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報道写真の理念を問い直す注目すべき試み 「戦争と平和 ── 伝えたかった日本」展レビュー

飯沢耕太郎(写真評論家)2015年08月15日号

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 今年は「戦後70年」ということで、あらためて写真を通じて戦中・戦後の日本の社会状況をふりかえるという企画が目につく。「林忠彦写真展 カストリ時代1946─56 & AMERICA1955」(キヤノンオープンギャラリー1・2 7月27日~8月25日)、「知っていますか…ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾 被爆から70年」(日本カメラ財団JCIIフォトサロン 8月4日~30日)などがそうだ。他にも各地で、さまざまな「戦後70年特別企画」が行なわれている。


「戦争と平和 ── 伝えたかった日本」展

 だが、ただ単純に写真を並べ、解説しただけでは、「過去にこんな悲惨な出来事があった」ということを追認するだけになってしまう。「林忠彦写真展」や「ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」展がそういう展覧会だと言っているわけではない。どちらもよく練り上げられたいい展示だった。だが、往々にしてこのような区切りの年に開催される展覧会は、代わりばえのしない、紋切り型の構成になりがちではある。つまり、戦中・戦後の社会状況を写し出した写真が、どういう歴史的、文化的なバックグラウンドで成立してきたのか、それらがどんな人たちによって担われ、どのように享受されたのか、まずはその基本的な枠組みをきちんと問い直すことが必要になるということだろう。
 その意味で、今回IZU PHOTO MUSEUMで開催された「戦争と平和 伝えたかった日本」展は、とても意義深い展覧会だったと思う。IZU PHOTO MUSEUMは、研究員の小原真史を中心として「増山たづ子 すべて写真になる日まで」(2013~14)、「荒木経惟写真集展 アラーキー」(2012)、「富士幻景 富士山にみる日本人の肖像」(2011)など、精緻に組み上げられた充実した内容の展覧会を開催してきた。それに加えて今回の展示には、日本カメラ博物館運営委員として、名取洋之助と彼が主宰した日本工房をテーマとした数々の展覧会を組織し、先頃『〈報道写真〉と戦争 1930─1960』(吉川弘文館、2014)を上梓して高い評価を受けた白山眞理が全面的に協力している。現時点で考えうる最強メンバーによる、総作品数1000点を超えるという全力投球の展示は、文句なしに見応えがあった。

 本展は「日本文化の紹介」、「プロパガンダ」、「敗戦と占領期」、「冷戦期の宣伝戦」の4部で構成されている。1933年にドイツから帰国した名取洋之助は、日本に「報道写真」の理念を根づかせることを目的として「日本工房」を結成し、34年から海外向けの日本文化紹介誌『NIPPON』を刊行しはじめる。日本工房には名取の他に写真家として土門拳や藤本四八が加わり、山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策、熊田五郎(千佳慕)らがデザインを担当した。本展のプロローグの「日本文化の紹介」のパートでは、日本工房の出版物を中心に、『TRAVEL IN JAPAN』(鉄道省国際観光局)、39年のニューヨーク万国博に出品された写真壁画「躍進日本」(国際文化振興会)など、写真とグラフィックデザインを高度に融合させて、伝統とモダンとが共存する日本文化を海外にアピールしようとした成果を見ることができた。


左:『NIPPON』7号、日本工房、1936年[表紙構成:河野鷹思、表紙写真:名取洋之助]日本カメラ財団蔵
右:『TRAVEL IN JAPAN』3巻1号(裏表紙)、国際観光局、1937年[表紙構成:原弘、表紙写真:木村伊兵衛]日本カメラ財団蔵

 ところが、中国大陸で戦火が拡大し、戦時体制が強化されていくようになると、「報道写真」は国威発揚のプロパガンダ一色に染め上げられていくことになる。「プロパガンダ」のパートでは日本工房/国際報道工芸(1939年に改組)が制作した『SHANGHAI』、『CANTON』、『カウパアプ・タワンオーク』(タイ語)などの戦略的対外宣伝雑誌のほか、38年に内閣情報部が創刊した「写真による啓発宣伝」を目的とする『写真週報』、43年に東京・有楽町の日劇ビルと大阪・難波の高島屋の外壁に掲げられた「百畳敷」の大写真壁画「撃ちてし止まむ」など、戦時下の「報道写真」が紹介された。

 木村伊兵衛を写真部の、原弘を美術部の主任として、1942年から全9冊刊行された『FRONT』(東方社)などを見ると、『NIPPON』などで欧米諸国と遜色のない高度なレベルに達した写真やグラフィックデザインの手法が、戦時プロパガンダに根こそぎ総動員されていったことがよくわかる。しかも、単純に職人的な技術のみを提供したというだけではなく、土門拳の「僕達は云はばカメラを持つた憂国の志士として起つのである。その報道写真家としての技能を国家へ奉仕せしめんとするのである」という40年の発言を見ればわかるように、写真家やデザイナーたちはむしろ積極的に総動員体制にコミットしようとしていた。「報道写真」が戦争遂行に果たした役割(当事者の責任の所在を含めて)は、より深く、細やかに検証されるべき課題の一つといえるだろう。


左:『LIFE』1937年1月11日号[表紙写真:名取洋之助] 個人蔵
右:『FRONT』1−2号、東方社、1942年[表紙構成:原弘]日本カメラ財団蔵


左:有楽町日劇の写真壁画「撃ちてし止まむ」『アサヒグラフ』1943年3月24日号表紙 個人蔵
右:小柳次一「斥候 岩山を行く友軍に所在を示す日の丸を付けて」1938年、平和祈念展示資料館蔵

