キュレーターズノート
飛生芸術祭2017
岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)
2017年10月01日号
札幌では、2回目となる「札幌国際芸術祭」が10月1日、盛況のうちに幕を閉じた。ゲストディレクターとして迎えられた大友良英氏がその辣腕ぶりを発揮し、他にあまり類例を見ないような異種混合的な総合芸術の祭となった。
じつは、このとき、9月11日から17日までの一週間という短い会期ではあるが、飛生アートコミュニティーを会場とする「飛生芸術祭2017」が同じ北海道で催されていた。
飛生アートコミュニティーが培ってきたもの
場所は、白老町。札幌を起点とすれば車で2時間ほどの距離。札幌から支笏湖へと南の方角に引く直線をさらに延ばして太平洋岸にまで到達させた辺りである。JR室蘭本線の竹浦が最寄り駅。そこから会場までは6kmある。時間と脚力のある方なら徒歩でも良いのだろうが、車を運転する道すがら、私が見かけた歩行者はほとんどいない。タクシー会社が駅の近くにあるようなので、事前に手配しておけば連絡よく先に進められるかもしれない。ところで、申し遅れたが飛生は「とびう」と読む。お察しの通りアイヌ語に由来する。ネマガリダケ(笹の一種)の多い所という意味らしい。後に漢字が当てられたわけだが、印象の良い美しい字で構成されていて、私は好きだ。ただ、残念ながら、現在、この地名は行政的には生きていない。
さて、飛生アートコミュニティーとは、およそ30年前に廃校となった小学校校舎と校庭、林地を含むその敷地全体を指す。校舎は木造の平屋。これら丸ごと屋内外ともに展示スペースとしてきた美術の祭典が飛生芸術祭だ。その会期直前の2日間に夜を徹して行われる野外音楽フェス「TOBIU CAMP」(2015年までは芸術祭の直後2日間に実施)とともに毎年9月、これまで9度の開催を重ねてきた。運営はともに彫刻家の国松希根太氏と「TOBIU CAMP」ディレクターの木野哲也氏ら飛生アートコミュニティーに集う有志たち。すなわち民営である。ここには、仕事の関係で何度か訪れたことはあったが、芸術祭期間に訪れたのは、これが初めてであった。
まず、客層に驚いた。○○芸術祭、ビエンナーレ、トリエンナーレとなれば、得てして20代、30代の女性単独、もしくは友だち同士というのを散見しがちであるが、ここで目立ったのはさらにぐっと年齢が下がって小さな子どもたちだった。当然、お父さん、お母さんらも加えた家族である。今回は、元教室を会場として特に若年齢層に支持される奈良美智氏の個展も開催していただけに、やはり意外であった。過ぎる主観と管見ついでに続けてしまうと、大抵こういった場で出くわすはずの北海道の美術関係者にも一人くらいしか出会わなかった。訪れたのが最終日ということもあって、来場者はとても多かったのに(ちなみに、会期中の来場者数は過去最多を記録)。想定していたものとは違っていたことにのっけからなにやら気分は昂揚した。さらに気分を盛り上げてくれたのは、その内容の充実ぶりである。
会場は旧校舎内と屋外に分けられる。屋内のメインはやはり「奈良美智個展 飛生にて」。その題が示すとおり、奈良氏がここ飛生に滞在するなかで制作されたものがほとんど。タブローや粘土の頭像、素描や写真、プラスチック製のスプーンやコップなどに手すさび的に描かれた絵など、古い木造建築と奈良ワールドは実によくマッチする。
最も圧巻だったのは、5人の少女を描いた大きな縦長のドローイング。描かれているのは、飛生の少女たち。「TOBIU CAMP」においては、『指輪ホテル』という芝居にも出演した名子役たちだ。飛生アートコミュニティーに関わる地域住民の男性「キヨさん」お手製の木炭で描かれているところが、また微笑ましい交流が育まれていたことを伝えている。実際、鑑賞の後、校舎のすぐ側のベンチに座っていると、同じく外にいた奈良氏のところにその少女たちが駆けよって心を許している様子が見て取れたし、そこにあの「キヨさん」がやってきて、木に限らず、その辺りの草であっても炭にできるという自慢に皆が素直に感心していたところ、奈良氏からのフレンドリーなツッコミが入って、またそれが可笑しかった。アーティスト・イン・レジデンスの成果は作品たちに如実に滲み表されていた。なお、こうした滞在制作は、2015年に淺井裕介氏、2016年に中根唯氏に続いて3度目であった。
神話のための舞台づくり
