フォーカス

ハイブリッド・メディア、物質性、日常性

光岡寿郎(東京大学大学院/日本学術振興会特別研究員)

2009年11月15日号

 1980年代以降、日進月歩で進むメディア・テクノロジーの発達は、私たちの日々の生活と映像の関係性を大きく変えてきた。展覧会を例にとれば、「現代の視覚芸術」をテーマとした展覧会が絵画と写真だけで構成されることには誰もが違和感を持つだろうし、民生用の撮影機器の量産化と小型化は、制作の側面においてもアートとすら意識しない日常レベルで人々が映像の制作に参加することを可能にしてきた。

 このような映像を取り巻く環境の変化を反映してか、本年は映像、そしてヴィデオ・アートの意味を再考するイベントが数多く開催されてきた。例えば、2月には東京都写真美術館で「恵比寿映像祭」が、3月末からは東京国立近代美術館においてヴィデオ・アートの回顧展的な色彩を持った「ヴィデオを待ちながら」展が開催されている。そのような2009年の締めくくりとでも言えるのが、10月31日から始まったヨコハマ国際映像祭2009である。
 今回は、国内外の研究者・アーティストを招いて、同映像祭の冒頭を飾った国際シンポジウムであるCREAM Forum、とりわけ「ハイブリッド・メディアとは何か?──ソフトウェア時代の映像表現」のセッションを紹介しながら、現在私たちを取り巻いている映像環境の変化をメディア研究の視点から考えてみたい。

ソフトウェア時代における映像制作環境の変化

 当セッションのプレゼンテーションのなかで、アーティスト/メディア理論家であるレフ・マノヴィッチは、ソフトウェア時代における映像(作品)の特徴を、1. Hybridity、2. Deep Remixability、3. Amplification、4. Variable Formの四つのキーワードでまとめていた。Hybiridityとは、技術が未成熟な1980年代以前には、(実写の)動画が中心となっていた映像において、実写に加え、アニメーション、モーション・グラフィックスといった異なるコンテンツがひとつの映像作品のなかに混在する状況が生まれたということを示す。そして、Deep Remixabilityは、映像制作の基底でメタ・メディウム(meta-medium)として機能するソフトウェアが可能にした、映像の表面に生じている異種混淆性というよりは、むしろその裏に隠れた方法における異種混淆性だと言える。マノヴィッチ自身の言葉を借りれば、「現在リミックスされるのは、異なるメディアに出自を持つコンテンツだけではなく、(それらを生み出す:筆者註)基礎的な技術、作業方法、表象や表現のあり方」なのである。Amplificationに関しては、短い言及から理解した限りでは、コンピュータライゼーションが前提となった制作環境においては、物質的に規定されていた各メディアに固有の制作や修正の技術が、元々帰属していたメディア以外へも適用され、拡張されるという状況を指摘している。そして最後のVariable Formに関しては、同様に制作環境のデジタル化は可変的変数のコントロールを可能にし、そのアウトプットを動的な変化を反映した物理的形態として与えることが可能になったということを示している。この一連の議論に通底していたのは、ソフトウェアに基礎を置く映像制作環境によって、メディアは「Form」、つまり「形式/形態」の制約から解放されつつあるという含意である。
 ただ、一方で上述の議論が「PCモニター/スクリーン」の内側の世界に依拠している点に幾ばくかの違和感が残った。もちろん、ナビゲーターの堀潤之も指摘していたように、マノヴィッチの議論は制作環境に訪れた変化に照準したものなので仕方ないのだが、「ハイブリッド・メディアとは何か?」というテーマを勘案した時、「メディア」が不可避に持つ「モノ」としての側面への拡がりが弱いように感じた。そして、映像作品と観衆のあいだでのインターフェイスに鋭い感性を示した久保田晃弘、またハイブリッドなメディア状況を論ずる批評の地平を開こうと試みた北野圭介とも、異なる可能性がメディアの物質性への問いにはあるのではないだろうか。


レフ・マノヴィッチ氏
提供=ヨコハマ国際映像祭2009