2017年12月15日号
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フォーカス

未だ見ぬ身体へ──川口隆夫『大野一雄について』

岡村恵子(東京都写真美術館)

2017年11月15日号

 川口隆夫によるソロパフォーマンス公演『大野一雄について』の初演は、2013年8月、東京、日暮里のd-倉庫においてであった。以来少しずつバージョンを変えつつ25カ国以上で公演を重ねているが、川口自身、ここまでこの作品と付き合うことになるとは思っていなかったのではないだろうか。


『大野一雄について』
アジア芸術劇場オープニング・フェスティバル、韓国光州 (2015年9月)
photo: Naoto Iina

大野一雄を「完全コピー」する


 土方巽(1928-1986)と並び、「舞踏」の代名詞ともいうべき稀代のダンサー大野一雄(1906-2010)の踊りを、公演記録映像をもとに「完全コピー」するという川口のアプローチは、初演時点では、当然ながら多くの舞踊関係者からの疑念混じりの目に晒されていた。初日公演後の質疑にゲストとして登壇した國吉和子(舞踏研究者/評論家)は、川口の挑戦に対し一定の敬意を払いながらも、大野一雄の踊りとはまるで別物であると言って憚らなかったし、観客の中からも違和感を表明する声があがった。川口自身が、大野の公演を一度も観たことがないと公言していることも、オリジナルのアウラを記憶している人々を当惑させたことだろう。この作品をどう位置付け、どのように見ればよいのか、恐らく川口自身にも当初明確な答えはなかったはずだ。


 1962年生まれの川口隆夫が、表現者として舞台に関わるようになるのは1980年代半ば過ぎ。★1土方巽の舞台はともかく、生前の大野一雄公演に足を運ぶ機がなかったはずはないことからも、川口の関心の中心に長らく「舞踏」というジャンル、そして大野一雄という踊り手の存在が入っていなかったことは明らかだろう★2
 舞踏の系譜に連なる踊り手との交流を別にすれば、川口と舞踏との明確な接点が見出されるのは、2012年5月、「土方巽『病める舞姫』をテキストとしたノーテーション」という課題を受け、田辺知美ともに二つのソロ作品から成る公演を構成した時である。★3 オレンジ色のマスクに赤いジャージズボンという姿で登場した川口は、土方の言葉を、義太夫の口上を摸した大げさな口調で読み上げ、畳を弄び、果てはビートルズのヒットソングまで持ち出して派手に暴れまわった。この時川口は、「舞踏」という、ともすればヘビーな「お題」に、その歴史に何らの呪縛を受けていないがゆえの軽やかさで、応じたのだった。


『大野一雄について』、クンステン・フェスティバル・デザール、ブリュッセル (2016年5月)
Photo: Maria Baoli


『大野一雄について』、「ダンスがみたい!」、日暮里d-倉庫 (2013年8月)
Photo: Kamiyama Teijiro

 翌年d-倉庫での新作ソロ公演発表の機会を前に、別プランの実現が物理的に困難であることがわかり、それなら次は『大野一雄について』を、と着想したという川口は、早速、ドラマトゥルクの飯名尚人とともに、大野一雄舞踏研究所の協力を得てアーカイヴ資料をたどり、関係者への取材なども交えながら、残された映像記録の中から特に土方巽演出による1977-1985年の3作品★4を選び、その動きを「コピー」し始める★5
 その試みに触発され、2015年に映像アーティスト山城知佳子が、川口の出演により制作したビデオ作品《創造の発端―アブダクション/子供―》★6 の中で、わずかだがその作法が紹介されている。川口は解像度の低いアーカイヴ映像をモニター上でコマ単位に静止させ、平面上に映し出されるポーズを実際にとってみながら、その誤差を確かめていく。各々の形や動き、またその流れをスケッチしたり言葉で書きとったりという無数の作業を踏まえてはじめて、ひとつのシークエンスが立ち上がってくる。公演の際にしばしば参考展示される夥しい枚数のスケッチは、その工程の果てしなさを示している。



