キュレーターズノート

吉村芳生 展──色鉛筆で描く彼岸と日常

川浪千鶴(高知県立美術館)

2013年05月01日号

 今回は、現在開催中の吉村芳生展に関連して、吉村作品の再評価の軌跡を、個人的な印象とともにまとめてみたい。

 画家・吉村芳生氏(以下、敬称略)のプロフィールを、作家解説パネル風にまとめてみるとこうなる。
 1950年山口県防府市生まれ。山口芸術短期大学卒業後、周南市の広告代理店にデザイナーとして勤務。1976年創形美術学校に入学し版画を学ぶ。モノクロームの版画、鉛筆による自画像や新聞複写の作品を制作し、現代日本美術展や国際版画展等に出品を重ねる。1985年山口市徳地に居を定めたのちは、色鉛筆を使った細密な花の作品を主に手がける。地元公募展(山口県展)を長らく発表の場としてきたが、「六本木クロッシング2007・未来への脈動」(森美術館)出品をきっかけに、写真と見まがうほどの圧倒的な描写力と特異な作風に大きな注目が集まり、再評価が高まっている。2010年に山口県立美術館が企画した回顧展が好評を博し、2011年から1年間のパリ滞在を経て、2013年香美市立美術館(高知県)で二度目の個展を開催。


1──「吉村芳生 展──色鉛筆で描く彼岸と日常」(香美市立美術館、2013)での会場風景。右から《コスモス 徳地に住んでみえてくるもの(色鉛筆で描く…)》、《無数の輝く生命に捧ぐ》、《未知なる世界からの視点》


2──同、会場風景。右端は《ケシ》2005年

再評価の歩みと高知

 高知市内から車で30分ほどの距離にある香美市立美術館では、現在「吉村芳生展 色鉛筆で描く彼岸と日常」(5月25日まで)を開催している。実は同館は2007年にも「吉村芳生展 色鉛筆で描く花の世界」を企画した経験を持っている。高知ではほとんど無名と言っていい現代作家の個展にもかかわらず、ほぼ口コミだけで2週間で5,000人を超える観客を集める成果をあげたと聞く。6年ぶりとはいえ、同一作家の二度目の個展を行なうのは同館では異例の、初の試みとなる。
 吉村が2007年の「六本木クロッシング」で紹介されるきっかけをつくったのは、2004年の山口県美術展審査員として吉村のコスモスの作品を目にし、大きな衝撃を受けた椹木野衣氏である。そこから「30年を経て発見された新人作家」の評価が国内外に進展していったことはよく知られている。
 その一方、2010年の山口県立美術館企画の大規模回顧展「吉村芳生 とがった鉛筆で日々をうつしつづける私」開催にあたって、高知の画廊や香美市立美術館が大きな役割をはたしたことはあまり知られていない。
 吉村の個展開催の経験をもつ高知市内の画廊主が香美市立美術館の北泰子館長(当時)に吉村の作品を紹介し、興味をひかれた館長が山口県のアトリエまで吉村を訪ねたのが2004年頃。色鉛筆を使った花の作品に着手して間もなくの頃で、まだタンポポや蘭など単体の作品が主、パネルを組み合わせた作品は手がけ始めたばかりだったという。
 香美市立美術館での個展開催を承諾した吉村は、それから丸2年をかけて初の大作《コスモス 徳地に住んでみえてくるもの(色鉛筆で描く…)》(サイズ:162.0×336.6cm)を完成させ、2007年の初回顧展に出品した。その圧倒的な写実力は、予備知識など皆無の、ゆかりですらない土地の観客の心をつかみ、地元新聞の読者投稿に感想が相次いで寄せられたことから強力な口コミが生まれ、結果記録を塗り替える数の入場者を呼び寄せた。2007年の山口県展での大賞受賞や「六本木クロッシング」への参加以前の出来事である。
 さらに山口県立美術館の河野通孝学芸員(高知出身)が山口ゆかりの作家の評判を知り、香美市立美術館に足を運ぶ機会があったことが、2010年の山口県立美術館での吉村展企画へとつながっていく。こちらの展覧会でも、最終的には40日間でなんと43,000人の観客を動員している。地元でも知る人ぞ知るといった存在の現代美術家の個展としては、これは尋常ならぬ数字であり、事件といってもいい。一体吉村作品の何が観客の心をとらえたのだろうか?