 次の「敗戦と占領期」のパートでは、広島と長崎の原爆投下直後の惨状を記録した山端庸介、林重男、菊池俊吉らの写真のほか、「人間宣言」以降の昭和天皇のイメージの変遷、敗戦で解散を余儀なくされた東方社の社員たちが制作にかかわった『PICTORIAL ALPHABET—児童ABC絵本』(文化社、1946)、『東京 一九四五年・秋』(同)、『LIVING HIROSHIMA』(広島県観光協会、1949)などが展示された。これらの仕事を見ると、厳しい時代状況の中で、乏しい資材をやりくりしながら、再生の道を探ろうとする写真家やデザイナーたちの苦闘が伝わってくる。だが一方で、戦時体制下のプロパガンダに完全に組み込まれていた「報道写真」が、同じメンバーの手で、何食わぬ顔で復活していくことに、割り切れなさも感じないわけにはいかない。


左:菊池俊吉「広島瓦斯工場のタンクの影(ハンドル)」1945年、個人蔵
右:『LIVING HIROSHIMA』広島県観光協会、1949年[表紙構成:原弘、表紙写真:菊池俊吉・林重男]個人蔵


左:海軍を撮影する東方社写真部主任・木村伊兵衛、1941年、日本カメラ財団蔵
右:アメリカで大陸横断取材中の日本工房主宰・名取洋之助、1937年、日本カメラ財団蔵

 最後のパートになる「冷戦期の宣伝戦」では、名取洋之助が「日本の『LIFE』」をめざして1947年に創刊した『週刊サンニュース』(サン・ニュース・フォトス)、1950~58年に全286冊刊行された『岩波写真文庫』(岩波書店)などのほか、1956年3~4月に日本橋高島屋で開催された「ザ・ファミリー・オブ・マン」日本巡回展が紹介された(他に大阪、京都、名古屋、広島、福岡、岡山、静岡などで開催)。ニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターだったエドワード・スタイケンが構成した、68カ国、273人の写真家の作品503点から成るこの展覧会は、55年から世界中を巡回し、900万人という空前の観客を動員する。日本でも大きな注目を集めていたのだが、昭和天皇が来場した際に、日本巡回展に加えられていた山端庸介撮影の長崎の原爆被災地の写真が、カーテンで隠され、最終的には撤去されるという事件が起こる。

 今回の「戦争と平和」展における最大の問題提起の一つは、この山端の写真を使用した写真パネルを再現していることだろう。遺体が放置されたままの焼け野原の写真を背景に、有名なおにぎりを持つ少年など4点の被爆者の写真を配し、バートランド・ラッセルの「⋯⋯即死は幸運な少数だけで、大多数の人々にはゆっくりと、疫病と壊体の責苦がくる」という言葉を添えたこの展示は、今見ても新たな認識へと見る者を誘う「報道写真」のラジカルな可能性をさし示しているといえる。にもかかわらず、このパネルが隠蔽・撤去されたということは、小原真史が言うように「人間は一つの家族である」という「普遍的な物語を謳い上げようとするスタイケンのオーケストレーションをかき乱すノイズとして排除の対象となった」ということだろう。


山端庸介「長崎」1945年8月10日、日本写真家協会蔵

 以上見てきたように、本展は戦前・戦中・戦後を通じて「報道写真」の理念がどのように受け入れられ、展開し、変質していったのかを多くの作品と資料で問い直す、注目すべき試みといえる。これまでの日本写真史の記述においては、1945年8月15日の敗戦を一つの区切りとして、戦前と戦後を二つに分けて論じることが多かった。だが、名取洋之助、木村伊兵衛、土門拳らの活動をふりかえればすぐにわかるように、そこには断絶よりもむしろ継続性を見ることができるように思える。1930~50年代をひとまたぎに概観していくような日本写真史の再構築は急務であり、本展はその要請によく応えているといえそうだ。今後は「報道写真」だけではなく、他のジャンルを含めた日本の写真表現全般についての再検討が必要になってくるのはいうまでもない。

 なお、展覧会にあわせて平凡社の「コロナ・ブックス」から、白山眞理・小原真史編著『戦争と平和 〈報道写真〉が伝えたかった日本』が刊行されている。本展のカタログとしての役割も充分に果たす力作である。


『戦争と平和 〈報道写真〉が伝えたかった日本』(コロナ・ブックス、2015年)

戦後70 年特別企画「戦争と平和 ── 伝えたかった日本」

会期:2015年7月18日(土)〜2016年1月31(日)
会場: IZU PHOTO MUSEUM
静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1/Tel. 055-989-8780
主催:IZU PHOTO MUSEUM・一般財団法人日本カメラ財団
キュレーター:小原真史(IZU PHOTO MUSEUM)・白山眞理(日本カメラ博物館運営委員)
協力:髙島屋史料館、東京大空襲・戦災資料センター、公益社団法人日本写真家協会、特殊東海製紙Pam、広島平和記念資料館、広島県立文書館、photographers’ gallery、平和祈念展示資料館、田子はるみ、松本徳彦、山端祥吾ほか

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飯沢耕太郎

1954年生まれ。写真評論家。きのこ文学研究家。筑波大学大学院芸術学研究科修了。主な著書=『写真美術館へようこそ』『ジャパニーズ・フォトグラ...

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