キュレーターズノート

モエレ沼公園──想像力のなかに立ち上がるランドスケープアート

宮井和美(モエレ沼公園)

2023年07月15日号

今号より、札幌市のモエレ沼公園で学芸員を勤める宮井和美氏に「キュレーターズノート」の執筆陣に加わっていただく。モエレ沼公園はイサム・ノグチが設計した公園として有名で、2005年の開園当時、大きな注目を集めた。ガラスのピラミッドのなかで行なわれる常設展示や企画展、近年では札幌国際芸術祭の会場のひとつにもなっていて、家族連れやイサム・ノグチのファンだけでなく、現代アートファンをも惹きつけてやまないスポットになっている。世界的にも稀有なアーティスティックな公園ならではの展覧会やアートプロジェクトについてのレポートが楽しみだ。(artscape編集部)

札幌は北海道の総人口のうち約3分の1、約197万人を抱える政令指定都市である。石狩平野の南西部に位置し、市域は東西に42.30km、南北に45.40km、総面積は1,121.26㎢と東京23区の約2倍の面積を持っている。西には手稲山系、それに続く南には定山渓から支笏湖に至る山岳地帯が広がり、市街地からもその豊かな山々の姿を眺めることができる。涼しく過ごしやすい夏と白い雪に覆われる冬。市街地と自然の距離が近く、四季のコントラストが美しい都市として知られており、観光産業も盛んだ。札幌市の産業構造は、製造業などの第2次産業の割合が全国に比べて低く、卸売・小売業や、飲食・宿泊サービス業などの第3次産業が中心の産業構造となっている★1。コロナ禍中にも新規ホテルの建設が続き、今夏の観光のハイシーズン中は驚くべき予約率。2019年以前のように国内・海外からの観光客が戻ってきている。そんな観光都市・札幌を支える観光スポットとして多くの来園者を迎えているのがモエレ沼公園だ。



モエレ沼公園上空から札幌市街地を眺める。[写真提供:札幌市]


空から見るための彫刻

北海道の旅の入口、新千歳空港から北西へ約41km。札幌市の郊外に位置するモエレ沼公園は、アートファンであれば一度は名前を聞いたことがあるだろう北海道の一大アートスポットだ。アイヌ語で静かな水面、ゆったりと流れるという意味を持つ「モイレ・ペッ」を語源としたモエレ沼を含む188.8haという広大な敷地に、巨大な2つの人工山、有機的なフォルムの池や噴水、ガラスのピラミッドと呼ばれる屋内施設やたくさんのカラフルな遊具が配されている。輝くグリーンの稜線や、それが切り取る広い空を眺めながら公園を歩くのは楽しい体験だ。斜面を登るごとに新しい風景が発見できる。丸や三角形などシンプルな幾何学的形態を構成して配置された造形物たちは、一つひとつを見ても独創的で美しいが、その全体が「ひとつの彫刻作品」となるように設計されていることが、もっともユニークな特徴だろう。この公園はまるでナスカの地上絵のように、空から見ることをコンセプトの下敷きにしている。これだけドローンが普及している現在でも、実際に空から見ることは容易ではない。巨大な彫刻のなかを歩きながら来訪者が体験するのは、自らの視点を上空高くへと導く、「想像上の飛行(a flight of the imagination)★2」だ。



高さ30mの「プレイマウンテン」
ノグチが1933年に発案した大地そのものを彫刻として彫り込むというプランが実現された。石積みには瀬戸内海の犬島から運ばれてきた花崗岩を使用している。 [写真提供:モエレ沼公園 撮影:並木博夫]


公園の基本設計を行なったのは彫刻家のイサム・ノグチ(1904-1988/Isamu NOGUCHI)。アイルランド系アメリカ人の母親と日本人の父親を持つノグチは、幼少期を日本で過ごしたのち、ニューヨークを拠点として世界中で制作活動を行なった。その制作は石彫を中心に舞台芸術や家具、照明器具のデザインなど多岐にわたったが、そのなかでも戦後、日本を訪れた際に見た京都の日本庭園に触発されて発想した「大地と彫刻を関連させる」というアイデアのもとに考案した庭や広場などのランドスケープのプランは、彼が人生をかけて追及したものだ。長く舞台装置のデザインを手掛けていたノグチは、身体の移動をともなう彫刻的な体験の場として空間とフォルム、そこにいざなわれる人々の動きを意識していた。公園といった舞台で繰り広げられる人々の日常のシーンを思い描き、空間をデザインする。そのアイデアの中心にはアートが「人間の役に立つ」ことができるという確信があった。

