キュレーターズノート

めがねと旅する美術展

工藤健志(青森県立美術館)

2018年08月01日号

「めがねと旅する美術展」の作り方

7月20日から青森県立美術館でスタートした「めがねと旅する美術展」。この展覧会は、静岡県立美術館の村上敬さん、島根県立石見美術館の川西由里さんと筆者の3人によるキュラトリアルコレクティヴ(と一度書いてみたかった笑)「トリメガ研究所」が企画した日本の視覚文化史展で、2010年度の「ロボットと美術 身体×機械のビジュアルイメージ」展、2014年度の「美少女の美術史」展に続く第3弾。3人ともめがねをかけており「トリプルメガネ」から略しての「トリメガ」なので、やはり3部作の〆は「めがね」しかない(笑)、と美少女展が終わった直後からテーマありきでプランニングを始めたのですが、多彩な視覚表象を持つ「ロボット」や「美少女」と比べると一気に難易度が上がり(さすがにめがねの絵ばかり並べても意味ないし)、3年くらいは「あーでもない、こーでもない」と3人頭を突き合わせて悩んでばかり。


展覧会メインビジュアル[デザイン:東京モノノケ]


「ロボット」という言葉は1920年にカレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』ではじめて登場し(ゆえに2020年はロボット100周年でもあるのです)、「少女」という概念も日本では明治中期以降に定着したものですから、これらモチーフの成立とその展開を追えば、近現代という時代を様々な角度から考察することができるだろうと、これまでの2本の展覧会では考えていましたが、では13世紀には実用化されていた「めがね」からいかにして近現代の視覚文化の特徴を引き出していくのか……。そこでピタリと2年くらい時が止まってしまったんですね(笑)。

もちろん、レンズをとおして得られたイメージという考え方は早くから決まっていて、顕微鏡や望遠鏡、鏡などが結ぶ像は「めがね」的なものとして展示できるだろうと考えていましたが、それだけでは展覧会として弱い。3人であれこれ考えていた時に出たアイディアが、めがねも望遠鏡も双眼鏡も「○○越しに見る」という点に意味があるのではないかということ。そう考えれば、レンズによってとらえられた写真や映像、タワーや飛行機がもたらす高所からの眺望、肉眼では見えないマクロやミクロの世界を可視化してくれる装置、さらには速度によって近景が消失し、パノラマ的な風景として再生されていく列車の車窓越しの眺めなども、すべて近代的な新しい視覚と捉えることができるのはないだろうか。さらに、テレビやPCのモニター、スマホのインターフェイスを通して我々は様々な事象を知覚していますが、そうした○○越しの視覚が現代文化のベースとなっており、その喩えとして「めがね」というモチーフを取り上げると良いのではないかと考えついたわけです。隠されたものを見たいというのぞきの視点は人間の普遍的な欲求だし、それは透視めがね的な視点と言えるよねとか、絵画もまた見えないものを見せてくれるスコープのような存在だよねとか、トリッキーな視覚をもたらす装置も出品作に含めていいんじゃない、などとようやくコンセプトが固まってきて、それぞれの出品候補作を持ち寄って、章立てに落とし込み、出品交渉を開始したのが今年の初め。構想4年、準備半年ちょっとという、笑うに笑えない状況で作家や所蔵先との交渉を開始し、並行してカタログを作りながら、3人とも「自らの行為に恐怖した」わけです(笑)。直近の相談にもかかわらず、快く参加、出品を快諾いただいたみなさまにこの場を借りて深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

