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[PR]ポスターに潜む、印刷・加工のプロフェッショナルたちの協働──市谷の杜 本と活字館「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮 Aquirax Uno Kaleidoscope -Behind the Scene-」展

小林英治(編集者・ライター)

2023年10月01日号

コロナ禍のなかの2021年2月、東京・市谷に、印刷の原点である活版印刷と本づくりをテーマとした「市谷の杜 本と活字館」(以下、「本と活字館」)が開館したことをご存知だろうか。かつて大日本印刷株式会社の市谷工場があったこの地には、前身の秀英舎が1886(明治19)年に工場を建ててから2010年代に至るまで、130年近くにわたり書籍や雑誌の一大製造拠点として知られていた。今世紀に入ってからの工場の再整備に伴いその機能は郊外の工場に譲ることになったが、このたび、大正時代に建てられた市谷工場を象徴する「時計台」を目印とする建物を修復し、印刷の魅力を広く一般に公開する文化施設として誕生したのが「本と活字館」だ。かつての印刷工場を一部再現し、活版印刷の作業風景を見学できる「印刷所」や、卓上活版印刷やリソグラフを用いて印刷と本づくりを実際に体験できる「制作室」、印刷や本づくりのプロセスを紹介する「展示室」などがあるが、現在、展示室では前後期8カ月にわたる企画展「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮 Aquirax Uno Kaleidoscope -Behind the Scene-」が開催中だ(後期展示は2023年10月29日[日]まで)。


「市谷の杜 本と活字館」外観[撮影:artscape編集部]


印刷の花絮(=「こぼれ話、裏話」)を展示する

「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮 Aquirax Uno Kaleidoscope -Behind the Scene-」(以下、「万華鏡印刷花絮」展)は、日本を代表するイラストレーター、グラフィックデザイナーのひとりである宇野亞喜良(1934-)氏が、2022年12月から2023年1月末にかけてギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で行なわれた「宇野亞喜良 万華鏡」展(以下、「万華鏡」展)で発表した、特殊印刷による22点に及ぶポスター作品の制作過程に焦点を当てた興味深い展示となっている。というのも、「万華鏡」展で発表された作品には、俳句と少女をテーマにした宇野の原画を題材に、雑誌『デザインのひきだし』(グラフィック社)編集長の津田淳子氏が特殊印刷設計を行ない、多種多様な表現方法が試みられた結果、原画とは違った意味で新たなオリジナル作品になっているという特徴があるからだ。オフセット印刷、箔押し、段ボール紙へのシルクスクリーン印刷、手漉き透かし和紙など、津田が設計した特殊印刷の中身(用紙の選択から印刷と加工の組み合わせ/掛け合わせ)は、最終的な作品を見るだけではなかなか想像できないものだった。そこで、「万華鏡印刷花絮」展では、元になった原画と最終的な完成作品だけでなく、それぞれの作品で使用された印刷や加工技法の解説・紹介のほか、津田の手書きの修正指示が記された色校正紙や印刷の版なども展示。展示タイトルにある「花絮(かじょ)」=「こぼれ話、裏話」のとおり、完成に向けての試行錯誤と各分野のプロフェッショナルたちの協働作業の舞台裏を知ることができる。


「万華鏡印刷花絮」後期展示風景[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


「万華鏡印刷花絮」後期展示風景[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]



「もっとやっていい」。宇野氏からの激励

とはいえ、そもそもなぜ津田が特殊印刷設計を担当しているのだろうか。実は、gggの新作の展示に至るまでには、さらにその前段階があると、大日本印刷(「本と活字館」企画展担当)の佐々木愛氏が教えてくれた。「ポスターのもとになった宇野さんの原画は、2021年にグラフィック社から出された『宇野亞喜良画集 Kaleidoscope』から選ばれているのですが、この作品集を編集されたのが津田さんなんです。そして、このときすでに特殊印刷がされています(※筆者注:クレジットには「企画・構成・編集・製版・特殊印刷設計:津田淳子」とある)。普通の書籍でもカバーであれば加工されることがよくありますが、この本では中の作品のページにコールドフォイル(通常の箔押しと違い、熱や圧力を使わずに糊を使って箔を用紙に定着させる技術で、その上にオフセットで印刷することも可能)を使用したり、色紙に白を刷ったり、特色を重ねたりと、作品集としては例外的なことをしているんです」。


