フォーカス

【香港】草の根活動のその先に──香港アートのエコシステム

長谷川仁美(キュレーター/ミアカビデオアーカイブ代表)

2017年08月01日号

 もしもアートのエコシステムが、①美術館、②市場(画廊、アートフェア、オークションハウス)、③草の根の小さなアートスペースやコレクティブの3つであるとしたら、香港は間違いなくほかの2つのフィールドに比べて①の美術館フィールドが弱いと言えるだろう。香港の現代美術のアーティストは、英国の置き土産であるアーツカウンシルの助成により生まれた多くの非営利のスペースで初期の作品を発表したあとは、香港アートセンターか香港芸術館での展示しかなかった。いままでは、である。

H Queen’s
Courtesy of H Queen’s, Hong Kong.

続々オープンする美術館、ますます活性化する市場

 来る2019年に開館予定の巨大美術館「M+」はアジアで最も大きな規模になる、野心的な美術館である。前年の2018年には、ジョッキークラブと政府運営のアートセンター、歴史的建造物を使った「大館(タイクゥン)」もオープン。旧繊維工場を使い、テキスタイルをテーマに展開予定のMILL6ファウンデーションのアートセンターは日本の高橋瑞木が共同ディレクターだ。すでにオープンしているものでは湾仔にあるコミックとアニメのミュージアム、コミックス・ホームベース、北角の「オイル!(Oi!)」など。また、昨年末の故宮博物館(パレス・ミュージアム)の西九龍での建設の発表は、多くの関係者を驚かせた。このように、公立、私設のアートセンターや美術館、博物館が次々とオープン予定だ。
 いっぽう、アートマーケットについては2017年現在、香港はアジアで一人勝ちを続けていると言える。アート・バーゼルや、重要なオークションハウスのアジア本社、ガゴシアン、ホワイトキューブ、ペロタンなどの大手ギャラリーはほぼ香港に一極集中している。今年の秋には、新たなギャラリービル「H Queen’s」もオープン予定で、そこにはペース・ギャラリー、ハウザー・アンド・ワース、そしてDavid Zwirner 画廊もオープンすることになっている。工事中のビルのスクリーンには、チームラボやスプツニ子のビデオも展示され、人々の期待を高めている。
 2015年の雨傘革命以降のトラウマや、北京が影響力を強める政治的な不安の一方で、香港のアートマーケット関係者の今後数年の予測に不安はない。
 つまり、美術館と市場、2つのフィールドにおいて、香港は間違いなくアジアで最も重要な、コンテンポラリーアートの中心地になりつつある。

H Queen’s
Courtesy of H Queen’s, Hong Kong.

変わりゆく草の根活動

 ここ数年新たなインディペンデント・スペースが3つ目のフィールドに彩りを与えている。なかでもスプリング・ワークショップやシングス・ザッツ・キャン・ハプン100スクエアフィートパークネプチューンホーリー・モーターズなど、その場所の特性やレジデンスなどの特徴を持つ興味深い活動をするスペースが次々とオープンした。これらはアーティストランであったり個人が私財を投じてほかの非営利と提携したりと、さまざまだ。
 インディペンデントやオルタナティブといわれるスペースがたどる道のりは、彼らが活動を始めたばかりの実験的な段階を経て、ミニアートセンターになることだろう。海外の多くの成功したオルタナティブスペースがそうであり、香港ではパラサイトアジア・アート・アーカイブビデオタージュがその典型とも言える。彼らの3番目のエコシステムでの役割は終わり、現在は1番目のフィールドの、より細分化された特徴ある役割を果たすアートセンターとなっている。そのなかで、新たに設立されたスプリング・ワークショップやシングズ・ザッツ・キャン・ハプン、ネプチューンなどの存在は重要なものであった。しかし、彼らの活動は2017年、2018年に大きな変化をとげることになりそうだ。

スプリング・ワークショップ(Spring Workshop)

