キュレーターズノート
札幌美術展「真冬の花畑」
鎌田享(北海道立帯広美術館)
2010年02月01日号
対象美術館
このレポートが掲載される時点ではすでに終了しているのだが、1月31日(日)まで札幌芸術の森美術館にて「真冬の花畑」という展覧会が開催されていた。今回はその紹介というよりは、これをきっかけに改めて考えた公立美術館の役割について、備忘のために記しておく。
「真冬の花畑」は、札幌の美術の現況を紹介することを目的に、1948年から年一回開かれている「札幌美術展」の一貫として実施された。このシリーズは、紹介される作家や作品の数、その選定方法や会場を変えながら、半世紀を超えて継続されている。前回からは、札幌市郊外にある札幌芸術の森美術館を会場に、同館の学芸員が企画構成するかたちをとっている。今回は、現在札幌を拠点に活動している12名の美術家の、花や植物を主要なモティーフにした絵画・彫刻・版画・写真・インスタレーション・イラスト原画と、広範な領域の作品が紹介された。「花がモティーフ」という構成趣旨は、展覧会コンセプトとしては雑駁ではあろう。しかし本展の眼目は、札幌という一圏域において現在注目すべき活動を繰り広げている作家たちを紹介することに尽きる。その意味で「花」という包括的なくくりは、多様な形態や表現を取り上げつつ展覧会に統一性をもたらすための、有効な選択といえる。じつのところ、筆者にとってはこの展覧会が初見となる作家もおり、企画者のきめ細かな目配りに賛嘆を禁じえなかった。もっともこれは、自らの怠惰を白状するものでもあるが……。
公立美術館にとって、その館が立地する地域の美術に目を配ることは、いわば必須科目である。どの公立館でも、作品収集方針や活動方針には「地域の美術」の一語が掲げられている。美術館は、美術の実作品を収集し保管し展示する施設である。そしてこれらの活動を担う専門職員として学芸員が配置され、作品の調査・研究にあたっている。この調査・研究の根幹は「作品をその目でじかに見る」ことであり、フィールドワークにほかならない。そして継続的なフィールドワークの対象領域として、学芸員が現にそこにいる場所・地域に目を向けることは、至極合理的な選択といえる。
もっとも公立館が「地域の美術」を掲げる最大の要因は、それが都道府県や市町村といった地方自治体によって設立・運営されるがためである。こう言っては身も蓋もないのだが、公立美術館は道路や水道といったライフラインと同様に、地域の社会資本を充実し良質の住民サービスを提供するために整備されてきた。そしてこの地方行政の視点からすれば、地域の住民に美術に触れる機会を提供することと、地域で活動する作家のために発表の場を設けその作品を収蔵することとは、等価となる。
しかし公立美術館が、こうした意味での地域サービスに埋没することは、許されることではない。もう三十年も前の話だが、筆者が生まれ育った市の図書館は、市内在住者にしか蔵書の貸出を行なっていなかった。いまは違うのだろうが、地方自治体の狭量さを伺わせる笑い話である。だが、公立美術館の作家選定基準が唯一その地域に居住しているか否かになったとしたら、これを超える笑劇となろう。作品の価値が、その内容ではなく外的要因によって定められることにほかならず、それこそ美術館の倫理観を疑われかねない。
誤解されると困るが、これらの点は「真冬の花畑」展を指してあげたわけではない。先にも明記したようにこの展覧会は、公立美術館の着実なフィールドワークの成果である。
ここ数年の経済状況の悪化によって、地方自治体の財政状況は惨憺たる状態にある。そのなかで公立美術館もまた、収集予算や事業予算を削減され続け、さらには活動への意欲すらそがれかねない状況にある。入館者数や観覧料収入といった定量的な成果を求められ、各種事業の費用対効果がしきりに取りざたされている。その一方で、「住民のニーズに答える」というフレーズがさかんに唱えられてもいる。
そんな時代だからこそ、公立美術館の役割は何度でも確認し、それについて語る言葉を惜しんではならないのだと思っている。