こんな短期間の準備にもかかわらず、結果的に集荷先は南は宮崎から四国、中国、近畿、東海、関東、東北、そして北は札幌まで約50箇所、出品点数も250点を超える大ボリュームの展覧会となってしまいました。一般的な共同企画展では開催館の数で作業量を割ることができますが、良いのか悪いのかわからないけど、トリメガ企画の場合、いつも×3になっちゃうんですね。そして同じ展覧会でありながら、出品作も展示構成もそれぞれの美術館でガラリと変わるという。これも「巡回展」という固着化したフレームに対するささやかな抵抗であり、巡回先のどこかで見ればいいやではなく、3つの館をすべて見てはじめて展覧会の全貌が分かるようになっています。ほかのふたりがどう考えているかは分からないけど、筆者にとってのトリメガ研究所は、公立美術館のコンプライアンスに縛られず、展覧会というフレームを批評的、そして柔軟性に富む新しい「目」で見つめていくための拠り所でもあったように思います。それにしても、今回は展示レイアウトを組むまで、本当に全作品が展示できるか不安でしたが、なんとかギリギリ収まってくれたので一安心(笑)。

「めがねと旅する美術展」の楽しみ方(青森県美編)

今回の企画は美術展の根本命題でもある「見ること」をテーマとしたものであるため、能動的な見方を促すために個々の作品について「どういう視点で見るのか」をちょっと強引に提示させてもらっています。青森県美会場では「遠めがね:世界をとらえる」「潜望鏡:秘密をのぞく」「色めがね:だまされてみる?」「拡張するめがね:技術革新と新視覚」「万華鏡:次元を越える」そして「レンズと鏡」というカタログに沿った6つのセクション分けを行ない、「作品の見方」を優先させ、表現ジャンルや技法、制作時代をないまぜにした展示を行ないました。

さらにこれまでの2本でも展覧会オリジナルの新作アニメーションを制作し、出品作のひとつとして会場内で上映してきましたが、今回はのぞきからくりという装置や浅草凌雲閣というかつて存在した高い塔からの俯瞰的眺め、双眼鏡などの光学装置、列車、そして押絵(布を貼り合わせて作る絵の中に少量の綿を入れレリーフ状に浮き上がらせる半立体の人形のようなもの。のぞきからくりの押絵は、そうした人物たちが線遠近法を用いた「浮絵」のような背景の前に設置されていた)といった多彩な視覚的モチーフと、その押絵の女性に恋をした男が2次元の世界に入っていく物語など、「見ること」をめぐる様々な要素が盛り込まれた江戸川乱歩の「押絵と旅する男」を展覧会のコンセプトを象徴する作品としてアニメ化。美少女展で上映した太宰治原作の「女生徒」に続き、塚原重義監督が乱歩の独特な世界観を見事に表現してくれました。テキストを読ませるのではなく、まずアニメをとおしてこの展覧会の鑑賞法を理解してもらおうという狙いですが、アニメの仕上がりを見ている限り、このアイディアはかなり効果的に作用するのではないかと考えています(ちなみに「めがねと旅する美術展」というタイトルもここから着想したものです)。


新作アニメーション《押絵ト旅スル男》展示風景[撮影:大洲大作]

展示は、世界の有様を把握したい、肉眼では見えない遠くの景色を手に取るように見てみたいという欲求が反映された作品を紹介する「遠めがね:世界をとらえる」からはじまるのですが、例えば「線遠近法」をテーマにしたコーナーでは歌川豊春の浮絵と高橋由一の油彩画、広重の《名所江戸百景》を並べたり、富士山をモチーフとして「俯瞰」や「パノラマ」的な視覚性を考察するコーナーでは、原在正、椿椿山の画巻と司馬江漢の油彩画、安田雷洲のエッチング、そして諏訪敦による現代的な東京都庁からの遠望図、さらには不染鉄の多視点的な風景画を並列させるなど、一般的な美術展ではまずありえない配置を行なうことで、時代やジャンルを越えたそれら作品の連なりから、個々の作品の新しい見方、新しい解釈の可能性が生じるようなフックを仕込んでみましたが、そうしたフックを展覧会の至る所に仕掛けているのが本展のもっとも大きな特徴といえるかも知れません。

