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「技術を伴ったパッションの記号化」の軌跡と今後──松井冬子「世界中の子と友達になれる」展レビュー
暮沢剛巳(美術評論、東京工科大学デザイン学部准教授)
2012年01月15日号
日本を代表する「特異な日本画家」松井冬子の大規模な個展が横浜美術館で開催中です。松井の代表的な作品と、試行錯誤の軌跡を伝える下絵、厳密に描き込んだデッサンなどに、最新作を加えた約100点によって、作家の全貌が余すことなく公開されています。
12月31日。日ごろは歌謡曲などまったく聞かないのに、この日の夜ばかりは「紅白歌合戦」にチャンネルを合わせていた美術関係者が多かっただろうが、彼(女)らはテレビの前で一様に眼を丸くしたに違いない。なんとその審査員席には黒い和服姿の松井冬子が座っていたからである。「紅白歌合戦」といえば、往時には及ばぬにせよいまなお年間最高視聴率を叩きだす「国民的歌番組」だ。その審査員に招かれたということは、ひょっとして松井が「国民的画家」として認められたということなのか。
とはいえ、松井=国民的画家という図式には違和感を覚える者も少なくないだろう。ほかでもない私自身がそうである。それは、松井がまだ30代の若手であることに加え、彼女の作風にも大きな原因がある。作風への評価は賛否両論あって当然だが、少なくとも幽霊や内臓を好んで描く彼女の作風がけっして万人向けではないことは誰しも認めるところだろう。多くのメディアで取り上げられる芸能人のような活躍ぶりと、視覚的な刺激の強い作風の大きな乖離には戸惑わずにはいられないが、私は以前から感じていた大きな乖離の理由を見定めたくなって、現在横浜美術館で開催中の「松井冬子展」展へと足を運んできた。
同展は現時点での松井の集大成と言ってよく、過去10年来の重要な作品が9つの章に分けてほぼ網羅されている。なかでも、私が最初に強く惹きつけられたのは、展覧会のサブタイトルともなっている「世界中の子たちと友達になれる」であった。東京藝大の卒業制作として、完成に約1年を費やしたというこの作品の構図は、一見する分には満開の藤の枝の下で微笑む少女の姿を描いたスタティックなものだが、その画面は全体に重苦しく、また眼を凝らすと藤の枝に潜む異様な数のスズメバチや足の指先ににじむ鮮血が嫌でも視界に入ってくる。「デビュー作にはその作家のすべてが現われる」とはよく言われる常套句だが、この実質的なデビュー作を見ていると、現在では病や傷をテーマとした作品で知られる松井もまたその例に漏れないことがよくわかる。
さらにもう一作、「浄相の持続」についても考えてみよう。「九相図」の章に展示されたこの作品には、咲き乱れる花に囲まれた裸の女性の屍体が描かれている。その腹部は縦に引き裂かれ、子を宿した子宮が無残に露出している。だが女性の瞳は密かに微笑んでいるようでもあり、あるいはまだ生きているのではないかとも思わせる(私の知る限り、松井はこの女性の生死を明らかにしていない)。一見グロテスクとしかいいようのない構図だが、しかしルネサンス美術を学んだことのある観客は、この作品を見てデジャヴュな感覚にとらわれるに違いない。子宮のなかの胎児とは、あのレオナルド・ダ=ヴィンチが好んだモチーフであるからだ。仏教にちなんだテーマを日本画の技法で描いた絵画が、実は西洋美術の強い影響下にあるという折衷的な性格もまた、初期の頃より一貫して認められる松井の作品の特徴なのである。
もともと洋画を学んでいた松井が、東京藝大を目指して浪人していた最中に長谷川等伯の「松林図屏風」を見て衝撃を受け、日本画へと進路変更したことはよく知られている。以来一貫して日本画を描き続けてきた松井は、カタログのなかで、そのこだわりを以下のように説明している。
──創作においては「日本画」という技法を用いている。それも最も古典的でアカデミックな技法である。「日本画」という技法には習得過程における不断の努力が必要であるということと、技術の制約の無いところからは何も生まれないという信条に基づいている。美術とは技術を伴ったパッションの記号化であると信じているからである[下線引用者]。
本展の出品作の多くは絹本着色という技法によって制作されている。絵絹の上に何重にも着色を繰り返すこの技法は非常に手間のかかるものだが、病や傷といったテーマに強くこだわる松井にとって、油彩などによっては不可能なウェットな質感と触感的な陰影を表現しうるこの技法は必要不可欠なもののようだ。日本画の門外漢である私には作品の良し悪しなど判断できないし、細部の分析などさらに無理な相談だが、それでも松井が「技術を伴ったパッションの記号化」を本気で実践しようとしていることはこのことひとつとってもよくわかる。
だが一方で、松井の日本画へのこだわりには全く別の一面も指摘できるだろう。「日本画」が明治初期に岡倉天心とアーネスト・フェノロサの二人によって人為的に作りだされた絵画形式であることは、今日ではほぼ常識である。岩絵具と膠によって描かれるその画面は、伝統的な美意識というよりは、西洋のイーゼル・ペインティングに対置する形で生み出された極めて近代的な意識に依拠したものなのだ。であればこそ、そうした人為的な起源を自明の前提として、日本画をよりポップで現代的なものへと再編しようとする「ネオ日本画」なる試みが提唱されたこともあるわけだし、他でもない松井自身が同じ会場で数年前にそうした趣旨の下に開催された「日本X画展 しょく発する6人」に出品していた一人ではないか。東京藝大に提出した博士論文でダミアン・ハースト、チャップマン兄弟、マリーナ・アブラモヴィッチといったヨーロッパの現代美術家を考察の対象とした松井が、人一倍日本画の人為性に自覚的であることは間違いない。
以前からの疑問の答えを見つけたくて展覧会に足を運びはしたものの、結局のところスター然とした松井の人物像と明らかに見る人を選ぶ作品との大きな乖離の原因はわからなかった。戸惑いは戸惑いのままである。大規模な個展が開催された現在、今後の展開が気にかかるところだが、従来の日本画の文脈の外で「技術を伴ったパッションの記号化」の意義を問うべく、私個人としては是非とも海外での活動を視野に入れて欲しいと思う。かといって、グローバルなアートシーンで評価を得ることが不可欠なわけでもない。「国民的画家」を目指すのかどうかはともかく、日本画の人為性を踏まえて、あくまでドメスティックにその可能性を追究することもまたひとつの選択ではあるだろう。いずれにせよ、決断するのは本人である。