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常葉大学公開講義「一歩近づく日本美術史」レポート

内田伸一

2015年03月15日号

 2015年2月21日、常葉大学静岡キャンパス水落校舎。日比野秀男・造形学部特任教授の最終講義が公開形式で開かれた。同氏は以前artscape連載「アート・アーカイブ探求」にも登場し、江戸の文人画家・渡辺崋山についての興味深い解釈が紹介された。その縁もあり、この日は同連載の執筆者・影山幸一氏もゲストに登場。おのおのの立場から、美術およびその歴史に「一歩近づく」視点が語られた。その様子をレポートする。



渡辺崋山《鷹見泉石像》を解説する日比野氏

 常葉大は1946年設立の常葉学園から発展した総合大学。現在、造形学部では、アート表現/ビジュアルデザイン/デジタル表現デザイン/環境デザインの4コースで学生たちが学ぶ。講義は同学部の卒業制作展関連事業として一般公開され、在学生や同学関係者、地域の美術ファンなど総勢百数十名が参加した。

第一部「日本美術史と私──学ぶこと、伝えること」


日比野秀男氏


 地元・静岡県出身の日比野氏は、静岡県立美術館勤務を経て常葉学園短期大学に着任。常葉大造形学部長、常葉美術館館長などを務め、県内文化財の保護・調査活動にも関わってきた。この日の講演は2部構成で、前半は日比野氏の半生を紹介しつつ、氏の美術研究への姿勢を伝えるものとなった。

 若き日に単身敢行した、米11都市美術館視察(県立美術館準備室時代)については、「出会うすべてが未知の1カ月でした。人生のある時期、そんな経験をするのもいいことかな、といまは思う」と述懐。また、とある必要から「駿遠豆」(すんえんず=駿河、遠江、伊豆地域)の木喰仏を調べ始め、やがて一冊の本にするなど、当時30代の氏が、時代や国境を超えた好奇心で美術と向き合った逸話が印象的だった。


若き日の日比野氏(左)。恩師の日本美術史学者・菅沼貞三氏(右)や画家・曾宮一念(中央)との逸話も語られた。[提供:日比野秀男氏、常葉大学]


 また、「自分が学んだことを社会に還元するのが『伝える』ことでもある」との言葉も、講演名に託された氏の信念であり、教育者・研究者ならずとも感じるところのあるものだった。その実践が一朝一夕にはゆかなかったことも、「あるときから自分の仕事を10年スパンくらいで捉えるようにもなった」との発言からうかがえる。米美術館視察から10年を経ての著書『美術館学芸員という仕事』(ぺりかん社、1994)は、帰国後の県立美術館での経験が活かされた。また、氏の研究において重要な位置を占める渡辺崋山についても「初めて作品に出会ったのは20代半ば。それからほぼ10年後の1986年、県立美術館の開館展『東西の風景画』が契機になった」という。


日比野氏の著書より。左:『駿遠豆の木喰仏』(第一法規出版 、1980)、右:『渡辺崋山―秘められた海防思想』(ぺりかん社、1994)


 その崋山については晩年の《千山万水図》を引き、藩の重職にあっても描き続けた彼が「身に覚えのない罪で田舎に蟄居させられ、遂に自刃の道を選んだ」心中が同作に表われていると解説。作品の細部や背景に「一歩近づく」ことで、こうした推察に加え、黒船来航期の日本を取り巻く状況、そこでの海防問題も真摯に考えたであろう崋山の横顔が見えてくるとした。
 ほか、館長を務めた常葉美術館での「ヨハネパウロ2世美術館所蔵 栄光のルネサンスから華麗なロココまで」から、同館で開催準備が進む入江長八展まで軽妙な語り口でふれつつ、文化遺産が単に物質的存在を超えて時代に伝えるものの意義を、わかりやすく伝えていた。
 「自分が昨日したことや、一年前のこと、これからすることなどをよく考えます。ボケ防止にもよさそうですが(笑)、実は学生時代からの習慣。今日通った道や、明日・明後日に行なうことのシミュレーションもそうですね」。氏一流のユーモアを交えたこうした言葉も、美術に対し、また自らの仕事に対し、過去・現在・未来をつなぐ視野で考察してきた姿勢を象徴するようであった。

第二部「アート・アーカイブ探求」を通しての日本美術史


影山幸一氏

 後半は、ゲストに影山幸一氏を迎えた対談形式。影山氏のartscape連載「アート・アーカイブ探求──絵画の見方」にかつて日比野氏が登場した縁から実現したもので、デジタルアーカイブ研究の視点も取り入れた講義となった。