「見下ろす視点」のコーナーでは松江泰治の空撮写真《JP-02》《JP-22》《JP-32》から今和泉隆行(地理人)の「空想地図」へ、さらに高度を上げてJAXAの陸域観測技術衛星「だいち」が捉えた地表の画像へとつなげることで、それらイメージの共通性と差異の双方を浮かび上がらせるような配置を行なっています。ちなみに松江の3つシリーズは青森、静岡、島根をそれぞれ写したもので、「だいち」の画像も同じく3県を素材としたものを展示しています。今回の展覧会では他にも岩崎貴宏の《コンステレーション》《アウト・オブ・ディスオーダー(コスモワールド)》や大洲大作の《遠/近》などが3県を題材にした新作、吉田初三郎の鳥瞰図も青森、静岡、島根の3県に取材したものを展示。開催地域に根ざした作品を多く出品することで、地方館の連携による企画展であることを強くアピールする要素としています。


「遠めがね:世界をとらえる」展示風景[撮影:大洲大作]

「だいち」の画像と対になる壁面には国立研究開発法人理化学研究所による「神経細胞を蛍光タンパク質で標識したマウスの脳」の動画をプロジェクションすることで、「宇宙/マクロ」と「細胞/ミクロ」という対の視覚を紹介しながら、ゆるやかに第2章の「潜望鏡:秘密をのぞく」へとセクションは移っていきます。のぞき見の視点による源氏絵や山口晃の《百貨店圖》シリーズからの流れで今和次郎が提唱した考現学的手法を用いた記録画を見ると、そこにものぞきの視点が強く作用していることがはっきりと読み取れるでしょう。展示は田中智之による建築、都市の透視図、生賴範義が手がけた電子顕微鏡という機械の目で知覚されるミクロの体内世界を描いた連作、前田藤四郎の人体や機械の内部のイメージを取り入れたシュルレアリスム的作品、火星の等高線データをもとにした抽象的風景を未知の宇宙の「のぞき窓」として機能させる野村康生の作品へと続いていきますが、表現の手法や目的は異なっても「見えないものを見たい」「隠されたものを見たい」という人間の欲求が、時代を越えた普遍性を持っていることがこの展示の流れから理解できるのではないかと思います。

さらにこのセクションでは、江戸時代に制作された浮絵の効果をより高めるための装置である反射式覗き眼鏡や、眼鏡絵とそれを見るための器具から西洋のステレオ写真とそのビューワー、アナモルフォーズやキノーラ、ゾートロープなどの18〜20世紀初頭の光学装置を多数展示。実際にのぞき見ることも可能で、当時の人々の驚かせた視覚を追体験することができますが、こうした光学装置に触れてみると、テクノロジーが進化するだけで、常に新しい刺激を求める人間の視覚的好奇心や欲望はいつの時代も変化がないことが分かるのではないでしょうか。眼鏡絵やステレオビューワー、のぞきからくりの現代バージョンが例えば桑原弘明のスコープ作品であり、VRやAR技術を用いた表現なのだということが理解いただけると思います。


「潜望鏡:秘密をのぞく」展示風景[撮影:大洲大作]

視覚という機能の曖昧さが世界の見え方を面白くする「色めがね:だまされてみる?」のセクションでは高松次郎の《影》や《遠近法》のシリーズ、グループ「幻触」による近代の視覚を問い直すトリッキーな作品、光の三原色の特性を利用した松村泰三の《peep show〈黄金比〉》、アナグリフを応用した中ザワヒデキの《アナグリフの穴》、松山賢のギミカルな視覚装置的作品、数理的な視覚科学研究の成果である新井仁之/新井しのぶの錯視作品、東京大学大学院廣瀬・谷川・鳴海研究室+Unity JapanによるVR作品などを紹介しています。人間の視覚が実は曖昧で頼りないものであること、そして絶対的なものでないことを感じていただくためのセクションです。


「色めがね:だまされてみる?」展示風景[撮影:大洲大作]

筆者がこっそりシヴェルブシュ部屋と呼んでいる「拡張するめがね:技術革新と新視覚」のセクションは、シヴェルブシュの著作『鉄道旅行の歴史』で論じられた鉄道の速度がもたらす近代的な新しい視覚のありようを、リュミエール兄弟の映像作品や中村宏の《円環列車》《車窓編》のシリーズに加え、大洲大作の車窓からの風景をモチーフにしたインスタレーション、電車に設置された移動光源が光と影の物語を作り出す市川平の作品を組み合わせた展示から考察してみようというコーナーです。


