キュレーターズノート

THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ

角奈緒子(広島市現代美術館)

2016年12月15日号

 The Play(プレイ)とは、1960年代後半から活動を開始した、「行為」に取り組み続ける美術家集団である。基本的には、池水慶一、小林愼一、鈴木芳伸、二井清治、三喜徹雄の5名からなるグループだがメンバーは流動的で、なんらかのかたちでプレイの活動に関わった人の数は100名を超えるという。彼らの活動のもっとも特徴的な点は、かたちに残る「作品」をつくるのではないということである。何をするのかというと、まずメンバーが集まって「行為」を計画するところから始まり、その行為を実現するために準備し、実行し、そして報告するのだ。そんなプレイにとって美術館での初個展「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」が、現在、国立国際美術館で開催されている。


展示風景(《雷》実物の約3/4の大きさ)
[写真すべて 提供:国立国際美術館、撮影:福永一夫]

 プレイの個展が開催されると聞いたときから、これはぜひとも見なければと思っていた。その理由はいくつかあるが、ひとつは単純に、プレイの活動の全貌を知ることのできる機会だからである。67年に活動を開始した彼らの動向を、当然筆者はオンタイムで追うことができるはずもなく、彼らの活動は半ば伝説のように、部分的にしか知らなかった。プレイのメンバーたちによる活動の始まりは、60年代に多く試みられた演劇的パフォーマンス、出し物、または儀式のようないわゆる「ハプニング」だったようだが、ほどなく彼らの行為は、「旅」という要素を含むようになる。発泡スチロール製のイカダで川を下る、地図上につけた×印の地点で待ち合わせをする、羊を連れて京都から三宮まで徒歩で旅をする、山頂に塔を建てそこに雷が落ちるのをひたすら待つ、など、行動範囲やスケールこそ大人の企てだが、発想自体はまるで少年の冒険のようだ。ある目標を設定し、おのおのが担当として引き受けた仕事を、責任をもって果たし、目的達成のために邁進するという集団のあり方は、さながら会社組織のようにもみえるが、彼らの活動は言うまでもなく経済的活動の埒外にある。ひとつのゴールを実現すべく全員の知識を総動員してプランを練り上げていく過程では、意見の相違などもあっただろうと想像するが、彼らの活動がこれほどの長きにわたって続いたのは、知識と頭脳を使って周到に用意した行為を、実際に身体を動かして実現した暁に味わう達成感が大きかったからではないだろうか。
 彼らの個展に関心を抱いたもうひとつの理由は、絵画や彫刻のように、ハプニングやパフォーマンスといったかたちとして残らない一過性の行為による作品を、展覧会というメディアにどのように落とし込んでいくか、という、紹介する美術館側にとってはある意味最大の難関をどうクリアするのかという点だ。作品というかたちとして残らないのだから、展示されるものはおのずと関連「資料」になることは想像に難くない。実際に展覧会を構成していたのは、活動を告知するため、または参加者を募集するためのチラシやポスターといった印刷物、計画に際してやりとりが発生した手紙やファックス類、メンバー用の計画書やスケジュール、活動の最中を撮影した記録写真や映像、当時の雑誌等で紹介された記事、そしてパフォーマンスで実際に使用した原寸大の資料。想像していた以上に資料は厳選され、整然と展示されているという印象を受けたが、これは、単管パイプとベニヤ板でつくられたシンプルな仮設壁に、「解説パネル、プラン、各種印刷物、記録写真、映像用モニター、紹介記事」を一セットとした、統一されたフォーマットで紹介されているためだろう。比較的小さな紙媒体の作品や資料を平置きで展示して紹介する、いわゆるのぞき台と呼ばれる展示ケースがほとんど使用されていないのもなかなか大胆な展示だ。また、過去の「行為」が実現された順、つまり時系列に並べられるのではなく、行為の内容によって分類されていたことも、すっきりとした展示を可能にするという点では効果的に感じられた。さまざまな種類の資料を見ながら感じたことは、「儀式」「パフォーマンス」「アクション」の痕跡(副産物)としての作品があるわけではない彼らが、どうやって自分たちの行為の足跡を残していくかということに対して、最初からかなり意識的だったのではないかと思われたことである。例えば、チラシなどの広報物ひとつをとっても、デザインの方向性はある程度統一されており、ブレはほとんど見られない。それを「戦略」と言ってしまうとあざとく聞こえるかもしれないが、思いつきではなく、すべてが用意周到に見えるのだ。「行為」を記録しきちんと残していくことへの意識の高さは、彼らが自ら発行していた『PLAY新聞』や記録誌『PLAY』の存在からもうかがえる。





展示風景

 今回のプレイ展は、美術館に残されていた当時の貴重な資料の調査、整理に端を発した展覧会と聞いている。作品や資料の地道な調査が展覧会として結実する、ということは学芸員冥利につきるし、美術館活動として正しいあり方だろう。美術館においても、各種資料の重要性が認識され始め、アーカイブ整備の必要性が声高に叫ばれるようになって久しいが、この展覧会を通して改めて、美術館での資料アーカイブは可能かということを考えさせられることにもなった。美術館において、各種「資料」の立場は実は微妙だったりもする。なぜならば「作品」こそがいわばもっとも重要な資料(収蔵物)なのであり、作家によるプランドローイング、作品指示書、ときには作品への思いが綴られた手紙やファックスといった作品に関する「資料」はそれに付随するものという位置づけだからである。これらの資料のなかでもさらに、残すに値するとみなされた重要なものだけがアーカイブされることを許される。この時点で、残す/残さないの取捨選択がなされるわけなのだが、重要かどうかを判断するのは誰で、その基準はどこにあるのだろうか。資料の重要性は、視点をどこに置くかによって変わってくるはずである。理想の資料アーカイブの姿とはおそらく、あらゆる資料が優劣なく保管されている状態で、取捨選択のフィルターに通されるのはあくまでその資料の使用時であって、アーカイブ時ではないのではないだろうか。ただ、そのように徹底してすべての資料を保存していくとなると、それこそ膨大な量の資料を美術館が抱え込むことになるが、果たしてそれが現実的に可能なのかどうか。さらに問題を押し広げるならば、いまはあらゆる情報がデジタル化されており、資料が「モノ」としてさえも残りづらい状況にある。かつての手紙やファックスはメールに、フィルムから焼き増しできた写真はjpgやtiffデータに、VHS、miniDVなどのテープやDVD、ブルーレイといったディスクに記録されている動画でさえもデジタルデータにとってかわっている。紙媒体ではなくウェブ上で配信された記事や論考を検索しようとして、Not Foundというページに行き着くという虚しい経験をしたことのある人もたくさんいるだろう。こうしたデジタルデータは、気づかないうちに消滅してしまっている。こうしたデジタル化された情報をいかに保存していくべきなのか。
 各種「資料」で構成されたプレイの展覧会は図らずも、おそらく多くの美術館が直面しているはずの問題をも再度気づかせてくれる内容であった。


展示風景(手前《ナカノシマ 現代美術の流れ》)

THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ

会期:2016年10月22日(土)〜2017年1月15日(日)
会場:国立国際美術館
   大阪府大阪市北区中之島4-2-55
   TEL:06-6447-4680

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