Large (2)/「ヴォイドの戦略」の発見

今回は『S,M,L,XL』の「L」章に収められた「ヴォイドの戦略」(”Strategy of the Void”)を読みます。これは、フランス国立図書館コンペ案(Très Grande Bibliothèque, Paris, France, 1989)を説明するテクストです。ここでコールハースは、近代において避けることが出来ない「ビッグネス」=巨大建築物の問題に正面から取り組み、圧倒的な量の存在を前提とする新しい建築手法を生み出しました。

「ヴォイドの戦略」の冒頭(『S,M,L,XL』p.602-603)

「ヴォイドの戦略」の冒頭(『S,M,L,XL』p.602-603)

「ヴォイドの戦略」のテクストは、一枚のポルノグラフィからはじまります。これをコールハースの悪ふざけと考えてはいけません。同じ挿絵は1995年に東京で開催されたOMA展のカタログにも大きく掲載されています。この写真には意図があるのです。それは、次のように言えるでしょう。

「逆説的に、最も重要で、最も想像力を刺激する部分は不在として表現される。」

このテーゼが建築でどのように表現されているのか、フランス国立図書館のコンペ案を見ていきます。

フランス国立図書館コンペ案の模型(『S,M,L,XL』p.660-661)

フランス国立図書館コンペ案の模型(『S,M,L,XL』p.660-661)

1989年に行われたフランス国立図書館のコンペは、セーヌ川に面した25万㎡の敷地に5つの図書館を内包する巨大建築を設計する、というものでした。まさにビッグネスと呼ぶにふさわしいスケールに対して、数々の試みを経てコールハースが生み出したのがヴォイド(不在)という建築手法です。テクストと図版に並行して掲載されている当時の日記からの抜粋が、コールハースの興奮を臨場感をもって伝えています。

「5月5日 このプログラムはメガロマニアの夢だ。世界中で戦後に生産されたすべての言葉とイメージを集める、互いに全く異なった5つの図書館。…」

「5月11日 突然、”私”の職業がもつ表面的な義務に吐き気を催した。差異をつくりだし、おもしろいものを”クリエイト”し、とてつもなく退屈なことが明白なものに取り組み、発明する、という義務に。…」

「5月15日 …規則的な部分と不規則的な部分から構成された建物を考えてみよう。そこでは建物の最も重要な部分が建物の不在から成り立っている。今、規則的なものとは書庫である。そして不規則的なものは閲覧室だ。それはデザインされたものではなく、単純にえぐりとられたものだ。…」

「5月25日 …排除のプロセスの残余としての建物。私たちは美学ではなく、量に取り組んだ。私たちは足したり引いたりしただけだ。」

「5月30日 差異を求めないことで、このプロジェクトは”異なっている”。…」

「6月4日 ディア、ダイアリー。私たちはこのコンペに勝ちたいのか、否か?」(『S,M,L,XL』p.608-646)

左頁:ダイアグラム。フロアの反復を背景として、自由な形態をもつヴォイドが描かれている。 右頁:6階平面図(『S,M,L,XL』p.626-627)

左頁:ダイアグラム。フロアの反復を背景として、自由な形態をもつヴォイドが描かれている。 右頁:6階平面図(『S,M,L,XL』p.626-627)

OMAのフランス図書館コンペ案では、大量の書庫を載せたフロアの反復によって意図的に退屈で没個性的な空間がつくられています。そして、反復する空間を「地」として、自由な形態をもった閲覧室の空洞=ヴォイドが「図」となって描かれます。一見単純に見える巨大なキューブには5つの図書館の性質に対応して、石ころや螺旋、交差、貝殻、ループといった特殊な形のヴォイドが穿たれているのです。

ここで重要なのは、ヴォイドを描くためにはソリッドが前提として必要である、という点です。それは「基準プラン」のような大量生産的な反復、没個性を否定するものではありません。また、「建てない」ことで建築をつくりだすためには、ヴォイドを穿つための「地」として巨大な量塊=「ビッグネス」の存在が必要となります。ヴォイドの戦略は、ニュートラルな平面の反復を示唆する「基準プラン」と古典的美学の臨界点を越えた「ビッグネス」という、近代化がもたらした二つの建築的状況を受容し、それらを超克するものとして構想されたと言えるでしょう。

OMAはフランス国立図書館のコンペで敗北しましたが(フランスの現代建築家ドミニク・ペローの案が実現)、ヴォイドの戦略は1990年代以降も繰り返し提案され、在ベルリン・オランダ大使館(Netherlands Embassy, 2003)やシアトル公立図書館(Seattle Central Library, 2004)、カサ・ダ・ムジカ(Casa da Musica, 2005)などが実現しています。また、ソリッドとヴォイドの相補性は建築の領域にとどまらず概念的な方法論へと拡張され、その適用範囲はプラダに対するブランド・コンサルティング(2000-現在)にまでおよびます。これらの展開の中で、ソリッドとヴォイドの対比には没個性vs個性、商業主義vs公共性、一時性vs永続性といった意味が重ねられています。ヴォイドの戦略はコールハースのライフ・ワークとして、現在でも進化を続けているのです。

ところで、『S,M,L,XL』の別の箇所で、コールハースは次のように述べています。

「日本語におけるヴォイドという単語を避けるため、私は最善を尽くしている。」
(”I’m doing my best to avoid the japanese word void”、『S,M,L,XL』p.1)

コールハースのヴォイドは東洋的な「空(くう)」を意味しているのではなく、あくまでソリッドとヴォイドの弁証法であり、きわめて西洋的な発想だと思います。アジアにおいてもヴォイドの戦略は適用可能か。あるいは、それは異なった形に変わるのだろうか。私も、設計を通して考えていきたいと思います。

次回は、ビッグネスが設備・構造に与えるインパクトについて述べられた、「L」章の「最後のりんご」を読み進めたいと思います。それではまた。

ブロガー:岩元真明
2011年8月25日 / 12:49

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