「拡張するめがね:技術革新と新視覚」展示風景[撮影:大洲大作]

2次元と3次元を行き交いながら作られた作品や多次元を想起させる作品を並べた「万華鏡:次元を越える」のセクションでは、セザンヌの多視点絵画をマケット化して様々な角度から撮影した森村泰昌の《批評とその愛人》、日用品や工具・画材に加えて自ら作った彫刻や装置などをまるでひとつの建築物のように構成した上で平面へと置き換えていく千葉正也の《タートルズライフ》シリーズ、少女の複数の表情がまるでアニメーションのように連続性をもって変化していく金巻芳俊の少女彫刻などを展示。ここでも、アニメに登場するキャラクターを三次元化した完成品フィギュアの髪の毛パーツを集積させた金氏徹平の《Teenage Fan Club》シリーズ越しに門眞妙が描いた後ろ向きの少女像を配置し、「少女の髪の毛」というモチーフで両者の作品を接続させることで、それぞれの作品の新しい見え方や価値が引き出せるようなフックを仕込んでみました。


「万華鏡:次元を越える」展示風景[撮影:大洲大作]

そして最後は「レンズと鏡」のセクション。五島一浩によるカメラ・オブスキュラの原理を応用したインスタレーション、板ガラスの積層、加工、研磨により鏡面的な機能を持たせた家住利男のガラス彫刻、鈴木理策の水面をモチーフにした作品、入江一郎によるサングラスの破片をつなぎ合わせた人体彫刻、本来は木の扉の穴からのぞき見るマルセル・デュシャンの遺作に《トランクの中の箱》や《グリーンボックス》のようなポータブル性をもたせ液晶ディスプレイを用いたステレオ映像として再生させた伊藤隆介ののぞき装置、映像作家の吉開菜央によるフェティッシュな視線を強く有する《ほったまるびより》、アクリル板に盛られた絵の具の塊が視点をわずかにずらすと奥の鏡に少女の像を映す二重のイメージから構成される谷口真人の《Untitled》、Mr.による少女の瞳の中に少女が映り込んだ少女像などを展示。ガラスや鏡を素材にして光の反射や屈折を取り入れた作品や、レンズや鏡面がもたらす効果を利用した作品、めがねそのものをモチーフにした作品を紹介して展覧会の締めとしました。


「レンズと鏡」展示風景[撮影:大洲大作]

旅する「めがねと旅する美術展」

先に章立てはカタログに沿ったと書きましたが、展示ではカタログの解釈とは異なる切り口で展示している作品も多数あります。これも当初からの狙いで、カタログはあくまでも「プレーン味」。各館の展示ではそれぞれの学芸員の解釈で「フレーバー」をつけていこうというやり方です。空間の中に複数の作品を配置し、相互に紐付けしながら視覚やのぞきといった見方を強く打ち出したり、空間全体のビューからある一定の視覚的な印象を与えたりできるのが展覧会というシステムの醍醐味でもあり、同時に展覧会をとおしてしか味わえない体験となるはず。時間も場所も次元も越えた視覚の旅……、展示室を自由に旅しながら、近代の視覚文化について様々に想いをめぐらせていただければと思っています。

青森会場の会期は9月2日までですが、その後、島根県立石見美術館で9月15日から11月12日まで、静岡県立美術館で11月23日から翌年1月27日まで開催されます。カタログを片手に各会場それぞれのフレーバーを楽しんでみてください。


めがねと旅する美術展

会期:2018年7月20日(金)〜9月2日(日)※休館日なし
会場:青森県立美術館(青森県青森市安田字近野185)
巡回予定:島根県立石見美術館:2018年9月15日(土)〜11月12日(月)/静岡県立美術館:平成30年11月23日(金・祝)〜31年1月27日(日)