フォーカス
その建物に物申す!──レファレンダムとイニシアチヴの行使による都市建築計画への直接参加
木村浩之
2014年09月01日号
新国立競技場のコンペをきっかけに、日本の都市・建築行政に関しての議論が盛んに行なわれている。その文脈で、スイス・バーゼルで、ザハ・ハディド設計(コンペ1等)のコンサートホール改築案が住民投票により計画中止に追い込まれた例が注目を浴びている。建築家、槇文彦氏がエッセイ「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」(『JIA MAGAZINE』295, 2013年8月)にて引用したことにより広く知られることとなったが、その具体的な仕組みや行使状況などについてはあまり知られていない。
市民が決める都市・建築
同様の例として、チューリヒの国際会議場新築案(ラファエル・モネオ設計)などについても言及されているが、必ずしも外国人スター建築家のデザインや規模の大きな計画のみが廃案に持ち込まれているわけではない。バーゼルでも地元建築家、例えばヘルツォーク&ド・ムーロン設計の小規模な映画館コンプレックス案が廃案になっている。またチューリヒで廃案となったサッカースタジアム改築計画も地元の建築家の案だった。チューリヒには国際サッカー連盟FIFAの本部があるが、そんなことは関係ない。有権市民の過半数が反対するならば、いかなる議決も無効にできるのがスイスなのだ。
レファレンダム(市民投票)とイニシアチヴ(市民発議)という二つの方法によって、単独の案件に対して投票にて民意を問う仕組みがそれだ。バーゼル都市州を例にとってみると、ここ約10年のあいだ(2003-2014)に合計47回142項目についての投票が行なわれている。平均すると2カ月半ごとの投票日に3項目の案件が問われている計算になる。その頻度は驚くものがあるが、それは直接民主制ゆえの忙しさだ。そして注目に値するのが、都市・建築関連の案件の多さだ。142項目のうち、都市計画・インフラ・建築関連のものが16項目ある(次頁表「バーゼル市民投票の10年」参照)。1割強と聞くと多くは感じられないかもしれないが、政治の1割が都市建築関連に割かれていると考えれば、大きな比率だ。もちろんそれだけ都市・建築は、空間的にも財政的にも市民にとってのインパクトが大きいということだろう。必ずしも税金の支出と関係ないプライベートな計画案(地区詳細計画等を伴うもの)が市民投票に掛けられていることも、財政面だけでなく空間環境面への関心が高いことを示している。そして、市民投票という直接的ツールが──時には議会の見解と対立しつつも──市民の理解と合意のうえで行政を円満に進めていくために効率的なツールとして、大いに利用されていることがわかる。
スイスのレファレンダムとイニシアチヴ
スイスは、面積としては九州くらい、人口も800万人程度と小さな国だ。しかし大国アメリカ合衆国のように、地方分権が進んでいる。スイスにある26の州(カントンおよび準カントンと呼ばれる)では税制や教育制度を含む何もかもが異なっている。
ここでの関心である建築関連法も、州ごとに異なる。例えば、都市計画に用いられる「地区詳細計画」はバーゼルではBebauungsplanと呼ばれるが、それに対応するものは、チューリヒではGestaltungsplanとSonderbauvorschriftの二つに分かれる。
違いを挙げればきりがないが、レファレンダムをもって議決を無効にできるということに関しては、州を問わずスイス国民に共通に保障されている権利だ。スイスの政治制度は、直接民主制の伝統を強く残すと言われているが、それはこの市民投票(レファレンダム)の仕組みが1874年以来スイス憲法に記されていることにも表われている。
直接民主主義といっても、古代ギリシアのように有権者の大勢が毎回広場に集まって議論しているわけではない。選挙によって選ばれた少数の議員が議会で議論し決議している。この部分は日本の仕組みと変わらない(議会制民主主義)。しかし、有権者には事後的にその議会決議に異論を唱える権利が与えられている。この二重の仕組みをもって半直接民主主義とも呼ばれている。
レファレンダムとは、議会の議決に異議のある有権者が告示から一定の期間に一定人数分の署名を提出すると、その議決を保留にし、全有権者の投票にて最終決定することができるものだ。もちろん、反対派の署名活動が行なわれなかった場合、それらは期日をもって自動的に施行となる。都市・建築関連で言えば、税金の使われる公共建築や、法的効力をもつ地区詳細計画はどれも市議会承認が必要なため、原則それらすべては市民投票にかけられうる事項だ(地区詳細計画とは、当該敷地内の建築のデザイン、高さや密度などの制限を規定することで良好な都市環境を整備するためのマスタープランのようなもので、部分的に建築基準法の適用の除外も規定することができる)。
またイニシアチヴとは、市民が独自のプロジェクト、新たな法案や既存の法律や憲法の改正等を署名とともに提出し、全有権者の投票に付すことのできる制度だ。建築関連分野でイニシアチヴの行使頻度は、レファレンダムに比べ少ない。ただ近年バーゼルでもイニシアチヴにより用途地域変更が行なわれた例がある。
能動的なのがイニシアチヴで、受動的なのがレファレンダムとも言えるが、共に署名活動は能動的に起こさなくてはならない。レファレンダムとイニシアチヴを行使するために必要な署名は、全有権者の約1〜2%に相当する。最終的に投票にて当該行政区有権者の過半数の支持がなければ承認とならないが、比較的少人数の署名にて当権利を行使できることがわかる。政党などの組織に属していない一般市民にも開かれたツールなのだ。逆に市民投票を経ることにより急用な法案の執行をいたずらに遅延させることもあり、あまりにも簡単に行使できることを問題視する意見も出ている。
ちなみに人口の8割強が有権者となっている日本でも、レファレンダムとイニシアチヴは限られた範囲でだが行使ができる(ただし、必要署名数は有権者の1割以上としている自治体が多く[大和市では3分の1]、極めて敷居が高い)。しかし市民発議や直接請求というとリコール程度の認識しかなく、一般に浸透したツールとして認識されていない。
一方、2005年の行政手続き法改正によって、パブリックコメント(意見公募)の手続きが導入されている。同法は地方自治体には適用とはならないが、条例等により同種の制度を設けているところも多い。パブリックコメントの原型は、ジュネーブ市民であったジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』(1762)にすでにあらわれており、決して新しい考え方ではないが、それは直接の参加により帰属感を強め、幅広い市民に受け入れられる手法として注目されている。ただ、集まったコメントの法的拘束力が規定されていないため、まだ市民にとって実効性のあるツールとはなりえていない。
スイスのレファレンダムとイニシアチヴは、自発性と法的効力性を伴い、市民が政治決定に全面的に直接参加できるツールと理解してもよいだろう。もっと言うならば、それらは議会制民主主義のジレンマである「彼ら(人民)が自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる」(ルソー、同上)という点を解消した民主主義の別のあり方を示しているのではないだろうか。