キュレーターズノート
東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術、成田亨 美術/特撮/怪獣──ウルトラマン創造の原点、嬉野観光秘宝館閉館
山口洋三(福岡市美術館)
2014年05月15日号
東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術
日本近代美術史にはいくつかの「闇」があると思う。そしてそれはいずれも「戦争」が絡んでいる。そのひとつが戦争記録画。そしてもうひとつが、今回企画展となった「官展」の問題だろう。
現代の日本において「官展」はすでに死語であるが、1907(明治40)年開設の文部省美術展(文展、のち帝展)は、たんに数ある一展覧会であるにとどまらず、まさに日本の美術シーンの中心であり、権威であった。だから「官展」という語には、そうした時代とその制度のあり方まで含まれる。
その官展は、日本の統治範囲が台湾、朝鮮半島、満州と拡大するとともに、その地においても開催されていたことはあまり知られていなかった。西洋より日本に移入された「美術」はまずもって「制度」であったが、同様に台湾や朝鮮半島、そして満州においても、この「制度」が準用されたのである。いわば文化的な支配・統治の手段という側面もあったが、同時にかの地において「近代美術」誕生の制度的な土台を形作ることにもなり、戦後のそれぞれの美術史において重要な役割をはたす美術家を育てることにもつながった。本展でいう官展の「功罪」とはこの両面を指す。功も罪も入り交じっているから、日本、台湾、韓国から集められた130点余りの作品群の一つひとつを、素直に、イデオロギーも先入観も一切交えずに直視することはなかなか難しい。展覧会に花を添えるような名作も、誰もが知っている著名画家もここにはなく、はじめて眼にする作品が大半のこの展覧会において、どこをとっかかりに作品を見ていけばいいのか、戸惑いながら会場をめぐることになる。それでもいくつか目を引く作品があった。張偶聖(チャン・ウソン)《画室》(1943年、リウム三星美術館蔵)や、陳進(チェン・ジン)《サンティモン社の女》(1936年、福岡アジア美術館蔵)を見ると、その土地の郷土色を、日本人の期待に添うかたちで取り入れつつも、個人の表現として成熟させようとする画家の気概を伺うことができるのではないだろうか。
ちょっと残念だったのは、図録には掲載されている作家略歴や作品解説が、会場内にはなかったことである。多くの鑑賞者にとっては初見である画家の経歴、またたんに作品を見ているだけではわからない制作背景を説明することは、この展覧会では重要であるように思えた。素直に絵に向き合いつつも、その背後に想像をめぐらすこと。この時代のこの地域の美術を見るに当たって重要なことはこれであるように思えた。
本展は、各国、地域の研究者との共同企画展としての側面も持つ。主催館だけでなく、国内外の研究者の豊富なエッセイが、日中韓3カ国語(作品リストに到っては英語が入って4カ国語)で記載された図録は、今後のアジア近代美術研究の礎になることだろう(編集現場、想像しただけで鼻血でそうです……)。
今秋には福岡アジア美術トリエンナーレが5年ぶりに開催され(2014年9月6日〜11月30日、福岡アジア美術館全館+周辺地域)、横浜トリエンナーレや札幌国際芸術祭と会期が部分的に重なる。今年は空前の国内的(?)国際展ブームになりそうな予感であるが、福岡アジア美術館の足腰はむしろ今回のような企画展によって鍛えられている。所蔵品にもアジア近・現代美術の重要作品が多い。しかし残念ながら(あまり他館のことは言えない、というかこれは福岡市の文化振興施策全体に言えるが)効果的な広報、普及が行なわれていない。アジア美術館の開館は1999年で、開館して15年を迎えるが、アジア現代美術への取り組みは1979年の福岡市美術館開館から始まっているのだから、かれこれ35年ということになる。私自身は、就職のタイミングもあって福岡市美〜アジ美のアジアへの取り組みにほとんど関与しなかったけれども、この市民への普及率の低さはどうしたものか。根本的にどうかしたほうがいいんではないか、とか、いままでなにやってたんだろう、と(独り)怒りがこみ上げたり……。
東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術
成田亨 美術/特撮/怪獣──ウルトラマン創造の原点