個人的な出会いと再会

 私が吉村の作品に初めて触れたのは、1981年の福岡市美術館の企画展会場だったと覚えている。沖縄を含む九州全域、山口の在住者・出身者の若手作家を取り上げる「明日への造形−九州」シリーズの第1回展として企画された「変換と差異──複製技術社会の中で」展には、福岡在住の永崎通久と山崎直秀、そして1979年に東京から山口に戻っていた吉村の計3人が選ばれた。
 吉村の作品は、私の記憶では、風景写真を枡目で区切って規則的に写し取った《A STREET SCENE》、そして《ドローイング 新聞》シリーズなどが出品されていたと思う。
 プレス機を使って紙に転写された新聞のインクのごく薄い痕跡をもとに、時間をかけて克明に手で完全複写した《ドローイング 新聞》。印刷技術やコピー機を活用した差異化が特徴的な他の二人の作品と比べて、異質感や違和感はあった気はするが、システムやコンセプト重視のシミュレーション作品という企画趣旨に沿った印象のほうが強く残った。
 その後、アートシーンで久しく吉村の名前を聞くことはなく、2000年代になって福岡市内のデパートで花をテーマにした吉村展が開催されたとき、同姓同名の別人ではといぶかしく思ったことをよく覚えている。色鉛筆で鮮やかに描かれた、ポピュラーな花の写真のような小品と、「変換と差異」展で受けたモノクロームでストイックな印象がどうしてもつながらず、しばらくもやもやしたものを抱えることになった。
 そのもやもやは、2010年に山口県立美術館での初回顧展「吉村芳生──とがった鉛筆で日々をうつしつづける私」を待って、やっと腑に落ちることになる。
 吉村はずっと変わることなく(変わりようなく)日々刻々と自画像と新聞を描き続ける一方、写真プリントに引いた枡目を機械的に色鉛筆で埋めていく手法で、花の連作を描いていた。単純な手作業と気の遠くなるほどの時間をかけ続ける制作方法は、30年前と何一つ変わらず吉村の手中にあったのだ。

作品の彼岸と此岸

 香美市立美術館での今回の吉村展は、大規模個展としては三度目、回顧展としては山口県立美術館以降二度目の展覧会に当たる。再評価の歴史や前置きが長くなり過ぎたが、同展を振り返ってみよう。
 本展会場にはコスモス、けし、菜の花など、花をテーマにした大作の代表作が一堂に並んでいる。その中心となっているのは、横6メートルを超える藤の花を描いた最新作、東日本大震災とパリ留学をはさみながら3年越しで描かれた《無数の輝く生命に捧ぐ》である。花々の作品と向かい合うもう一方の壁面は、約300枚の新作の自画像で埋め尽くされている。パリ滞在中もタブロイド版の新聞紙を毎日買い求め、その日の新聞に鉛筆でその日の自画像を欠かさず描き続けた。一日10時間、5カ月かけて1000枚の《パリの自画像》シリーズを完成させている(パリだからこそより孤独な作業に集中できたようだ)。コンパクトな回顧展だが、花・自画像・新聞という吉村の集大成ともいうべき内容になっている。
 ここであらためて吉村展のサブタイトルに注目してみたい。2007年の香美市立美術館では「色鉛筆で描く花の世界」、2010年の山口県立美術館では「とがった鉛筆で日々をうつしつづける私」、そして2013年の香美市立美術館では「色鉛筆で描く彼岸と日常」と名付けられている。


3──《未知なる世界からの視点》(部分)2010年、サイズ=約2×10m
4──《無数の輝く生命に捧ぐ》(部分)2013年・未完、サイズ=約2×7m

 「吉村芳生展 色鉛筆で描く花の世界」という直截なタイトルはまさに作品そのまま。吉村の作品をめぐって何を、何のために描いているのかと問うことにあまり意味はなく、必然的にどうやって描かれたのかという点に関心は集中する。写真でもコピーでもないその制作方法は、花を写真に撮ってプリントし、細かく枡目を引き、それと同じ数の枡目を引いた紙に、ひとつずつ順番に色鉛筆で写しとっていくのみ。
 アトリエでの制作風景を収録した番組を山口県立美術館の会場で見て驚愕した。吉村は淡々と左端から、縦一列の枡目を順に描きつぶしていた。まさに人間スキャナー。どんな大作であれ、規則的に作業は進められていく。一枡ごとに作業は完結し、そうした行為としての細部が集積して、結果的に全体はかたちづくられていく。
 吉村のコスモスを前に椹木野衣氏が「思わずギョッとした」のは、「ひとつの絵だと思って見ていた対象が、近づいて見ただけで、いきなり無限へと分解され、しかもそのすべてが別様に震えながら振動していることを知って、僕らは一瞬、自分が目の当たりしている知覚そのものが信じられなく」なるからだ(「日々の集積、新聞的反復」[報告書『吉村芳生──とがった鉛筆で日々をうつしつづける私』、山口県立美術館、2012])。
 写真のような迫真性をもちながらも、それらは再現でもなければ表現ですらないのではないかと感じさせられる。椹木氏の感想と同じく、全体と細部をどんなに繰り返し見続けたとしても、見れば見るほど不安で不穏な気分が沸き起こり「見た」気にならない。留学先のパリでもほとんど出歩くことなく、日に5、6枚のペースで新聞紙に描かれた自画像もまた、一枚一枚は完結してはいても、集合体で展示された途端、何か得体のしれないものへと変貌していくかのようで無気味だ。
 しかし、この不穏さ、無気味さはまがまがしさと同時に、どこか不思議な崇高感を醸し出してもいる。高知と山口、ふたつの吉村展に日頃アートと縁の薄い人が数多く詰めかけたのは、超絶技巧をこらした写実作品の美しさだけとはいえない。身近な画題を鉛筆や色鉛筆といった身近な画材を使って描いていることへの親近感、そしてただひたすら描き続ける作家の「修行僧」のような姿勢に、人が日々を生きることへの肯定的なエールを受け取った人が少なからずいたからではないだろうか。 山口県立美術館の「とがった鉛筆で日々をうつしつづける私」というタイトルには、個の「私」と集団としての「私」が重なりあっているようにも思える。
 そして2013年の香美市立美術館のタイトルは「色鉛筆で描く彼岸と日常」。
 最新作《無数の輝く生命に捧ぐ》は、背景が真っ白のままで描かれていないこと、右端の部分が未完のまま展示されていることなど、これまでの作品には見られない特徴がある。東日本大震災をはさんで制作された本作に対して、一足飛びに「彼岸」世界を見るのはどうも感傷が過ぎる気がするが、彼岸と此岸のあわいに作品を立たせようとしているかのような作家の意志は、今後の何らかの変化につながるかもしれない。そういう予感を孕んでいる。


