キュレーターズノート
名古屋の港まちをフィールドにしたアートプログラム「MAT, Nagoya」
吉田有里(MAT, Nagoyaプログラムディレクター/港まちづくり協議会事務局員)
2017年10月15日号
「アートそのものは、まちを変えるためには存在していません」。まちづくりの活動と連動したアートプログラムとして挑発的かつスリリングな言葉をスローガンに掲げて走り出したMinatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]の活動が、港まちというどこか懐かしさの漂う、けれど特異な場所で何ができるのか。ここではこのプログラムについて、また現在開催中の、港まちを舞台にしたアートと音楽のフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ 2017」(2017年10月14日[土]〜12月10日[日])について紹介したい。
「港まち」の変遷
私たちの活動エリアである「港まち」とは、名古屋港にある創立100周年の「西築地小学校」の学区とほぼ重なり、名古屋市営地下鉄「名古屋港駅」から「築地口駅」の2駅を結ぶ約1km圏内のエリアである。
かつてはにぎわいのあった名古屋港駅周辺だが、船の大型化やオートメーション化に伴い、産業港としての機能が約10km離れた「金城ふ頭」に移った。名古屋港は、地元トヨタを筆頭に東海圏のものづくり産業を支える港として、全国で1、2を争う輸出量を誇る港である。港としての機能を終えた名古屋港駅周辺には、1980年代の都市計画によって水族館などのアミューズメント施設ができた。輸出入を支える海運会社の本社は、現在でもこのエリアに拠点を構えている。
1990年代〜2000年代初頭にかけては、倉庫を活用したアートプロジェクト「アートポート」や、YBAのアーティストなどを紹介していた「コオジオグラギャラリー」といった、現代美術の実験的な取り組みが行なわれていたエリアである。特に「アートポート」は名古屋市の事業として、全国でも先駆的な取り組みであり、数多くのアーティストが関わっていたが、名古屋市の方針で「名古屋港イタリア村」という複合商業施設にシフトチェンジし、その活動を4年で終えることになった。その後もアートプロジェクトがまちなかでいくつか実施されてきた。
港まちエリアの北にある「築地口駅」周辺は、「名古屋港駅」の動きに取り残されるようにして、「築地口商店街」という昔ながらの商店街に公設市場や商店が軒を列ね、いまなおどこか懐かしさを感じる下町の風情ある街並みが残るエリアである。
2008年、「築地口商店街」の一角に「ボートピア」という場外舟券売場ができた。この「公営ギャンブル」は迷惑施設と位置づけられることから、住民の反対運動も巻き起こったそうだが、地域住民との協議のすえ、このエリアに収益の1%が「環境整備協力費」として、還元されることが決まる。その1%が補助金としてこの学区に還元され、まちづくり活動に利用されるということで、「港まちづくり協議会」が発足したのである。
「港まちづくり協議会」では、道路や公園の整備などの公共的なハード予算と、まちづくり部分のソフト予算を企画事業費として振り分けし、さまざまな取り組みを行なっている。海に近いエリアであることから、地域住人や企業と共に協働している防災の取り組み、子育ての支援、地域の祭りの支援、近隣の飲食店や店舗を紹介するイベント、植栽帯をハーブガーデンに変えるガーデンプロジェクトなど、地域と連携して、コミュニティを育む活動を続けてきた。
2013年に作成した「港まちづくり協議会」の方針計画「VISION BOOK」では、アートを取り入れたまちづくりの計画が提議されることとなる。
Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]の活動
さて、私が「あいちトリエンナーレ」をきっかけに愛知に来たのが2009年。もともとは「アートポート」にも携わっていたPHスタジオ代表でもある池田修さんがディレクターを務める「BankART1929」で5年間スタッフとして仕事をした後に、「あいちトリエンナーレ」の長者町会場の担当として2回のトリエンナーレに関わった。「あいちトリエンナーレ2013」の開催後の2014年に「港まちづくり協議会」がアートを取り入れたまちづくりをビジョンとして掲げていたことから、事務局員として「港まちづくり協議会」に入ることになった。
これまでアートの現場で働いてきた私にとって、言葉の違い、考え方の違い、目指す方向の違い、あらゆる違いが生じることを実感して、最初はどのように物事を進行して行けばよいものか、悩むこともあった。ただ、アートのフィールドではない場所から考えることで気づきや発見も多くある。
