キュレーターズノート

Home-Moving! 風景と生活をめぐるアーカイブ

松本篤(AHA!/ remo)

2018年10月15日号

家と移動、風景と生活、記録と記憶。
「アーカイブ」をゆっくりと書き換える、手さぐりの試み。水戸から。

Living is Moving



昭和35年正月、水戸市内[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)


Home-Moving!とは、市井の人々の記録の価値に着目し、それらを共有財として利活用することをめざした取り組み。水戸商工会議所の支援を受け、水戸芸術館現代美術センターとremo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織]を母体とするAHA!というデジタル・アーカイブ・プロジェクトとの共同企画として、2017年に水戸市内で始まった。プロジェクト参加者をひろく募りながら複数年度にかけて活動する予定だ。

「アーカイブ」という言葉には、以下の3つの意味がある。

1. 記録を保存すること(行為について)
2. 保存された資料群(対象について)
3. 保存する場所(所在について)
(三省堂ワードワイズ・ウェブより一部引用)

Home-Moving!(以下、本企画)は、この3つの意味を書き換えようとしている。あるいは、新たな意味を加えようとしている。公文書館などの専門機関が営々と取り組んできたこれまでのアーカイブとは異なるあり方を、自分たちなりのやり方で模索しているのだ。それはすなわち、アーカイブに別のポジションから光をあて直し、旧来の概念を揺さぶり、再活性させる手さぐりの試みである。本企画は、いったいどのようなものなのか。Home-Moving!という企画名に込められた3つの狙いにそって、プロジェクトの概要を簡単に紹介していこう。


昭和31年4月、水府橋遠景[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

1. 映像を囲む「場」をつくる



昭和31年、保和苑のクマ[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

昭和30〜50年代にかけて、映像史上初めて一般家庭に普及した映像メディア、8ミリフィルム。撮影者と親密な間柄、例えば、家族や親類、友人等にカメラが向けられていることが多いため、その記録のほとんどは、いわゆる“ホーム・ムービー”と呼ばれている。本企画は、そんなホーム・ムービーの収集・公開・保存・活用といったデジタル・アーカイブのプロセスを動態的に捉え直す試み(Doing Home-Movie)として展開している。

例えば、8ミリフィルムの収集の際(出張上映会)には、映像そのものだけを提供してもらうことはせず、提供者の自宅などにおいて映写機を用いて再生し、提供者やその関係者とともに視聴する。そして、フレームの中の内容およびフレームの外にひろがる風景、また、提供者のライフヒストリーの断片を併せて聞き取る。また、8ミリフィルムの公開の際(公開鑑賞会)にも、デジタル化された映像の再生時にファシリテーターが提供者や鑑賞会参加者の想起を促す。映像に映り込む風景と、そこには映っていない風景の背景に注意を向けさせ、自分に近しい場所に息づく「歴史」への接続を誘発させるのだ。

本企画は、“公的な価値をもった資料群”をひとところに“保存する”という意味を持っていたアーカイブの意味を踏まえつつ、さらなる可能性を探求することで、これまでのアーカイブの機能を補完しようとしている。市井の人々がこれまで個々に残してきた“私的な記録”をさまざまなかたちで“利活用する”ことに重きを置こうとするものだ。映像の内在的価値を見いだし残していこうとするのではなく、映像と語り、モノと人といった関係的な価値に着目した場づくりを設計し、アーカイブのフローのなかに積極的に埋め込むことがここでは目指される。


昭和30年11月26日、水戸市内[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

2. 家と移住



昭和31年、旧国道6号遠景[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

本企画は、ホーム・ムービーを囲む場の実践をつうじて、「家(Home)」と「移住(Moving)」について考察する機会を提供する。これまでの活動をとおしてフィルム提供者から聞いたライフヒストリーの多くは、「家」の「移住」にまつわる語りでもあった。例えば、水戸市内のとある写真館の店主から聞いた話では、明治41年に歩兵第2連隊が千葉県佐倉から水戸に転営した際に、連隊に出入りする業者や関係者、親類などがまとまって水戸の連隊周辺に集団移住したようである。また、別の関係者は、太平洋戦争末期に東京都心部から疎開したが、空襲によって帰る場所がなくなり、終戦後もそのまま水戸に居続けていまに至るという。

