キュレーターズノート
早すぎる、遅すぎる──インスタレーションの膨張
阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])
2013年02月01日号
対象美術館
最近数カ月の山口情報芸術センター[YCAM]の活動のなかから、トピックとなった二つの企画を紹介したい。いずれも、表現形態としては、インスタレーションのバリエーション/発展形と位置づけられるものだが、一般的な美術展示のカテゴリーや制度のルーチンからは生まれにくい性格を持ったプロジェクトといえるかもしれない。展示においては、アートセンターのキャパシティを拡張する要素をどのように試行していくかを、同時に問いかけた提示をしていこうと考えている。
ライゾマティクス「pulse 3.0」
現在公開中の作品が、広告、公共空間デザイン、ステージ、デバイス開発などで、話題のメディアクリエーティブプロダクション「ライゾマティクス」による新作インスタレーション「pulse 3.0」だ。昨年末以来のauのCMおよびプロモーションイベント「FULL CONTROL TOKYO」の一連のイメージクリエーションが話題にのぼったのは記憶に新しいところだが、今年の2月に開催される第16回文化庁メディア芸術祭でも、エンターテインメント部門の大賞を「Perfume "Global Site Project"」で受賞しているので、ご存知の方も多いだろう。これは、テクノポップグループPerfumeのダンスクリエーションを、メディアテクノロジーの視点から再構築し、その成果を実際のライブのみならず、コレオグラフ(振り付け)の3Dデータをオープンソースとして流出させて、各種のクリエーターたちによるサイバーアートへの自由な応用と拡張を可能にした、プロモーションとしても完全に新しい発想に基づくものである。Perfumeというカリスマ・アイドルのコンセプト・プランと、クリエーターからエンドユーザーまで浸透していくアノニミティ(無名性)の、非対称的なブレンド感覚は、成熟したメディアクリエーションの次次元を予感させるといってもいい。
今回の、YCAMでの滞在制作によるクリエーションは、ライゾマティクスの真鍋大度のコンセプトによる、「pulse」シリーズの最新形となるもので、展示だけではなく、会期初日に、インスタレーションのシステムと空間を全面利用したダンスパフォーマンスを同時に前提にした制作という点で、まず通常の構成ではない作品である。しかも、この作品制作において顕著で面白かったのは、通常は、空間構成からシステムまで、事前に用意周到に時間をかけてプランニングしたかたちで進行するものなのだが、今回の場合は、ライゾマティクス(真鍋)のなかでいまブームが来ており、旬な利用が期待できると踏んだ有効そうなシステムやギミックなど、小分けにパッケージ化されたものすべてをYCAMに送って、そこから取捨選択して作品構成を考えるという、アイデア的にも、テクノロジーシステム的にもインプロヴィゼーションに近いかたちで制作が始まった点である。メディアアートプロジェクトとして、広告使用も含めて、超速攻的なサイクルで更新されるヴィヴィッドな表現感覚、フィット感を重視しており、その旬間的判断を最大限に生かすためということなのだろう。しかも、それがちゃんと現場で出来上がってしまう。メディアアートという概念が定着する前から、この手の作品やプロジェクトに立ち会ってきた筆者からすると、クリエーターの側面としても、ホストとしてのYCAMのスキルとしても、またハード的、ソフト的な処理速度としても、ここまで現状が対応可能となる、という隔世の感がある。これはオープンソース時代のリアクション/フィードバックの即効的浸透力と完全にパラレルな速度感覚といえる。制作とは、つねにワーク・イン・プログレスで、そこに完成という概念はないという時代に本当に突入したのだ。技術革新に終焉ははたしてないのか、という問いは残るとしても。いずれにしても今後、アートセンターには、それらが全面作用可能な機能的場所とスキルを提供しなければならなくなる制度革新が必要だろう。
もう1点、強調したいポイントは、これまでのステージ・アートでメディア・テクノロジーの先端形が利用されてきたケースでは、身体とステージ空間構成への理念とプランがあくまで先行しており、テクノロジーはそれを補完するもの、従属させられるものであったといえる。真鍋とYCAMとは、これまでさまざまなプロジェクトで、プログラマーやクリエーターとして関わってきたが、演出方針の絶対的位置や方法革新のなさに対する真鍋の強い不満があったことは理解していたが、それが動機となって、顔面神経をプログラムで強制反応させる《electric stimulus to face》のような身体をメディア・レセプター化した作品を発表したことは、十分納得できるプロセスといえる。つまり今回の「pulse 3.0」は、従来の演出空間に対して、まさに正反対の世界観として、プログラム化された空間/時間世界に、現実の空間やコレオグラフィ、ダンサーの身体までが、すべて適合化され、従属されるべくつくられた作品なのである。そこから、なにか別種の発見があるだろうということだろう。
ベースとなる作品構造は、プログラムが作り出す空間/時間に対して、小型ステージや3台のロボットアーム(クイックモーションで精緻に可動し、先端にはレーザー光線が搭載されている)などのリアルタイムの空間映像が撮影して、プログラムが生成する空間/時間へマッピングするものである。プロジェクション・マッピングの真逆のリアルテイク・マッピングとでもいえるようなシステムだ。ただし、撮影している動画のプロジェクションをリアルタイムで再撮影した場合、当然無限フィードバックループが起こってしまうので、それを避けるために、撮影機材を改造して、赤外線波長のみを検出するカメラと、赤外線のみをカットするプロジェクションを組み合わせて合成した映像が一つの風景のように映し出される。レーザーもプロジェクションもライトも、赤外光のみを放射しているため、観客の目からは、メディアスケープで起こっている事象は肉眼ではなにも見えず、ステージと身体(とトラッキングマーカー)の存在のみが見えている。しかしリアルタイムの合成映像には、プログラムで作り出されるすべての作動空間と現実空間が、フィードバックループなしにマッピングされて見えてくるという仕組みである。
芸術史的な視点から見ると、リアルな雑音に満ちた空間と数学的な抽象空間の中間に漂う、情報化された可視的でもあり不可視的でもある「空間と線」をどのように扱うか、という問題が派生してきて興味が尽きない作品ともいえる。真鍋はそのどちらをも、関係づけコントロールしたい、あるいはコントロールされたいと考えているからだ。会期中も、インスタレーションは、ワーク・イン・プログレスでその都度アップデートされてく予定で、場合によっては、パフォーマンスのアップデートもあるかもしれないので、作品公開情報にはご注目を。