5──《パリの自画像》2011〜12年


6──《パリの自画像》2011〜12年

吉村芳生 展──色鉛筆で描く彼岸と日常

会期:2013年4月6日(土)〜5月25日(土)
会場:香美市立美術館
高知県香美市土佐山田町262-1/Tel. 0887-53-5110

報告書『吉村芳生──とがった鉛筆で日々をうつしつづける私』

編集・発行=山口県立美術館、2012年
執筆=椹木野衣、河野通孝
参考URL=http://www.yma-web.jp/exhibition/special/archive/yoshimurayoshio/index.html

学芸員レポート

 新緑の美しいこの時期は旅心を誘われる。4月20日、出張で久しぶりに倉敷を訪ねた。
 大原美術館では「オオハラコンテンポラリー」と題して、2002年以降特に力を入れている現代美術家の支援や企画展、レジデンス活動を通じてコレクションされた作品群を一挙公開している。老舗美術館の未来を見据えた戦略は興味深い。
 分館が主会場なのだが、ヤノベケンジや三瀬夏之介らの作品は、一部工芸・東洋館にも展示されていた。蔵づくりの工芸・東洋館は、大原美術館のなかでも私のお気に入りの場所のひとつ。民藝作家の陶器や染織、棟方志功の木版画、中国の石仏などが、それぞれ雰囲気が異なる小さな部屋に配され、木、石、陶などをさまざまな素材を使いわけた床やクラシックな木の展示ケースなどの肌触りも相まって、作品と見る人の距離が近く親密な空気を感じる。大原美術館の財産はコレクションだけでなく、受け継がれた建物や空間、場が記憶する歴史でもあることを実感させてくれる。
 そういう意味では、大原家の別邸だった有隣荘の特別公開は見逃せない。同じく2002年から春・秋の特別公開のどちらかの時期に、これまで十数名の現代美術家がここでのインスタレーションに挑んできた。
 今年選ばれた作家は、鉄を素材にしながらも、しなやかで軽やかな彫刻作品を手がけている、いまもっとも注目されている彫刻家・青木野枝氏。溶断・溶接された鉄を塀越しに運び込み、室内で慎重にボルトを使って大作に組みあげたとのこと。
 重要文化財の建築と鉄のインスタレーションという組み合わせは、一見異質だがあたかも自然な成り行きのようにそれらはそこに「在った」。青木氏の有隣荘への深い尊敬の念がそう成らしめたのだろう。輪をつなぎあわせた作品は、洋間ではサンルームやソファー、暖炉など、さまざまな部屋の構成要素との尽きない会話を楽しんでいるかのよう。和室では、伸びやかな竹のような作品が与謝蕪村の軸と対峙しつつも、画中の描線と呼応しており限りなく美しい。どの部屋も極めて居心地のよい、見事な作品空間を共存させていた。
 歴史と現代美術の絶妙なかけあいのおかげで、美しい季節に豊かな時間を過ごせたことに感謝したい。

平成25年春の有隣荘特別公開「青木野枝:ふりそそぐもの──有隣荘」

会期:2013年4月19日(金)〜5月6日(月)
会場:有隣荘
岡山県倉敷市中央1-3-18/Tel. 086-422-0005

キュレーターズノート /relation/e_00021505.json、/relation/e_00018981.json l 10086422
  • 吉村芳生 展──色鉛筆で描く彼岸と日常