 日比野氏が登場した回は「渡辺崋山《鷹見泉石像》和洋調和にみる気魄──『日比野秀男』」。影山氏は、なぜこの人物像が国宝なのか、との関心を契機に、崋山研究で知られる日比野氏を訪ねたという。そこで今回も同作について、会場でインターネットに接続された「artscape」のデジタル画像を拡大表示することで「一歩近づき」、両氏が改めてその魅力を解説。影山氏は上記記事で、その構図的特徴を捉えるべく画像上に線を引き考察しているが、複製画像ゆえ可能なこうした試行錯誤が、「自分が作品により関われる実感をも与えてくれた」と述べた。



 日比野氏も「実物の持つアウラ、大きさや重さなどの要素と、デジタルデータならではの特質、双方から生まれる鑑賞体験がある」と述べ、両者が相互補完的な関係になり得るとした。一方、同連載で自らデジタルアーカイブ化する作品の選択方針を聞かれた影山氏は、「体系立ててというより、私個人が見てみたい作品を選んできた面が大きい」と回答。そこに批判的な見解もありうるとしたうえで、「そこには『自分でつくる美術史』の楽しみを開く可能性もあると考えます」と続けた。なおこの長期連載では作品ごとに多様な取材対象者に話を聞いており、それが論文などとも異なるオーラル・ヒストリー(口述記録)の性質を帯びてきたとも感じると言う。


連載を通じて更新されていく「主な日本の画家年表(8〜21世紀)」
http://www.artscape.ne.jp/artscape/artreport/tankyu/nempyo.html


 また両氏のあいだでは、作品のデジタルアーカイブ化は、人々に既存の分類や文脈を超えた作品との出会いを誘発し得る、との見解も共有された。日比野氏は研究面でも「ヒエラルキーや地域の壁を超えた交差に期待したい」とし、関連して同連載が草間彌生や奈良美智ら現代美術も対象にすることへ関心を示した。影山氏の意図は、現代美術への興味から始まった毎月一点の絵画探求だったが、80回の連載を振り返ると古典名画から現代絵画に至る「日本美術の特質」を考えることにつながってきたという。


作者不明《普賢菩薩像》の解説

 ほか、デジタルアーカイブがその技術力で研究者に資する実例として、平安仏画の《普賢菩薩像》なども話題にのぼった。昨年東京文化財研究所が行なった高精細撮影がきっかけで、同作の特徴でもある截金(きりかね)技法の一部に新知見が得られたという。他方、デジタル技術のこうした可能性を踏まえたうえで、影山氏は美術鑑賞における「知・情・意」の3要素についても言及。すなわち、作品の持つリアリティ、感情、主題、それぞれを感じ取る意義が語られた。日比野氏は「目に見えるものがすべてではない」と応答。《鷹見泉石像》や《千山万水図》の制作年について、崋山が意図して蟄居以前の年に操作した可能性にもふれた。眼の前にある情報にのみ頼らず、自ら感じ、考えること。立場は違えど、その姿勢について両者それぞれの思いが交わされた締めくくりでもあった。

 最後に質疑応答の場がもたれ、来場者からは「アート・アーカイブ探究」に掲載された別の作品画像の拡大表示リクエストや、国内外のデジタルアーカイブ事情の質問も。影山氏がこれに応えた。また講演後、学生たちからは「日本の古典絵画は西洋のそれに比べ、描画が平坦で地味な印象も強かったが、拡大表示で見えてくる豊かなディテールが新鮮だった」との声もあった。講演で紹介された連載ページや「e国宝」サイトの存在を知り「今後は美術館などで実作を鑑賞した後、細部を自宅で改めて眺めて見るようなことも試したい」との感想もあった。

 古の日本美術研究と、現代のデジタル技術との対比の妙──。講義を特徴付ける一要素としては、確かにそれがあったと思われる。しかしより印象的だったのは──日比野氏の柔軟な姿勢や、影山氏の関心の広さを通じて──両領域に通じる視点やその調和の可能性が語られたことだった。いずれも現在進行形という点では同様で、長い歴史を視野に入れるならばなおさらだろう。その意味でも、一見すると謙虚な「一歩近づく」という言葉の誠実さ、力強さを感じた講義だった。


常葉大学 造形学部学内学会講演会+最終講義「一歩近づく日本美術史」

日時:2015年2月21日(土) 14:00〜16:00
会場:常葉大学静岡キャンパス水落校舎403教室
   静岡県静岡市葵区瀬名1-22-1

第一部 日本美術史と私―学ぶこと、伝えること
日比野秀男最終講義
第二部 「アート・アーカイブ探求」を通しての日本美術史
日比野秀男×影山幸一
進行:土屋和男(造形学部准教授)

※下記URLに、当日の動画が公開されている。
http://tokodai.com/art-design/pg177.html

アート・アーカイブ探求

http://artscape.jp/study/art-achive/backnumber.html

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