 2012年、ミミ・ブラウンにより設立されたスプリング・ワークショップは、アバディーンの工業ビル地域にある。ブラウンの設立の意図は、レジデンス施設と展示・イベントスペースなど、香港のアートシーンに必要と思われることのサポート、そしてアーティストの実験的なプロジェクトを人的、経済的な面から支え、そのアウトプットとしての展覧会まで行なうことである。その合間にも、出版企画制作、アーティストとの共同作品制作、ワークショップなどなど多岐にわたる。香港内外の非営利のほかのスペースともコラボレーションしている。その評価は国際的にも高く、2016年のプルデンシャルによるベストアジア現代美術機関にも選ばれた。そしてこれらの活動は当初から5年間という予定であり、2018年1月からは、方向性を変えてまた新たな活動を行なう予定だという。それは、コンテンポラリーアートのみに主眼を置いてきたこれまでの活動とは異なるようだ。


Winter discussion (2015) by HK Farm 
Feb 8th 2015, photo by Hitomi Hasegawa, Courtesy of HK Farm and Spring Workshop.

ネプチューン

 ネプチューンはテート・モダンのアジャンクト・キュレーター、インティ・ゲレロが立ち上げた。柴湾という香港島の東の端の、地元の商店街を利用した特徴ある空間だが、こちらは2年限定で2018年までの活動予定だ。


Cuortesy of the artist and Neptune, photo by Hitomi Hasegawa


Courtesy of the artist and Neptune

シングス・ザッツ・キャン・ハプン

 サムスイポー(深水埗)地域の今年の変化は大きなものだ。ここは電気関係はじめさまざまな問屋が露店を連ねる街で、香港の秋葉原とでもいった場所。そのなかで、いくつかのアートスペースがぽつぽつとでき始めたのは3年ほど前だ。シングス・ザッツ・キャン・ハプンはアーティストのリー・キット、元アジア・アート・アーカイブ(AAA)のシャンタル・ウォン、同じく元AAAのマリー・リーが設立したレジデンスとプロジェクトのスペースだが、今年中には、現在の場所はいったんクローズし、今後についてはまだ検討中である。もともとこの場所は香港の篤志家が期間限定で彼らに貸している場所なので、当初からの予定ではある。

100スクエアフィートパーク

 アーティストのサウス・ホーが運営する100スクエアフィートパークは、広さに限りのある香港の事情を逆手に取り、狭い空間を生かして地元の若手の作品を展示してきた。サムスイポーには、以前の香港島のスペースから引っ越して活動していたが、残念ながら2017年の6月にその活動を終え、クローズした。


Tang Kowk-hin “Child” , 2016 , photo by South HO


Ko Sin Tung and Stephanie Sin “FORM SIMULTANEITY” , 2016 , photo by South HO


Sim Chan "The Discovery of Time" , 2017 , photo by South HO

ホーリー・モーターズ(Holy Motors)

 写真家のリューク・ケイシーとリサーチャーのミン・リンが運営するプロジェクトスペース、ホーリー・モーターズも今年でテナント契約が終わり、どうなるか注視されていたが継続の方向だという。ホーリー・モーターズは、バイクショップの店先の1畳ほどのショーウインドーを使った展示空間。2016年3月にオープンしてからこれまで、香港内外のアーティストの8つの個展を開いてきた。都市空間の中で香港の歴史と街自体の特殊性をテーマに、公共空間に干渉する展示を行なう。自分たちの主なオーディエンスはこの街の一般の人々だ、とリンとケイシーは話す。サムスイポーにはほかに、ワンタンメンという共同オフィス兼カフェバーがある。

Zheng Mahler, Holy Motors #5: Deep Water, 2016.
Photo by Luke Casey, Courtesy the artist and Holy Motors, Hong Kong.


Nadim Abbas, Holy Motors #4, installation view, 2016.
Photo by Luke Casey, Courtesy the artist and Holy Motors, Hong Kong.