『大野一雄について』のためのスケッチ

自己表現の真逆に向かって


 日本では今回が初めてとなる「ボディ・スカルプチャー・ワークショップ『大野一雄について』制作過程から」★7 では、その過程がより具体的に垣間見られた。参加者たちは、まず、大野の映像の一コマを静止画としてとらえてポーズすることからはじめるのだが、川口はそこから、徐々にそのポーズにはらまれた前後のゆらぎの可能性を想像させ、固定された型に血肉を宿らせようと促しているようだった。語りかける川口の言葉には、自ずと自身が本作のために重ねてきた作業の片鱗がにじみ出てくる。たとえば「自分の体を剥製にして、表面をカラっと揚げて、その殻をどこかにひっかけて、自分はそこから抜け出て出ていくような感じで……」などという極めて抽象的な言い回しは、機械的な「完コピ」という言葉のニュアンスとは随分と違う。コピーをしようにも、オリジナルの情報には欠落も多く、ありえたはずの多くの可能性の中から精いっぱいの正解を探りあてなければならない。
 一方で、動きの根拠を外部におき「コピーすること」に徹するワークショップでは、同時に沢山のことに集中することが強いられ、安易に自由に動くことは許されない。「忠実にコピーしようと努めることは、コピーを行なう主体側の解釈や特性を消して、可能な限りその対象に自分を重ねようとすることに他なりません。しかし、重ねよう、寄せようとすればするほど、その重ならない部分、どうしてもはみ出してしまう部分が、逆に、その主体の存在の消すことのできない有り様を浮かび上がらせる。」★8 自己表現の真逆に向かって徹底的に不自由になりながら、その果てにおいて初めてコピーから自由になる地平はあるのか。その時、コピーと自身の境はどこに生まれるのか。


「ボディ・スカルプチャー・ワークショップ『大野一雄について』、彩の国さいたま芸術劇場 (2017年11月4日)
photo: Naoto Iina

 本人いわく「でたらめの限りを尽くして」やればよいのだというが、大野一雄の動きは、実は大野固有の高度な技術によって自在に統御された身体によってはじめて成されるものであり、それを模倣し写しとるには、動かす骨や筋肉、皮膚を、途方もない解像度で認識し、再現しなくてはならない。また老齢の大野一雄の身体と、いまだ精悍な50歳代の川口の身体の間の隔たりを埋める必要もある。その意味では、このプロジェクトが示すのは、大野一雄の「完コピ」ではなく、他者の踊り、他者の身体、他者の生きた時間を写しとりながら、他者と自己の間での否応のない往還のなかで、宿命的に未完であり続ける試みそのものだ。

川口隆夫作品として──「身体を観る」ということ


 『大野一雄について』の根幹には、既に存在しない踊り手の身体を、映像を介して徹底的に観ること、がある。近年の川口のパフォーマンス作品の系譜を見返すと、「身体を観る」ということに主眼を置いたものとして、映像作家の前田真二郎、崟利子との協働により2011年8月に行なわれた『ブラックアウト』★9 と、2014年8月から継続的に行なっている、動くヌードデッサン会という形をとった公演/セッション『SLOW BODY 脳は感覚を持たない』(以下、『SLOW BODY』)のシリーズ★10 の二つがあげられる。

 『ブラックアウト』では、あえて映像を使わず、いかに身体を観るか・見せるかということに集中、舞台上の川口は40分程の公演時間中絶えず動き続けていた。それまでどちらかと言えば、ダンスというより演劇的あるいはレクチャーパフォーマンス的な形式をとった洒脱な作風の印象が強かった川口だが、『ブラックアウト』では、終始動き続けながらも「安易には踊るまい」という頑なさ、そして身体に向き合わずにはおれないとでもいうような切実さが前に出て、異彩を放っていた。


『ブラックアウト』(ダンスがみたい! 13)、d-倉庫 (2011年8月)

 『SLOW BODY』は、表現の現場において相次いで起こった「猥褻」性をめぐる検閲事件が契機のひとつとなって着想された★11。「性器がタブー視されること」が象徴する、見たくない・見せたくないものを覆い隠し、なかったこととしてしまう力や、その状態が権力により管理されるとともに、個々人の内側に自己検閲意識が蔓延することの不健全さに、川口は敏感に反応していたと思われる。とりわけ男性の局部を特別視し、人目に晒すことをことさらに忌み嫌う傾向の中にはらまれるさまざまな抑圧に、抗せずにはおれない意志が、目の前に投げ出された身体を徹底的に観ることの重要性を強く訴えるというベクトルに川口を促したように思う。
 一般に公衆の前で全裸になる行為は、現状の日本では、「猥褻」であると規制されるリスクがあるが、美術教育の伝統としてヌードによる人体デッサンという形式を逆手にとり、少人数の有志によるデッサンを目的とした場を設けることによってこれを既成事実化した。少人数の参加者を前に、川口は非常にゆっくりと、だが途切れることなく身体を動かしていく。参加者は思い思いのスタイルでデッサンするのだが、常に動いている身体はなかなかうまく平面に定着しない。それを必死に追い、描くことに専心することで能動的な関わりが生まれ、見えていなかった細部が見えてきたり、視点を変える運動を意識的に行なうようになるなど、「観ること」のあり様にも自ずと変質がもたらされる。と同時に100回の実施を目指しているという『SLOW BODY』の実践を通じ、観られる側の川口は、自身の細部、細かな関節の一つひとつを意識し、動きの精度をより微細に高めることを追及してきていたのだ。

