variegated Darkness」と英訳したように、絵金の血みどろ絵を象徴する赤は、ゆらめく蝋燭の灯りのもとで芝居絵屏風を眺める祭りの豊かな闇へとつながっていく。闇にまたたく極彩の色と光、それは波乱の生涯を駆け抜けた絵金自身でもある。
黒い表紙をあけると、挨拶文よりも論よりもまず先に、今年7月に高知県香南市赤岡町で撮影した祭礼写真が16頁続く。祭りの夜、老人がともした蝋燭の灯りは、屏風を見守る子どものまなざしのなかに受け継がれていく。美術館の展覧会場では、けっして伝えることのできない闇の文化を、地域と人々のあり方を、本ならば紹介できる。
4章にまたがる約300点の作品図版頁をさまよいながら、絵金作品と土佐独時の絵金文化の魅力をじっくり堪能いただきたい。その合間にはさんだコラムは、おどろおどろしさとともに絵金作品の大きな特徴である笑いに注目したもの、家族愛がにじむ《子供四季風俗図》や安政の大地震経験をもとに描かれた《土佐震災図絵》《絵本大変記》の紹介、顔料分析など最新の科学調査の結果など多彩。「映画や舞台を含め絵金を取り巻く没後の言説を素描」し、「絵金像の流布もフォロー」した年譜や参考文献からも、謎に満ちた異端の絵師に迫ることができるだろう。
ぜひ一度、この定本を手に、絵金世界に対峙してみてほしい。
絵師・金蔵生誕200年記念「大絵金展──極彩の闇」
『絵金──極彩の闇』