イサム・ノグチと札幌

最晩年の1988年、札幌の起業家の誘いによりはじめて札幌にやってきたノグチは、これまでなかなか実現することのできなかった「大地の彫刻」の一連のプランを実現する機会を得た。ゴミ処理場として利用されている場所の上に公園を造成するという札幌市の計画に参画することになったのだ。



公園予定地を下見するイサム・ノグチ [写真提供:札幌市]


ノグチ曰く、札幌は「まだ新しく、都市はどうあるべきか模索中の街★3」であった。1922年の市制施行以来、近隣町村との度重なる合併・編入によって、市域・人口を拡大してきた札幌市は、1970年には人口が100万人を突破し、2年後の1972年に政令指定都市へ移行。この年は、札幌オリンピックも開催され、街が大きな都市へと変化していく転換点となる重要な時期であった。モエレ沼公園の計画はその頃、1973年に立てられた。牧草地として利用されていたモエレ沼の内陸部は、急務であった人口増加にともなうゴミ処理の問題を解決するための埋め立て地として利用された後、公園として造成することが決定。水辺を生かしたレクリエーション公園として、すでに1982年から造成がはじまっていた。

ゴミ処理場として運用されながら、同時に公園の敷地造成が進んでいたモエレ沼公園予定地に立ったノグチは「ここは空が広い。ここには、フォルムが必要です。これは、僕のやるべき仕事です★4」と、強い意欲を見せた。

一案目のプランを提出したのは、はじめて札幌を訪れてから約1カ月後の1988年の5月。ハイスピードで夢を実現すべく構想を練り上げるアーティストの姿がそこにあった。しかし公園の基本設計を終えた後、ノグチはその完成を見ることなく、その年の12月30日、84歳でこの世を去る。その後、ノグチの残した日米2つの財団と、生前ともに仕事をしていた建築家や造園家らと札幌市が協議しながら公園造成は続行。作家のいないなかでの公園造成というビッグプロジェクトは舵取りも難しく、当初予定よりも7年長い17年を造成期間に費やし、最後の施設の完成をもって2005年にようやくグランドオープンした。



建設中のガラスのピラミッド [写真提供:モエレ沼公園]




最後に完成した海の噴水 [写真提供:モエレ沼公園 撮影:並木博夫]


当時はノグチの最大で最後の作品の完成として、広くメディアにも取り上げられ、また、ノグチの大規模な回顧展の成功もあった★5ことから、全国のアートファンにその名が知れる存在となった。こうしたことをきっかけに、市民の憩いの場としてだけでなく、多くの観光客が訪れるアートスポットとなっていった。昨年度は過去最大の来園者、98万人を迎えた。

世界中の古代遺跡を訪ね、過去に彫刻が何を意味していたのか、その未来が何であるのかを自身で発見したいと考えていたノグチの、もっとも壮大でユニークな作品が、多くの人々の訪れる公園として札幌という土地でいきいきと活用され、花開いている。



遊具エリアから眺めるモエレ山 [写真提供:モエレ沼公園]


公園で展開されるアートプロジェクト

さて、グランドオープンしてから18年後の現在、アート関連事業について、美術館やギャラリーとは異なり、文化行政の枠から外れた「公園」という立ち位置ではあるが、手探りながらその特徴を生かしたさまざまなイベント、プロジェクトが実施されてきた。その一例として、今夏モエレ沼公園で開催中の屋外プロジェクトについて紹介したい。

「FLAT and DYNAMISM」は彫刻家川上りえによるアートプロジェクトだ。公園内の中央に位置する海の噴水を取り囲む円形のカラマツの林。その1,000本近い木の幹に一定のレベルで水平に線を描き、想像上の水面を出現させるというコンセプトだ。地球上で壮大な時間を通して行なわれる海抜の上昇、低下という水位の振幅。川上は木々に塗布する青色によって、太古の時代にそこに存在していただろう水面を表現し、「地球の呼吸」の可視化を試みる。作品が描かれる林の内側には荒れ狂う海を表現したノグチの「海の噴水」がある。そして、そこにもうひとつ、6,000年前、縄文海進の高頂期★6には、海の底に沈んでいたとされるこの土地のはるかなる姿が重なっていく。



