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芸術作品における「魅惑の形式」のための試論

上妻世海(作家・キュレーター)

2016年10月15日号

3──「芸術作品の時間」

 「モノ」は自律性を保ちながら関係するとき、つまり、システムの一部でありながらそれ自体がシステムである時「芸術作品」であると言える。しかし、「芸術祭」というシステムの中でどのようにすれば関係しながらも自律性を維持できるのか? 僕の問いはそこに集中していった。

 そんなことを考えていると、バスの中で次の作品の説明が始まった。飴屋法水《何処からの手紙》という作品である。この作品には、あらかじめ次のような説明が付されている。


茨城県北に実在する4つの郵便局を対象に、ハガキを送ります。すると、あなたの元に、それぞれの場所から一通づつ、招待状のような「手紙」が届きます。「手紙」が案内してくれるのは、場所の中の、とある風景。過去。現在。これは、4つの手紙で構成された、もうひとつの小さな芸術祭です。一般公開の芸術祭プログラムと併せて、ぜひ体験してみてください。

申し込み方法

1. ハガキを用意してください。
2. 下にある「『4つの宛先』を見る」を押して、行きたい場所を探してください。何ヶ所選んでも自由です。
3. ハガキ裏面に自分の住所を記入の上、指定の宛先に送付ください。
4. ハガキの送付先から、1通の封書が返送されます。中には手紙と写真、行き先の地図が入っています。
5. 手紙を持って、県北を訪れてください。交通手段は電車でも、車でも大丈夫です。好きな順番で巡ってください。

※封書は選んだ場所ごとに1通届きます。郵便局は土日祝日がお休みとなること、また1通ずつ手書きで宛名を記入することもあり、返信までお時間をいただくことがあります。期間に余裕を持ってお申込みください。★10




 僕は会場に着くまでのあいだ、バスの中で手紙を読み、ポストカードと地図をぼんやりと眺めていた。その場所に到着すると、ポストカードの風景と同一の、しかし数年の年月を経たあとの風景があった。つまり、そこには現在があった。そして、物語が、過去の風景が、目の前に現前する現在に対して、滲むように入り混じっていき、計画された単線的な時間とは異なる時間が流れ始めた。それを写真に収めることはできなかった。数名のカメラマンがパシャパシャと目の前の風景を納めていたけれど「作品」を撮ることはできなかったに違いない。目という2つの感覚器官だけの関係性によって構成された時間ではないからである。そこでは目と風景の関係が、物語と風景との関係が、そして過去のポストカードとの関係が絡みあう仕方で「時間」を構成しているからである。

 飴屋法水《何処からの手紙》は「芸術祭」のなかの「もうひとつの小さな芸術祭」である。つまり、彼の作品はシステムの中のシステムであり、関係しながら自律し、自律しながら関係している。そして、システムが持つ「時間」とは異なる「時間」を持っているのである。飴屋は手紙のなかで、現地にたどり着くには時間を要すること、また現地では(「次の目的地」へと急がず)のんびりと過ごすことを勧めている。実際、飴屋の4つの手紙の場所を楽しむためには、1日以上かかってしまう。つまり、大きな芸術祭の中に小さな芸術祭を組み込むことが実質的に不可能なのである。それは大きな芸術祭を内側からハックしているといえる。




飴屋法水《何処からの手紙》
提供=KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭


 かつてエマニュエル・レヴィナスは『存在の彼方で』のなかで「芸術作品のうちでの存在することの時間化は隔絶のうちでの時間化である。つまり、どんな芸術作品も世界なき異邦性であり、分散されて存在することなのだ」と記した★11

 すなわち「芸術作品」は自律的で、代替不可能なもので、単独的でなければならない。そしてそれは、その作品の持つ内在的時間として露わになっていく。

 それは牛丼チェーン店のように「一般性」と「特殊性」という差異の組み合わせを消費する態度とは、本来的に相容れない。何故なら、各々の「芸術作品」は各々に単独的な仕方で自律的な時間を持っているので、画一化された仕方ではなく、僕たちは驚きに包まれたまま作品に真摯に向き合う必要があるからである。そして同時に、「芸術作品」とは真摯に向きあいたいと思わせる魅惑を持っているものでなければならないのである。


★10──「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」ウェブサイト https://kenpoku-art.jp/artworks/g01/
★11──エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方で』(合田正人訳、講談社、1999)p.108

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