もちろん、校舎周辺の林地「飛生の森」に設置された作品たちもまた充実していた。あらかじめ告知されていた時刻にあわせて作品解説ツアーに加わったのだが、それがまたもあの「キヨさん」だった。「キヨさん」は美術家ではないが、ガイド役を買って出てくれたのだ、と国松希根太氏から後で聞いた。そもそも解説ツアー自体、予め企画していたものではなかったらしい。しかし、「キヨさん」のそれはなかなか堂に入ったものであった。楽しく、理解し易く、これまでに「キヨさん」がいかに芸術祭と深く関わってきたかを知ることができた。飛生アートコミュニティーは、芸術祭を契機に、いや厳密には回を重ね、拡大していくなかで美術家の智恵や技術だけでは立ちいかなくなり、土木や農業などのさまざまな職種の人々、子どもたちやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんなど地域との関わりがぐんぐんと深まる経過を辿ったという。そうして地域のなかにぽつんとあった若手美術家のためのコミュニティから、アートを通じてさまざまな人が交差するふくよかなコミュニティへと変身を遂げていった。先に触れた客層の偏りのなさはここに起因しているのかも知れない。
作品もまた、その場限りで撤収されるという一過性のものばかりではなく、そのまま設置され、都度、変化が加えられている。例えば、この地にゆかりの深いネマガリダケで編まれた石川大峰氏の手になるトンネル状の作品《Topusi》はいまだに拡張が進んでいるし、小助川裕康氏と国松希根太氏による巨大な鳥の巣《Tupiu NEST》には、このたび大きな白い卵(木製)が加えられた。とても手の届かない高いところにその巣はあるため、中は確認できない。実は、この作品も飛生の地名に関係している。この地にかつて数多く棲息していた黒い鳥「Tupiu」に由来するという異説がある。現に国松希根太氏は幼き頃(実は小学3〜4年生の2年間、ここ飛生アートコミュニティーで生活した経験あり)に、ここで大きな黒い鳥に出会ったことがあるという。その記憶と、今、この地で目指す方向とが相まって生まれたのがこの作品であった。上の右の図版の右奥にはその鳥の巨大さを表す羽根がひとつ木に挟まっている。もちろん、これは国松希根太氏による木彫作品《Tupiuの羽》で、創作物ではあるけれど、しかし、ここに国松希根太氏が目指す森作りの指針が示されてもいる。先述の「キヨさん」や「奈良さん」の場面のなかで、彼はこんなことを私に教えてくれた。この森に制作、設置しているものは、ひとつの舞台の大道具みたいなもの。つまり、この森は神話のための舞台なのだ、と。故に、舞台となる森を整え、物語を膨らませる大道具としての作品をしつらえる。それがこの地で目指す方向。最初はどちらかというと音楽色の強かった「TOBIU CAMP」に、近年、演劇の要素が加えられるようになったのも、そういった理由らしい。展示された作品、いや大道具として設置されたすべての作品についてここで言及することは控えるが、いずれも良質で、飛生アートコミュニティーが目指す森づくりの理念が各々にきちんと染み渡っていることを痛感する。ちなみに、今回は3点の新作を加え、総計19点となっている。
飛生芸術祭は、サブタイトルを都度変えることをしない。一貫して「僕らは同じ夢を見る─」である。ここにも揺らぐことのないよう向かうところ一つといった強い志が感じられる。アートによる地域振興、社会に求められるアート、といった字面が並ぶアートマネジメントの文脈に飛生芸術祭を据えてみると、どうもしっくりこない気がする。奈良氏も自身の個展会場に寄せた文章の中にこんな一文をしたためていた。「TOBIU CAMP/飛生芸術祭は、その手のもので今まで経験したどのようなものとも違っていた。上手くは説明できないが、今ここにいてこの文章を読んでいる人ならばわかってくれるだろう」と。概して、祭りが過ぎた後は、築かれたはずの地域との関係や、社会におけるアートの役割がリセットされて何事もなかったかのように前の姿に戻ってしまいがちだ。ところが飛生芸術祭は、むしろ、これを契機に次々と積み上げられていく。そんな堅固な構造が感じられるのである。しかもその最終目標は、一般的な計画書などでよく目にする「地域の活性化」でも、「経済効果」でもなく、また、「アートの町創成」とかでもない。もちろん、作り手側の独りよがりな夢探しでもない。例えば、大きな黒い鳥が舞い降りる、というのは夢だが、その日のために舞台作りを皆で行うということは、具体的な実現目標である。そもそも祭りなるものは、多かれ少なかれ、そのような図式で生まれてきたはずである。私は、ここに、とある村でひとつの祭りが発生し、継がれ行くという最も自然な縁起を見ているような気がしてならない。