アーカイヴなるもの──抽象化(矮小化)に抗う試み


 川口は、異なる領域の作家たちとのコラボレーションを好み、外的な要素との接触による反応や、あらかじめ設定した状況に身を委ねることによって生じる運動を根拠とするような作品をしばしば作ってきた★12。「自分について語る」ことをテーマにしたシリーズ『a perfect life』においてですら、川口のパフォーマンスは自己を客観的に突き放すような姿勢を保ってきたように思う。踊る理由、動く根拠を、自己の内面表現にではなく、外部に求めることで成立するダンス。「大野一雄」という存在もまた、川口が自身を動かすための装置のひとつなのだといえる。
 ダンスとは何かを問うダンスのことを「メタダンス」と呼ぶそうだが、『大野一雄について』をそう呼ぶ時には、「これはダンスそのものではない」というニュアンスもあろう。一方で、思いのほか愚直に大野とその踊りについてのリサーチを重ね、数年にわたり公演を繰り返す川口の姿勢からは、これを「アーカイヴ資料を活用した大野一雄研究」なのだと考えることもできる。公演時には大野一雄の関連資料や映像の展示が合わせて行なわれることも多く、ことに海外においては、「BUTOH」だと思って観に来る観客もいたはずで、オリジナルを知らない観客にとっては、大野一雄にアクセスする有益な回路ともなり得るのも確かである。
 巷では、アーカイヴという言葉が一種の流行のようにも使われているが、そもそも遺された資料は、それを紐解く者の恣意的な解釈でパッケージしたり、書き換えたり、矮小化したりしてよいものではなく、そこに欠落しているはずの膨大な情報に最大限の敬意を払いつつ、自らの生を賭けてたどり、生き直すくらいの覚悟をもって向き合って初めて、わずかに何かが理解されるというようなものではないか。川口隆夫が真剣に挑む「完全コピー」が、時に観る者を惑わしつつも、しかし永遠に「不完全」であることは、アーカイヴへの向き合い方を考えるうえでも大いに示唆に富む。技術の発展により、4Kや8Kといった解像度、あるいは3Dによるダンス記録も可能になった。それらをAIが解析するような日も遠くないだろう。しかし表現する身体は、またそれを観る者の目の解像度の方は進化しているだろうか。

「幻のデュエット」──未だ見ぬ身体へ


 公演の構成にあたり、川口は「これは川口による大野一雄についてである」ことを示唆するような要素を意図的にさしはさんでいる。冒頭のゴミやガラクタの中をローラースケートでコミカルに動き回り、果てはそれらにまみれながら、突然男娼ディヴィーヌを演じる大野へと転身する。客席奥に常に衣裳を置き、踊りの合間には必ずそこに立ち戻り、衣裳替えの様を繰り返し見せる。加えて、特徴的な白塗りの化粧を慣れた手つきで施してみせながら、鏡に向かって笑顔の練習をする。そうした仕立てによって観客は否応なく、舞台上の川口による「オン」と「オフ」の温度差を感じ取るだろう。また「完コピ」している間流れる音響は、公演映像の中に記録された当時のものをそのままに使っており、曲がかかる前の客席のざわめきや、舞い踊る大野の足音、拍手などが機械的に再現されるが、舞台上の動きとは折々にずれる。そこにいない大野の気配を感じながら、観客は、目の前の川口をどう観るべきなのかを常に問いかけられているのである★13
 初演から幾度か公演を観た中で、特に印象深いのは、2015年2月横浜でのフルバージョンである。長丁場にも関わらず、かつてないほどに身体が微細に動いていた★14。会場のBank ART Studio NYKの空間を横広に使い、観客席と地続きの場で踊り続けていた川口の傍らを見上げると、床置きの照明により、背後に巨大なシルエットが浮かびあがっていた。それはまるで、川口によって姿を現した巨人・大野一雄が、川口を見守り司っているかのような光景だった。『大野一雄について』は、多面体のパフォーマー川口隆夫が、同時代に生み出したソロパフォーマンスのひとつであり、他者である大野一雄との「幻のデュエット」★15 を通じて、「観ること」の意味を繰り返し問いかけるとともに、自身が未だ見ぬ身体にたどりつこうとする真摯な試みなのだ。


『大野一雄について』
Dance Archive Project、BankART Stuido NYK (2015年2月)
photo: Kazuyuki Matsumoto