まちづくりについては、まだまだ現場で実践しながら学んでいることも多いが、これまで都市やまちに対して抱いてきた疑問やまちを舞台にしたアートプロジェクトの状況に対しての考えを自分なりに整理し挑んでいる。まちづくりの現場で、アートの仕事をする(つくる)というのは、なかなか困難な作業であった。文化予算ではない公金を使って、アートのプログラムを運営していくことでさまざまな課題や“違い”が生じ、苦戦することも多く、その都度、説明や交渉を幾度も重ねている。
2014年、このまちのリサーチとともに、空き家を活用した拠点づくりを始めた。このエリアには、かつての店舗、住宅、倉庫とさまざまな用途の空き家が多い。数年間空き家であった旧文具店を改修し、まちづくりとアート活動が同居する拠点として「港まちポットラックビル」を立ち上げた。「ポットラック」とは、持ち寄りの、ありあわせのという意味から、この場所にさまざまな人が集い、アイデアを持ち寄ってほしいという願いがあった。
2015年に、この拠点を中心として、エリアを横断するアートプログラムを立ち上げることになる。私個人の意見や視点だけではなく、複数の意見を採用するかたちで、共同ディレクターである、アーティストの青田真也さん、アートマネージャーの野田智子さんと共に「MAT, Nagoya」がスタートした。青田さんは、愛知県立芸術大学院修了後、名古屋を拠点に活動するアーティストで、「あいちトリエンナーレ2010」に出展アーティストとして参加し、その後、「あいちトリエンナーレ2013」では長者町の住民たちと協働して、誰もが立ち寄れる「VISITOR CENTER AND STAND CAFE」の構想や立ち上げ、運営をしていた。野田さんは、アートマネージャーとしてアーティストのプロジェクトマネジメントに関わりながら、アーティストユニット「ナデガタインスタントパーティー」のメンバーとして、「あいちトリエンナーレ2013」の出展をきっかけに名古屋に移り住んでいる。
2回の「あいちトリエンナーレ」を通じて感じたことや考えたことを、名古屋を含む東海エリアでどのように活かすことができるか。長者町で新作をつくるアーティストのリサーチに同行していたことから、気がついたことがある。彼らが作品を制作するとき、そこに住む人、暮らす人にとっては、日常的で気づくことのない、さまざまな特筆すべき事に出会う。それは、景観の一部であったり、まちの歴史や新たな発見、そのまちに伝わる都市伝説のようなものであったりとさまざまであるが、彼らが作品をつくる過程でそのまちを深く知る、観るからこそ発見する事柄である。それらのアイデアから作品につながる場合もあるが、気がついたいくつかのコトやモノは、作品にはならずに昇華されてしまう。その気づきをまちづくりの担い手が共有し、デザインや建築のアイデアの種にできたら。外から来たアーティストの視点を、まちづくりの人たちが引き継ぐことができたら、展示とは別のかたちでまちに還元できるのではないか。MAT, Nagoyaの活動は、まちづくりをベースにアートにどのようなことができるのかを真摯に受けとめて、宣言文としている。
「アートがまちを変えたりはしないけど、アートの存在やアーティストを受け入れることのできるまちは、異なった価値観を受け止められる、多様性のあるまちになるだろう」という思いを込めて、アートがまちのテーブル(議論を展開する/思考のきっかけとなる)になるように「Table=机」という言葉を名づけた。
MAT, Nagoyaの主な取り組みでは、「港まちポットラックビル」の3Fスペースをホワイトキューブに改修し、そこで「MAT, Exhibition」と名づけてキュレーターやアーティストと共同して、定期的に展覧会を開催している。また、「港まちポットラックビル」から徒歩1分のほどの場所で空き家となっていた旧手芸店をアーティストの渡辺英司さんが改修し「ボタンギャラリー」(改修のときにボタンを拾ったことに由来する)として展示を行なっている。
東海エリアには3つの美術大学があり、この地を拠点にしているアーティストも多い。ただ、どうしてもジャンルごとや大学別での交わりとなりがちで、アートだけではなく建築やデザイン、まちづくり、都市計画など、さまざまな分野の垣根をこえて、自然と人が交流する仕掛けをつくるために「ポットラックスクール」の企画も行なっている。
また、「港まちポットラックビル」2Fでは、まちのアーカイブプロジェクトなどを中心に、「まちづくり」と「クリエイティブ」をかけ合わせたプロジェクトを展開している。
