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artscape onsite 1 飯沢耕太郎さんと観る「石内 都 肌理(きめ)と写真」展 レポート

飯沢耕太郎/artscape編集部

2018年03月01日号

展示室をまわった後に行なわれた懇親会では、飯沢さんによる展覧会の総括をはじめとして、本展の担当学芸員の大澤紗蓉子(おおさわ・さよこ)さんからもこの展示にまつわるエピソードを伺うことができた。ここからは、参加者から出た質問とその答えもまじえ、懇親会で繰り広げられた対話の一部を紹介していく。


展覧会の舞台裏

飯沢耕太郎──石内さんは作品を観てわかる通り、写真を始めたときから彼女の世界観は見事な一貫性を持っている。そういう写真家って、そうたくさんはいません。彼女は国際的な評価も高いわけですが、日本の写真家がどういう人たちなのかということをきちんと外にアピールできる写真家のひとりだと思います。今後も石内さんの展覧会はいろいろな場所で開かれていくと思いますが、そのなかで今回の展覧会は、彼女のターニングポイントを捉えた重要な写真展なので、みなさんにはできればもう一度観てほしいですね。


大澤紗蓉子(横浜美術館学芸員)──美術館で展覧会をやるとき、石内さんはまず、図面を長い間眺めるそうです。鑑賞会で話題になった壁の色というのも、コンセプトがありつつも、一番はその場所に展示する写真が一番良く映える色を選んでいる、と石内さんはおっしゃっていました。それから額装にもすごくこだわりがあって、標準よりもかなり薄く作ってあります。写真の物質感が現われるのを極力削ぎたいというお考えがあるようです。

また、石内さんが信頼している業者さんの間では連携ができていて、石内さんが発注すると、プリント屋さんから額縁屋さんまで、全工程を異なる業種の方が協力しあいながらが仕上がっていく。初めてそれを聞いたときは感動しました。

写真表現と絵画表現

参加者A──石内さんの写真を観ていて感じたのは、「写真のようで写真に見えない」ということです。特に「絹」の展示室の作品はどれも絵画的でした。


飯沢──そういう見方はまったく間違っていないと思いますよ。90年代以降、美術館でも写真家が展示をするようになって、プリントを大判にしてみたり、壁面に散りばめてみたりといった展示方法の模索が進んだわけですが、そういった状況のなかで、これが写真だとかこれが絵画だとか、ジャンル分けをする必要もなくなってきているんじゃないかなと僕は思います。最近は動画や音が写真の展示で使われたりと、非常に立体的な展示の仕方になっています。


参加者B──写真は(現実を)切り取るというイメージがあったんですけど、例えば「この廃墟にはかつてどんな人がいたのか」といった、写真の奥にあるものに対する想像力を掻き立てられました。遊郭や売春宿の生々しさや、被写体になった服の持ち主など──そこに生きていた人の息遣いが、通底するものとして感じられました。写真というのは、そういうものを映し出す表現なのかなと。


飯沢──「絵画と写真を分けて考える必要はない」とさっき話しましたが、同時にやっぱり違うところもあるんですよね。もっとも大きな違いは、今おっしゃった通り、被写体のモノとしての痕跡みたいなもの。それをたどっていくと、その先にリアルな実体がある。これは、いくらコンピュータでイメージをいじれるようになってきているといっても、写真という表現メディアの生命線といえるところです。さっき「生々しさ」とおっしゃったけれど、それも絵画表現と写真表現では指すものが少し違う。広島で原爆投下という出来事があって、そのときにあの服を着ていたんだということは、「そこにそのモノがあった」という事実として絶対に残っちゃうんですよね。それを握りしめているか握りしめていないかなんです。石内さんはその感覚を非常に強く持っている。

それとは別に、意識と無意識の違いもあります。写真って、本当の意味での「無意識」が写り込んでいるときがある。展示されていた写真のなかにも、その瞬間に石内さんがふっと捕まえてしまった無意識的な部分が写っている写真が山のようにあるので、それが見えてくるとまた面白いです。そういったことは、絵画では表現できないですよね。

写真はどこからがアート?

参加者C──ひとくちに写真といっても、いろいろな表現の仕方がありますよね。いわゆる報道写真とアート的な写真の違いというのはどういうところにあるんでしょうか? 例えば「絶唱、横須賀ストーリー」は、報道写真的な側面もあるのかなと思うのですが。


飯沢──難しい質問です(笑)。例えば東日本大震災が起こってから、数日以内に現場に入って写真を撮るような人たちは、報道写真家といえます。そこにあった客観的な事実を、いかに早く正確に伝えるか。そういう、撮影者の主観を一瞬で消し去るような写真が報道写真です。それに対して、写真家という独特なものの見方をする人が自らフィルターのようになって、事実を咀嚼し外に出していく──そうして現われてきた写真表現は、少なくともアートになりうるんです。すべてがそうだとは言わないけど。

石内さんの場合、初期三部作の私小説的な写真からスタイルが変化していきますよね。それは作品がもつ社会性や、撮影する被写体の広がりともいえるかもしれない。個人的な眼差しを持っていれば、「ひろしま」を撮っていようが「フリーダ・カーロ」を撮っていようが、大きな意味での「私写真」には変わりない。ですが、石内さんにとっての「私」の在り方は、傷を撮った「Innocence」あたりから変化が出てきて、大きな転換となったのが「ひろしま」だったと思います。個人的な表現の在り方と社会的な表現の在り方がうまく融合するようなかたちで提示したところに、石内さんの凄さがあるんですね。

でも人によってはああいう表現を嫌がる人もいます。「遺品を個人的な表現に作り換えている」という批判もないわけではないし、その見方もあながち間違っているわけではない。このあたりの綱渡りが写真表現の面白いところであり、難しいところです。石内さんの場合はそれを覚悟してやっているんじゃないかなと思いますね。



鑑賞会と懇親会とで、あっという間に過ぎた2時間半。終了後、参加者の方からは「写真の見方について視野が広がった。もっと写真を見たいと感じた。飯沢さんの知識に圧倒されました」「自分とは異なる視点や発想で見れて面白かった」「キュレーターの方にもお話を伺えて、展示の仕方についても知ることができ、今回参加できてよかったです」など、嬉しい感想を数多くいただいた。ご参加いただいた読者の皆さま、ありがとうございました。また、飯沢耕太郎さん、横浜美術館の皆さまの多大なご協力に感謝いたします。

石内 都 略歴

いしうち・みやこ
1947年、群馬県桐生市生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。1979年に「Apartment」で女性写真家として初めて第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年、母親の遺品を撮影した「Mother’s」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出。2007年より現在まで続けられる被爆者の遺品を撮影した「ひろしま」も国際的に評価され、近年は国内各地の美術館のほか、アメリカ、オーストラリア、イタリアなど海外で作品を発表している。2013年紫綬褒章受章。2014年には「写真界のノーベル賞」と呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。作品は、横浜美術館をはじめ、東京国立近代美術館、東京都写真美術館など国内主要美術館、ニューヨーク近代美術館、J・ポール・ゲティ美術館、テート・モダンなど世界各地の美術館に収蔵されている。

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飯沢耕太郎さんと観る「石内 都 肌理(きめ)と写真」展

日時:2018年2月13日(火)18:30〜21:00(閉館後の貸切)
会場:横浜美術館展示室+Café小倉山

石内 都 肌理(きめ)と写真

会期:2017年12月9日(土)~2018年3月4日(日)
会場:横浜美術館

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