★1──大学在学中からさまざまなプロジェクトに参加。1988年に初の自主公演。1年のスペイン留学を経て1990年には吉福敦子らとダンスカンパニー「ATADANCE」を結成。1996年からはアーティスト集団dumb typeに参加。2000年以降ソロ活動も並行して行なってきた。
★2──ただし、公演以外の場で、大野一雄の姿に接する機会が複数回あったことを川口は度々公言している。
★3──『「病める舞姫」をテキストに――2つのソロダンス』。Body Arts Laboratory 主催「Whenever Wherever Festival 2012」からの主題設定に応じて同フェスで初演。土方巽のテキストを素材に、「畳」をモチーフとして、前半を田辺知美が、後半を川口がソロを踊る。堀切克洋いわく「舞踏50周年(2009年)以降の「舞踏の読み直し」とも言える流れのなかに位置づけられるもの」。(小劇場レビューマガジン「ワンダーランド wonderland」2012年12月19日http://www.wonderlands.jp/archives/22399/を参照)
★4──『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977)、『わたしのお母さん』(1981)、『死海』(1985)
★5──記録映像をもとに「完全コピー」をしてみたらどうかと最初に促したのは飯名尚人。
★6──愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品として2015年に制作。撮影のために沖縄に川口を招き公演を実施してそのプロセスを追うとともに、屋外や洞窟内で踊る川口の姿やスケッチや身体部位の合成などを加え別個の映像作品として仕上げている。
★7──2017年12月の公演と連動して、同年11月3-4日(各日3時間×2日間)に彩の国さいたま芸術劇場大練習室で実施。
★8──川口隆夫自身の公式ウェブサイトより
★9──2011年8月、「ダンスがみたい11」のプログラムとして、日暮里d倉庫にて初演。
★10──初回実施は2014年8月7日。個人的な繋がりを介して会場や参加者を募り、不定期に実施。2017年11月時点で、30回余り実施している。
★11──アーティスト ろくでなし子が、自身の女性器を3Dプリンタ用データにし、活動資金を寄付した男性らに配布したことについて、わいせつ物頒布等の罪などの疑いで逮捕された件(2014年7月)や、愛知県美術館「これからの写真」展に出品された写真家 鷹野隆大の作品について、愛知県警がわいせつ物陳列にあたるとして同美術館に撤去を求めたことにより、作品の展示方法に改変が加えられた件(2014年8月、ちょうど『SLOW BODY』を試験的に始めた直後に起こっている)など。また当時、激化したシリア空爆の映像がTVやネットに多く流れたが、メディアに映し出される遺体の映像に現代人がリアリティを感じなくなっていることについての危機感も、『SLOW BODY』シリーズを始めたきっかけのひとつとして挙げている。
★12──参加していたダムタイプもまた、さまざまなメンバーの個性と能力の相乗効果によるクリエーションでアートとメディア・テクノロジー、そして身体パフォーマンスとの融合を領域横断的に試みた先駆性で知られている。
★13──『「病める舞姫」をテキストに』で用いたオレンジ色のマスクをあえて再び用いていることも、川口作品どうしの連関を示唆するだろう。
★14──2015年2月10日(火)‐13日(金)、TPAMと連動して開催された「Dance Archive Project 2015」のプログラムとしてBankART Stuido NYKで実施。最初の2日は内容を絞ったショートバージョン、後半2日はフルバージョン。
★15──川口隆夫 前掲の公式ウェブサイトより


川口隆夫『大野一雄について』

日時:2017年11月18日(土)14:30開演
会場:神戸アートビレッジセンター(KAVC)
兵庫県神戸市兵庫区新開地5-3-14/Tel. 078-512-5500
入場料: 一般 3,000円、学生 2,500円(全席自由、別プログラムとの通し券あり)


日時:2017年12月2日(土)、3日(日)15:00開演
会場:彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
埼玉県さいたま市中央区上峰3-15-1/Tel. 0570-064-939(チケットセンター)
入場料:一般 前売3,000円 当日3,500円、U-25(公演時25歳以下の方対象。入場時に身分証明書の提示) 前売2,500円 当日3,000円(全席自由)


日時:2017年12月9日(土)14:30開演
会場:高知県立美術館ホール
高知県高知市高須353-2/Tel. 088-866-8000
入場料:一般 前売3,000円、学生) 前売2,500円(全席自由、別プログラムとの通し券あり)

川口隆夫『ブラックアウト』(Tokyo Butoh Circus)

日時:2018年1月6日(土)18:00開演
会場:上野ストアハウス
東京都台東区北上野1-6-11 NORDビルB1/Tel. 03-5830-3944
入場料: 一般 3,300円 当日3,800円(全席自由、別プログラムとの通し券あり)


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