ここでは、招聘したアーティストや「ポットラックスクール」のゲスト、この港まちを訪れる人々から、このまちの気づきを「声」として集めて、まちの定点観測を行なっている。
そのほかにも、トークイベントやワークショップ、アーティストに空き家をスタジオとして提供し、制作をサポートする「スタジオプロジェクト」、アーティストユニットL PACK.と共に活動を続けている「モーニング」のイベントなどさまざまな企画を行なっている。
アッセンブリッジ・ナゴヤ
2016年には、クラシック音楽と現代美術のフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ」がスタートした。現代美術展とは、まちの資源を生かし、まちを庭と見立て、回遊しながら作品とまちを楽しむことのできる展覧会である。「パノラマ庭園─動的生態系にしるす─」というタイトルのもと、リサーチを通じて、新作の発表も含めた計18組のアーティストが参加した。庭は、人工的に手を加えられた自然でもあり、まちも同様に生態系を帯びていく。このエリアをリサーチして制作された作品を鑑賞しながら港まちを歩くことで、鑑賞者は自然とまちを俯瞰して見たり、細部に気づき、まちを楽しめるような仕掛けとなっていた。
空き家を改修した会場のいくつかは、会期後にアーティストのスタジオとして転用することで、このエリアにアーティストの滞在場所を増やしていく長期計画を行なっている。フェスティバルだからこその求心力を持った活動と、まちづくりと連動した継続的な活動を組み合わせて、少しずつ活動が積み重なっていく。現在はアーティストの宮田明日鹿さんが「スタジオプロジェクト」への参加をきっかけに、この場所をスタジオとして活用している。
アッセンブリッジ・ナゴヤで昨年に引き続き継続しているプロジェクトのひとつが「UCO」である。20年間、空き家となっていた旧潮寿司を、建築家や構造家、工務店の大工などと共にワークショップ形式で、十数回に分けて大掛かりな改修プロジェクトを行なった。改修工事の後、アーティストユニットのL PACK.がコーヒーが飲める社交場「UCO」としてスペースを開いた。
昨年はこの場所で、1970年代にNYで活動したアーティスト、ゴードン・マッタ=クラークの2つの作品を展示していた。1974年に発表された《Splitting》は、当時のスクラップアンドビルドの社会状況に反抗するかのように、彼自身が建物を分割するアクションをフィルムに収めた映像作品で、もうひとつは彼がアーティスト仲間たちとソーホーに構えていたレストランでありプロジェクトでもある《FOOD》である。アーティストにより運営されていた食堂の1日をドキュメントした映像を20年放置されていたこの場所にインストールしたところ、約40年の時を経て、彼が社会に直接働きかけていたアクションが、時間や場所を超えてもなお、人々の生活が営まれる「まち」が会場であるからこそ、その活動が地続きに立ち上がって見えてくるようであった。
2017年10月14日から開幕したアッセンブリッジ・ナゴヤは、昨年と同タイトル「パノラマ庭園ータイム・シークエンスー」のもと、日本を代表する作曲家、一柳慧が1976年に発表したピアノ曲《タイム・シークエンス》に着想を得て、時間の流れと土地や場所の関係や生成変化に焦点を当てる構成となっている。「シークエンス」は多様なシーンの連続を意味する言葉で、映画や建築などでもよく用いられるが、アートを通じて港まちのさまざまなシーンが連続されることで、文化的な生態が育ち、まちの風景が動いていくことを企図している。
時間と空間の連続性だけでなく、ときに連続を切断するように異なる時代の作品を挿入するなど、ある場所にまったく異質な時が流れる状況を築き、アートと地域の多様な接続点を生み出し、日常と芸術の気長な関係を育むことを目指している。
アッセンブリッジ・ナゴヤ 2017
会場:名古屋港〜築地口エリア一帯
会期:2017年10月14日(土)〜12月10日(日)
会期中の木曜、金曜、土曜、日曜開催
詳細:http://assembridge.nagoya/
パノラマ庭園─タイム・シークエンス─
出展作家:朝海陽子、一柳 慧、LPACK.、グエン・チン・ティ、小山友也、鈴木 光、冨井大裕、豊嶋康子、野村 仁、法貴信也、山城大督、ユーアン・マクドナルド
Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]
会場:Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]
名古屋市港区名港1-19-23
詳細:http://www.mat-nagoya.jp/