成田亨展の準備が佳境である……。ちょっと取りかかりが遅くて(ま、いろいろあってね)ばたばたと作品撮影と図録台割りなどを進行させているところ。富山県立近代美術館の三木敬介学芸員、青森県立美術館の工藤健志学芸員とともに、ときどき東京の成田流里氏の元に集まっては、展覧会の内容、作品の調査などを行なってきており、今年7月には富山県美で立ち上がることになっている。先だって4月中旬には、成田が1990年に手がけた《鬼のモニュメント》(京都府福知山市大江山)と関連の作品を調査し、連休前には、図録掲載候補となる300点以上の作品の撮影をカメラマンさんの手際の良さも手伝って、なんと2日間で行なった。出品総数は(私が企画に関わったこれまでの展覧会と同様、泣笑)600点を超えそうで、過去最大にして、決定版の成田亨展になることは間違いない。
成田亨(1929-2002)って誰?という若い世代も多いことだろう。人を説明する前に、ガラモンやケムール人、そしてウルトラマン、ウルトラセブンの生みの親だよ、と言ったほうが早いだろうか。初期ウルトラシリーズ(ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン)に登場する主人公の超人や怪獣、宇宙人といったキャラクターのデザインやメカニックは、いまや世代を超えて親しまれているが、その仕事は残念ながら作者の名前とともに語られてはいない。特撮マニアのあいだではすでに神的な存在であったが、これにとどまらず近年しばしば美術の文脈で彼の名前が俎上にあがるようになってきた。それは、美術評論家の椹木野衣氏が企画した「日本ゼロ年展」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、1999)に、成田のウルトラ怪獣デザイン原画を選んだこと、そして青森県が、2006年に開館予定の県立美術館の所蔵作品の目玉のひとつとして、その原画189点を収集したことなどがその大きな要因としてあげられる。デザインでもなく、サブカルでもなく、「美術作品」として成田作品を収集展示する同館の功績は大きい。
もうひとつの大きな要因は、成田がそもそも「彫刻家」であり、「美術家」としての意識を明確に抱いていたことである。特撮作品の制作主体の要請に応じてデザインをおこすというデザイナーとしては当たり前の仕事を、成田は「美術家」としての矜持を失うことなくこなしていた(この矜持は、しかしやがて到来するさまざまな局面での商業主義的な風潮とぶつかることになる)。成田の仕事は、ウルトラ関係だけが突出してポピュラーである半面、他の特撮関係の仕事はあまりにマイナーであり(『突撃!ヒューマン!!』とか『円盤戦争バンキッド』って知ってますか?)また他方、彫刻作品はほとんど残っていない。青森県立美術館が収蔵したからということもあって、どうしてもウルトラ関係の仕事ばかりがクローズアップされがちである。しかし、実際に調査してみれば、「ヒューマン」「バンキッド」関係のキャラクター原画のユニークさはウルトラシリーズにひけを取るものではないし、また未発表のままになった怪獣・宇宙人デザインも相当あることがわかった。特撮マニアに限らず、一般の美術ファンにとっても見所の多い展覧会になるだろう。
成田亨 美術/特撮/怪獣──ウルトラマン創造の原点
嬉野観光秘宝館閉館
ちょうど4年前の私のレポートに、嬉野観光秘宝館の訪問記がある。あのころすでに、秘宝館の閉館のうわさは飛び交っていたが、ついに今年3月31日、(一部に)惜しまれつつ本当に閉館してしまった。「ああ、ついに閉館かあ、どれもう1回くらい弁天さんのご尊顔を拝みに行くか」と準備(?)していたら、4月20日に閉館イベントが開かれるとのこと。題して「嬉野観光秘宝館のお葬式」。お馴染み都築響一の秘宝館や日本の「性」にまつわる現代文化についての濃厚トークが開催され、その後来場者は館内を一巡。渚ようこ、前野健太、倉地久美夫のライブコンサートが「ハーレム」を舞台に開かれた。250人ほどの来場者は佐賀、福岡からが中心かと思いきや、関東方面からも結構来ていた。都築氏のトークはいつもながらサービス精神満載で、3人の歌手のライブはたいへん質が高かった。ライブ終了後に行なわれた展示品オークションで、会場の熱気は最高潮に。閉館し、展示物もろとも破壊の憂き目にあった秘宝館が多いなかで、こうして閉館イベントが開かれ、展示品が引き取られた嬉野観光秘宝館は、ある意味幸せな最期を迎えることができたといえるかもしれない。屋外にあった全高17メートルのあの観音像も某所に引き取られていったそうです。そしてあの艶めかしき嬉野弁財天も……。運ぶの大変ですね。主催者のみなさん、こうしたイベントを開いてくださり本当にありがとう。そしてたいへんお疲れ様でした。
三つの話題で書いてみて、ばらばらで節操ないなあ、と思いきや、なにか歴史の狭間に埋もれた「闇」にいずれも触れていることに気がついた(まとまってよかった)。