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美術館のこれから──今秋以降のリニューアルについて

暮沢剛巳(美術評論)

2009年10月15日号

 俗に「美術の秋」という。美術の制作や鑑賞は季節を問わず可能なはずなのに、なぜ秋が特権視されるのかは詳らかにはしないが、恐らく、暑い夏や寒い冬に比べて過ごしやすく制作にも鑑賞にも適しているとか、日展をはじめとする大型の団体展が秋に集中しているなどの理由によって定着した物言いなのだろう。
 そんな「美術の秋」にふさわしく、このほど山種美術館と根津美術館がリニューアルオープンした。どちらも日本画や古美術を主体とした老舗の館であり、現代美術を主なフィールドとする私には平素あまり縁がないのだが、せっかくの好機でもあり、出かけてみることにした。

山種美術館──本邦初の日本画専門美術館

 まず山種美術館へ。同館は山種証券の創業者・山﨑種二のコレクションを母胎として設立された、本邦初の日本画専門の美術館である。1966年の開館以来、日本橋兜町を拠点に5点の重要文化財をはじめとする約1,800点の日本画を収集し、また多くの展覧会を開催してきたが、施設が手狭になったこともあって広尾の新築ビルに移転し、10月1日に開館の日を迎えた。
 美術館は日本設計の設計したビルの1階と地下1階に入居しているが、閑静な住宅街の中に位置するこのビルは縦のスリットによる陰影が印象的な建物で、またエントランスやカフェが設置された1階はあたかも現代美術館のように垢抜けており、地下の展示室に向かう階段の脇に設置されている加山又造の陶板壁画《千羽鶴》が眼に入らなければ、ここが日本画の専門館であることを忘れてしまいそうなほどである。
 ちなみに現在は、開館記念展である「速水御舟──日本画への挑戦」が開催中である。「炎舞」などの傑作で知られる速水御舟の充実したコレクションは同館の最大の目玉でもあるが、この開館記念展では計120点のコレクションをすべて公開したほか、今回が初めての一般公開となる《婦女群像》や、御舟が生前にヨーロッパ旅行した際に携行した日記や遺品も展示する力の入れようで、リニューアル開館に当たっての強い意気込みが伝わってきた。


左:山種美術館、外観、撮影=小池宣夫氏
右:同、内観。壁画《千羽鶴》と階段

根津美術館──国宝をはじめとする充実した日本美術コレクション

 次に根津美術館へ。同館は、東武鉄道の経営などに尽力した実業家・初代・根津嘉一郎の個人コレクションを母体としており、その開館は終戦前の1941年にまで遡る。70年近い歴史を反映して、尾形光琳の《燕子花図屏風》など国宝7件をはじめとする充実したコレクションを有しているが、近年は展示スペースの不足や施設の老朽化が目立っていたため、約3年半の長期にわたって休館し、その間に本館を建て替える大規模なリニューアルを実施した。
 開館日の10月7日の昼過ぎ、私はさっそく同館を訪れた。当日は生憎の天気だったが、門と正面入り口を結ぶアプローチには大屋根が覆いかぶさっていて、格好の雨除けとなってくれる。竹を大胆に用いた美術館らしからぬ和テイストの演出は一昨年リニューアル開館したサントリー美術館を彷彿とさせるが、同じ隈研吾の設計と知って納得がいった。
 館内には1階と2階にそれぞれ3つずつ展示室が設けられているが、主にデリケートな素材でできた日本美術を展示することを想定して室内の天井、壁、什器などはいずれも控えめにデザインされており、またLEDを用いた照明や採光にも細心の注意が払われている。当日の展示は国宝である《那智瀧図》を中心に、自然をテーマとした作品を中心に構成されていたが、今後1年間を通じて計8回の新創記念特別展を実施し、その都度展示品を入れ替える予定という。総計約7,000件のコレクションの中から名品をそろえて公開する。
 また、もともと根津家の敷地内に設けられた同館は、都心とは思えない緑に恵まれており、本館の背後に広がる深山幽谷のような庭園の中には、茶室も設えられている。そういえば、初代・根津嘉一郎は根津青山の号を持つ茶人でもあったはずだ。一通り作品を鑑賞したあとで、庭園にさ迷い出て清澄な空気を吸い込み、カフェでコーヒーを楽しむのもまた一興であろう。


左:根津美術館、外観/右:同、ホール
ともに©藤塚光政

三菱一号館美術館──近代以降の美術にフォーカス

 他方、これから開館を控えている美術館のなかにも、10月末開館予定のIZU PHOTO MUSEUMのように大きな関心を集めているものが散見されるが、ここでは丸の内の三菱一号館美術館を取り上げてみよう。同館は、三菱グループによる東京駅周辺の再開発計画の一環を為しており、かつてこの地に建っていたジョサイア・コンドル設計のオフィスビル・三菱一号館を可能な限り原型に忠実に復元し、これを美術館として再活用しようとするプロジェクトである。2007年の春に記者会見が行なわれて以来準備が着々と進められ、来年4月6日の開館が正式に決定されたのだが、それに先立ってこの9月からは、竣工したビルを舞台に「一丁倫敦と丸の内スタイル」と題する企画展が開催されている。
 日本最古のビジネス街として知られる丸の内も、明治の初期には一面の草の原だったという。この展覧会では、1890(明治23)年に三菱社が明治政府の要望に応じて丸の内一帯を取得して以来の開発の歴史を6部構成の展示によってたどっているが、なかでも「一丁倫敦」の呼称が定着した明治40年代の街並みの記録は必見である。また梅佳代、ホンマタカシ、神谷俊美という世代も作風も異なる3人の写真家による三菱一号館復元のドキュメント写真の展示は、レトロなムードを基調とするこの展覧会に現代的なアクチュアリティを加えていて好感が持てた。
 旧財閥系の資本による美術館というと、日本橋に2005年に開館した三井記念美術館が想い起こされる。だが同館が老舗にふさわしく江戸初期の頃からの古美術コレクションを主体とした活動を展開しているのに対し、三菱一号美術館は「一丁倫敦」と同時代のパリで活躍したロートレックのコレクションを大きな柱とするなど、新興財閥である三菱の由来を意識してか明快なカラーの違いを打ち出している。
 国立西洋美術館の主任研究官だった高橋明也氏を館長に迎え、来年4月の開館記念でも「マネとモダン・パリ」が催されるなど、当面は西洋モダニズムを主体とした展覧会が開かれるはずである。同じくレンガ造りのレトロな施設でもあるが、近年中の活動再開が予定されている東京ステーションギャラリーと並んで、丸の内のアートシーンを華やかに彩ってくれることを期待したい。


三菱一号館美術館、外観

 私事で恐縮だが、今年の8月にスペインとフランスを旅行し、マドリッドのソフィア王妃芸術センターやパリのケ・ブランリ美術館を訪れる機会があった。後者に関しては前号の太田佳代子氏の記事に詳しいが、建築家、キュレーター、セノグラファーが一体となったダイナミックな展示にはおおいに好奇心を刺激された。これらのユニバーサル・ミュージアムの影響は必ずや日本の美術館にも及んでくるはずだが、ひょっとしたら、本稿で取り上げたいくつかの事例にも、すでにその兆候が現われているのかもしれない。

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