紙面に特殊印刷が施された『宇野亞喜良画集 Kaleidoscope』(グラフィック社、2021)[撮影:artscape編集部]


そして、この特殊印刷による原画の加工=変化を、宇野はとても喜んだという。「宇野さんは、校正紙を見ながら津田さんに『もっと(加工を)やっていい。もっと(原画から)変えていい』とおっしゃったそうです。宇野さんからそうは言われても、津田さんとしては、途中まではやはり原画の印象を残さなくてはいけないという担当編集者としての気持ちもあったようなのですが、最後ぎりぎりで宇野さんの言葉に背中を押されて、かなり思い切った特殊印刷に振り切ったそうです。宇野さんはこのときに印刷でいろいろ変えてもらったのが面白かったみたいで、gggでの展示の話があったとき、『津田さんと一緒にチームでやりたい』と真っ先に提案されたそうです」。つまり、宇野の「もっとやっていい」のリクエストに応えて、あらためて最大限の特殊印刷を考え、本を飛び出してポスターという形で実現させたのが「万華鏡」展での22点だったのだ。


キャリア初期から続く、ポスターへの思い入れ

「万華鏡印刷花絮」後期展示風景[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


今年89歳を迎えた宇野の長きにわたるキャリアのなかでも、ポスターの仕事は特別な位置を占めている。1950年代に広告デザイナーとしてスタートし、当時の若手デザイナーの登竜門であった日宣美(日本宣伝美術会)で入選を重ねたポスター作品がまず挙げられる。さらにフリーランスとなってから1960年代に多く手がけるようになったアングラ演劇の公演ポスター群では、宇野のトレードマークともいえる可憐さと妖艶さを兼ね備えた少女像のモチーフが多く描かれ、宣伝物であると同時に宇野の作品であり、時代の空気を捉えた歴史的資料としての価値も認められるものとなっている。

「万華鏡」展では、1階の新作とあわせて、地下会場に1960年代の代表的なポスターが約50点展示されたが、そのほとんどは宇野がイラストを描き自身でデザインも行なったものだ。当然そのプロセスにおいて、素材となるイラストが印刷を経て別の形として表現され得ることには自覚的だったはずだ。オフセット印刷が普及する1970年代以前、多くのポスターは少部数でも安価で刷ることができたシルクスクリーンで制作されており、当時の若手デザイナーたちがこぞって利用していたシルクスクリーン工房「サイトウプロセス」に宇野も通って印刷実験を重ねていたことは、「万華鏡印刷花絮」展期間中に開催された津田とのトークイベントでも語られた。

『デザインのひきだし』が築いてきた知見と人脈を生かして

現在では、宇野がポスターのデザインも兼ねていた頃とは状況が異なり、印刷や加工の技術が多岐にわたっている。現役のデザイナーにしても、書籍、グラフィック、パッケージなど、それぞれが主に扱う分野以外のことは詳しく知らないこともあるだろう。そんなデザイナーたちにとって、毎号紙や印刷加工にまつわる特集テーマを絞って、その現場を取材し、雑誌そのものが実例サンプル集にもなっている『デザインのひきだし』は、多くのヒントを与えてくれる存在だ。「万華鏡」展で試みられた特殊印刷設計には、雑誌創刊からの17年に及ぶ津田の経験と知識がいかんなく発揮されている。


ポスター《百合》の展示セクション[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


《百合》は、絵柄全体を油性オフセット印刷したあと、シルクスクリーンでガラスのような透明感のあるラメを絵柄の一部に印刷。宇野の作品が纏うキラキラした感じを化粧を施したような質感で表現した。


ポスター《百合》(拡大)[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


《虹盗み》は、油性オフセットで特色を含めた4色印刷をした上にシルクスクリーンで糊を印刷し、糊の部分に手作業でビーズをのせることでモザイク画のような立体的な作品に仕上がっている。ビーズ加工を手がけたのは、普段はアパレルの加工をしている会社で、実際の手作業の様子を映像で見ることができる。


ポスター《虹盗み》の展示セクション[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


ポスター《虹盗み》(拡大)[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


印刷をせずに加工だけで制作した作品もある。ラスター加工という技法を用いた《薔薇》は、原画の絵柄のデータをドット化し、紙に対してそのドットひとつひとつをレーザー照射することで、印刷ではなく無数の小さな穴で作品を表現。印刷では出しにくい鮮やかなピンクの用紙の色そのものの魅力を引き出している。