川上りえ《FLAT and DYNAMISM》(2023) [写真撮影:酒井広司]


このプロジェクトは、アーティストが自ら主催し、実行しているもので、約1週間をかけ、延べ30名のボランティアが集まり制作された。初夏の涼やかな風が地面を覆うタンポポや木々を揺らすなか、ベテランのアーティストや建築家らも一緒になり、和気藹々とみんなでアイデアを出しながら制作する様子は豊かで、アートの生まれる瞬間に立ち会う喜びに満ちていた。この作品制作においてリレーショナルアートが目されていたわけではないのだが、図らずも、美しい次元でそれが成立していたように思う。



木の幹に水平線を描く作業 [写真提供:モエレ沼公園]


イサム・ノグチの作品である公園の中に、さらに別の作家が作品を作ることについて、ややもすれば、批判的に捉える人もいるかもしれない。でもこの場所を訪れたなら、その余地、懐の豊かさを感じることができるだろう。かつてゴミが舞い散る公園予定地にノグチが立った時、空の広さとこの土地のありように想像力を掻き立てられたように、今を生きるアーティストもこの場に立ち、ノグチのデザインしたフォルムのみならず、その風、空、土地の歴史に共振し、創造する。そうしてまた新しく生まれる視点によって公園の魅力が刷新されていくのだ。

公園自体がノグチの屋外美術館として機能しており、自然のなかで芸術を楽しむことができるのがこの公園の大きな魅力だが、それだけでなく、こうした地域に根付いたアート活動が、相互に作用してこの場の価値を作り出しているのだと実感している。今後もこの場所性を生かした、さまざまなアートプロジェクトやイベントを通じて、地域とのつながりを深め、新しい発見や喜びを提供できる場でありたいと考えている。



冬の公園はソリやスキー遊びのメッカに。ガラスのピラミッドは冬は暖かく、公園の活動拠点となる。 [写真提供:モエレ沼公園 撮影:小牧寿里]


今冬は3回目となる札幌国際芸術祭2024も予定されている。未来劇場(旧四季劇場)や北海道立近代美術館札幌芸術の森美術館札幌文化芸術交流センターSCARTSとともに、モエレ沼公園もメイン会場のひとつとなっており、広大な雪原を存分に使ったプロジェクトを実施予定だ。筆者も企画者の一員として、地域に住む一人ひとりが創造性を発揮できる、そんな未来の社会を描けるようなプログラムを鋭意準備している。次回はこの札幌国際芸術祭についてお伝えしたい。

★1──『札幌市政概要令和4年版』(札幌市、2023)https://www.city.sapporo.jp/toukei/kanko/documents/0-1shiseigaiyour4.pdf
★2──Isamu Noguchi, The Isamu Noguchi Garden Museum, New York: Harry N. Abrams, Inc., 1987, p.152
★3──『イサム・ノグチ : 地球を彫刻した男』(札幌テレビ放送、1996)
★4──川村純一・斉藤浩二『建設ドキュメント1988──イサム・ノグチとモエレ沼公園』(学芸出版社、2013)p.43
★5──「イサム・ノグチ展」札幌芸術の森美術館(2005年7月2日~8月28日)、東京都現代美術館(2005年9月16日〜11月27日)https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/2005/27/
★6──海進とは気候の温暖化によって海水面が上昇して海岸線が内陸に向かって前進することで、逆に海側に後退するのを海退という。約1万年前からの海進は、縄文時代にちなんで「縄文海進」と呼ばれている。約6千年前には海面が最高に達したと考えられており、この時期は縄文海進高頂期と呼ばれている。現在に残る貝塚の多くはこの時期に形成された。

川上りえ アートプロジェクト「FLAT and DYNAMISM」

会期:2023年7月9日(日)〜8月3日(木)
会場:モエレ沼公園 カラマツ林
北海道札幌市東区モエレ沼公園1-1

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