なかでも際立って鮮烈だったのは、本企画を始めて最初に提供を受けたフィルムだった。それは、太平洋戦争終戦直後の昭和20年10月に、戦勝国側が組織した連合国最高司令官総司令部(GHQ)の先遣隊として水戸に進駐したアメリカ人によって撮影されたものだった。水戸にまつわる8ミリフィルムを探し始めると、水戸に出自を持たない人物が、昭和30年代前半の水戸の風景をカラー映像で残していたのだ。

本企画では、家の移動や、移動の記憶について、水戸の風景を通して考えていく。


昭和35年、東海村の研究用原子炉(JRR-1)の前にて[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

3. 移動する中心



昭和36年、広告祭[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

本企画は、アーカイブのホーム、すなわち、アーカイブ・センター(Home)そのものが移動する(Moving)という発想を持っている。アーカイブとは、ひとところに資料が保存される堅牢な場所というイメージを帯びている。しかしこの試みでは、センター自体が水戸市内を移動する。そして、出向く先々でデジタル化された映像を活用しながら、場を開く。また、その場に集った人々の想起や想像を促し、発話を採集していく。

つまり本企画では、映像という共有材のアウトプットの場所であり、そこで生起した語りのインプットの場所としてアーカイブ・センターを位置づけている。そして、記録や記憶といった知が集積する場所、また、それらを分かち合う場所としての機能を有したセンターそれ自体が、いわゆる“カルチュラル・プローブ(文化探査機)”となって美術館をハブに市内を巡回移動していく。

以上が、Home-Moving!という企画名に込められた3つの狙いである。


昭和40年、新水戸会館[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

日曜歴史家と出会う



昭和55年頃、桶作り[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

本企画は、8ミリフィルムを対象としたデジタル・アーカイブ・プロジェクトではあるが、ほかにも2つの特色がある。

1つ目は、「まちの歴史」を自分自身の興味関心にそって探求している“日曜歴史家”の皆さんに、本企画に参加していただいていることだ。仕事のかたわら、水戸にまつわる知られざるさまざまな事柄を調べたり、まちを散策したり、モノの収集に取り組まれている、ユニークな視点をもった参加者との共働をとおして、その知見を拝借したり、情報提供を受けたり、相互に協力しながら、水戸の風景について重層的に捉え直すことのできる機会を創出しようとしている。

そのほかにも、『2歳から9歳まで こどものことば』(ぐるーぷ・エルソル編、晶文社、1987 )や『子どものことを子どもに聞く 「うちの子」へのインタビュー・8年間の記録』(杉山亮、新潮社、2000)などを参考しながら、日々成長する子どもに対して保護者が定期的にインタビューし、記録に残す活動を有志の皆さんとともに実験的に始めた。この活動は、水戸の現在の風景にフォーカスがあたっており、かつての水戸の風景に焦点をあてる8ミリフィルムのアーカイブとは対照的であり、かつ、連続的でもある。

2つ目の特色として、本企画は、建築家の貝島桃代氏が水戸のまちを対象に実施するリサーチプログラムと密接に連動している。かつて貝島氏らは、水戸市の中心市街地に所在する建築物を調査し、『dead or alive 水戸空間診断』(筑波大学貝島研究室+アトリエ・ワン、アートによる街の再生のための地域教育支援事業実行委員会事務局、2004)というガイドブックにまとめている。今回のリサーチは、それから10年の歳月を経て、そのバージョンアップを企図したものだ。人の住まう器としての「家」を取り扱う貝島氏の取り組みと、「家」の中に住まう人の記憶を取り扱う本企画との交点がどこにあるのか、これもまた手さぐりの実験である。

Home-Moving!はどこに向かうのか。風景と生活をめぐるアーカイブは、始まったばかりだ。


昭和63年7月26日、水戸市公設地方卸売市場[提供=Home-Moving!]
(デジタル化されたフィルムからのキャプチャー)

Home-Moving! 8ミリフィルム鑑賞会(仮称)

2018年内に水戸市内にて開催予定。日時や会場などの詳細が決まり次第、水戸芸術館ウェブサイトにて掲示。