 このようなアーティストなどが運営する小さなスペースでは、活動の内容が興味深いものであってもなかなか経済的には成功しにくい。また人的資源の確保も難しく、特にアーティストがスペース運営と自身の芸術活動を両立させることは困難をきわめる。しかし新しいエッジな活動をするアーティストがそのようなスペースで発掘されることによって、インスティテューションや市場のプレイヤーが彼らを発見することになる。このような活動は、つねに公的なインスティテューションや海外キュレーターなどへの“フィーダー”、つまり新しいアーティストたちの存在を知らしめる場所としても機能してきた。シングズでのオーシャン・ルン、ウォン・ピンらの個展が、その後の彼らの国際的な活動の発端となったのは香港のアート関係者の記憶に新しい。

ルーフトップインスティテュート/ザ・オフィス

 現在は、新しい草の根の活動もいくつか始まっている。昨年から活動を始めたルーフトップインスティテュートは、海外アーティストとローカルアーティストのカップリングという実験的レジデンスで、日本の下道基行も参加している。昨年始まったザ・オフィスはアーティストのオスカー・イック・ロン・チャンや、キュレーターでアーティストのチ・ハン・ジムスら5人のアーティストやキュレーターの共同オフィスで、ケネディタウンの取り壊し予定のビルを借りての活動のため、期間限定の空間となっている。いずれも、パブリックに恒常的に展示を見せる空間ではない。5月には新たにフォタンのアーティストがサムスイポーにフォーム・ソサイエティというスタジオ兼ギャラリーをオープン、アーティストのタン・シウ・ワ、ヒム・ロウらが運営し活動を開始した。

香港のアートエコシステムはどう色づいてゆくのか

 “継続は力なり”とは日本の諺だが、とにかく変化のめまぐるしい中国や香港にはあまりあてはまらない。草の根や非営利の小さなインスティテューションが当初からの期間限定、というのも、香港の家賃の高さや、美術を取り巻く環境が変化し続けていることから理解できる。また、そのような事情を踏まえずとも期間を限定したフェスティブな活動には意義があるだろう。ただ、かかわる人々や知識も含めた展示やイベントのインフラ、そして観客が集まってつくり出すその場所というのは一朝一夕にはできない。その空間や活動が素晴らしいほど、なくなってしまうことが損失に思えるのは一部の関係者だけではないだろう。
 今後グローバルな市場と美術館が巨大化してゆき、興味深い独立した芸術活動が縮小していくとしたら、若い層のアーティストたちは卒業展示や美術館の若手紹介展示のようなところからしか出て来られなくなるのだろうか。また、杞憂かもしれないが、これからの新たな表現を模索するうえで美術館のような保守的な展示空間のみでは、面白いものは生まれるのが困難ではないだろうか。

 折しも、2017年は雨傘革命の焦点でもあった選挙の年であり、中国返還20周年でもあった。選挙では香港の人々に人気の高いと思われた対立候補を抑え、雨傘革命で学生たちと対立していたケリー・ラムが大勝、行政長官となった。20周年の記念式典には習近平国家主席が香港を訪れ、「中央の権力へのいかなる挑戦も絶対に許さない」と香港独立論を牽制した。また、2012年に学生らにより大規模な反対デモを引き起こした中国の愛国主義教育の強化、また国家安全条例制定に向けて動き始めているという。
 香港返還時の英国の提督であり、香港芸術発展局を設立し現在の非営利芸術組織の発展にも尽力したクリス・パットンは、現在の香港についてタイム誌のインタビューでこう語った。「香港がアジアで最も自由で素晴らしい都市であり続けているのは、北京のおかげではなく、イギリスの植民地だったからでもない。それは香港の人々の意思なのだ」(A City Apart: Hong Kong Marks 20 years of Chinese Rule, Kevin Lui, Time 2017)。

 独立と反骨の精神のある香港が、北京からの表現や言論の規制が高まるなか、ただ地の利と英国統治下時代からの取引の市場を提供するにとどまり、これまで培ってきた本来の色を失ってしまうようなことが起きるだろうか? 2017年、マーケットや巨大美術館などの隆盛を睨みつつ、草の根の親密な活動が終了したり変わったりすることには、何か象徴的なものを見ずにはいられない。