ポスター《薔薇》の展示セクション[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


ポスター《薔薇》(拡大)[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


印刷しないどころか、越前の手漉き透かし和紙の技法を用いて、紙そのもので宇野の作品を表現するという挑戦を試みたのが《雪女郎》。無地の状態で漉いた層と、絵柄に合わせた凹凸のある版を用いて漉いた層を重ねて、二つを圧搾・乾燥させることで透かしのある1枚の紙を生み出している。完全手作業の紙漉きの様子をこちらも映像で見ることができる


ポスター《雪女郎》の展示セクション[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


ポスター《雪女郎》(拡大)[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


「制作にあたっては、印刷から加工まで複数の会社さんに入っていただいていますが、ほぼすべて津田さんが過去に取材されたことがあるところにお願いしています。印刷から加工までの工程が複雑になるほど、どうしても発注先からさらに発注してと間接的になってしまいますが、津田さんはその最後の加工の部分まで知っている人。そのことを製造の現場の方も知っていて、信頼関係も築かれているからこそ実現した企画」だと佐々木氏は述べる。そして、本と活字館では、この機会を利用しない手はないと、ポスター完成までの特殊印刷のプロセスを記録し、「万華鏡印刷花絮」展でその裏舞台を紹介したというわけだ。「本と活字館でも展示をさせてほしいということは、昨年の夏に津田さんから各作品をこの技術でやりたいという『設計』のリストが上がってきたタイミングで相談していました。そこからはgggサイドと一緒に進行するかたちで、現場に同行して写真と動画で撮影したり、普通なら処分してしまう色校正やそれぞれの版を各印刷所に保存しておいてもらったりと、関係各所の皆さんにご協力いただきました」。


佐々木愛氏(大日本印刷「本と活字館」企画展担当)[撮影:artscape編集部]


使い終わった段ボールなど、印刷する素材については宇野からのリクエストがあったというが、興味深いのは、「特殊印刷」に関しては宇野がすべて津田に任せていたということだ。しかも「設計」の部分だけでなく、宇野は色校正の確認も津田に任せて、完成した実物を見たのは「万華鏡」展の搬入日当日だというから驚きだ。そこには、技術的な選択に関しての津田への信頼だけでなく、あえて途中を見ないことで、原画からどれだけ変化するかという印刷実験の成果を見て驚きたい、面白がりたいという宇野の精神がうかがえる。


「万華鏡印刷花絮」後期展示風景[撮影:白石和弘/写真提供:市谷の杜 本と活字館]


校正紙に書き込まれた津田による赤字から垣間見える、印刷・加工の現場とのやりとりも見どころのひとつ[撮影:artscape編集部]


幸いにも観客は、そのプロセスの詳細を「万華鏡印刷花絮」展で知ることができる。津田によるコメント付きの特殊印刷の設計から、色校正の修正指示や用紙違いのテストサンプルなど制作過程での試行錯誤の痕跡、さらに印刷加工現場の作業風景の記録まで、それらの実物を目にすることで、ひとつの作品の背後にさまざまな人が関わっていることがわかる。ぜひ会場に足を運んで、印刷や加工が生みだす紙モノならではの魅力と、各分野のプロフェッショナルたちの協働のリアリティを実感してほしい。


「チーム」の一員として、画集のブックデザインを手がけた大島依提亜氏が、gggと本と活字館での展示でも宣伝ポスターやチラシのデザインを担当している。大島のアイデアで、「万華鏡印刷花絮」展のチラシは裏面をオフセット印刷して納品したあと、表面を本と活字館の「制作室」のスタッフがリソグラフで印刷して完成させたハイブリッドな仕様で、さらに前期と後期でリソグラフのインキ色を変えた「特殊印刷」となっている[撮影:artscape編集部]



宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮 Aquirax Uno Kaleidoscope -Behind the Scene-

会期:
[前期展示]2023年3月4日(土)~6月25日(日)※会期終了済み
[後期展示]2023年6月28日(水)~10月29日(日)
会場:市谷の杜 本と活字館(東京都新宿区市谷加賀町1-1-1 大日本印刷)
公式サイト:https://ichigaya-letterpress.jp/gallery/000303.html(後期展示)


本と活字館の常設展示では長年にわたり現場で使い込まれてきた活版印刷機や活字などを間近で見ることができ、それらを用いたワークショップなども頻繁に開催されている[撮影:artscape編集部]

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