フォーカス

アジアと建築ビエンナーレを考える

五十嵐太郎(東北大学教授/建築史、建築批評)

2010年01月15日号

 2010年は秋に第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展の開催が控えている。すでに総合ディレクターには妹島和世が就任しており、日本人初、そして女性初の起用として注目を集めている。筆者は今回、日本と台湾にてコミッショナーの審査員をつとめた。また、先日、深セン・香港都市/建築ビエンナーレを訪問した。それら体験をもとに、半年後のヴェネツィアについて考えてみたい。

日本館のコミッショナー選出について

 ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館における展示は、美術・建築ともに国際交流基金がバックアップしており、数年前からコミッショナーの選出はコンペによって行なわれている。建築の場合は前回が初めての試みであり、激戦の結果、石上純也と組んだ筆者の提案が選ばれた。そのときの記者会見において、朝日新聞社の大西若人が指摘したように、審査員のなかに建築の関係者はいない。全員が美術館の館長クラスの人物であり、美術の専門だった。なるほど、建築に比べて、美術の分野のほうがキュレーションなど、展示を企画する職能が発達し、多くの人材がいるのは間違いない。また審査を行なうのは国際展事業委員会のメンバーだが、国際交流基金全体としては、やはり建築よりも美術系のイベントが中心である。とはいえ、ヴェネツィア・ビエンナーレでは美術と建築の展覧会を交互に開催するわけだから、コミッショナーの審査には建築の関係者が入ったほうが良いと考えるのは自然だろう。そこで今回は筆者が審査員に加わることになった。一度、コミッショナーを担当した人物はもうやらないことを考えて、おそらく声がかけられたのだろう。
 選出の方法は以下の通り。まず最初に国際展事業委員会の6名と国際交流基金がコミッショナーの候補者を複数挙げ、それらを総合して、投票や議論によって決定する。今回は7名にコンペの参加を依頼することになった。もっとも、2名が辞退している。この2名は建築家であり、出展する側なら考えやすいが、コミッショナーという立場で関わることは難しいと判断したからだ。ちなみに、藤森照信がコミッショナーでありながら、自作の展示を行なったのは、あくまでも例外的なケースである。美術の場合は、学芸員、キュレーター、批評家、プロデューサーなど、豊富な候補者がいるのに対し、建築だと、そうした人材に乏しく、建築家への依頼が多いのも、ジャンルの違いをよく示すだろう。
 2009年8月、提出された企画書によって、第一次審査が行なわれた。クライン ダイサム アーキテクツのプロジェクトは、カワイイに通じる「small」を日本的なデザインのキーワードに掲げ、回転寿司の形式で紹介するというもの。一方、内藤廣はヒロシマの原爆に絡めた重厚なプランである。個人的には外国人が日本館のコミッショナーになる可能性に興味をもったが、いずれもオタクに続く、ニッポンのステレオタイプに陥ってしまう恐れから強い批判が出て、落ちることになった。その結果、八束はじめ、竹山聖、北山恒が、インタビューを行なう二次審査に進む。じつは三案ともに結成50周年ということでメタボリズムを下敷きにしており、建築の関係者が歴史的な文脈を踏まえる傾向が強いことがうかがえて興味深く思われた。ちなみに、八束と竹山は、前回のコンペにも参加している。
 インタビューは10月に実施された。八束は、コンパクトシティの潮流に対抗し、グローバリズムの時代における東京計画2010を提案したハイパー・メタボリズムといえよう(『10+1』No.50を参照)。2年前は同じテーマのリサーチのみの展示案だったが、今回は未来都市のデザインも手がけ、ファイナルのなかでもっとも濃密なプランである。前回のコンペにおいて筆者以外の提案で一番良いと思ったのが八束案だったので、そのときにものたりないと思った、デザインはしないという部分が改善されたことを評価したが、コールハースにも通じる倫理なきヴィジョンに強い反発が集まった。竹山の案は、メタボリズムの増殖をキーワードに、日本の最有力の若手建築家である藤本壮介と平田晃久のインスタレーションが絡みあう。これはもっとも美しい案だったが、実現性が疑問視され、最終的に塚本由晴と西沢立衛を起用する北山案が勝利した。彼は、1960年代のモノ=図としてのホットなメタボリズムに対し、都市環境における空地に注目して、ヴォイド=地としてのクールなメタボリズムを掲げ、現代の東京論を展開する。国別参加という万博システムを踏襲するビエンナーレは、日本代表として誰を選ぶのかという場だ。そうした意味において、北山が企画した塚本+西沢のコンビは、安定性のあるプランといえよう。
 なお、コミッショナーの決定後、妹島和世がビエンナーレ全体のディレクターに選出されたというニュースが入り、奇しくもSANAAの二人がそれぞれの方法で最大の建築展に参加することになった。

台湾におけるコミッショナーの審査

 台湾の場合は、台中の国立美術館がヴェネツィア・ビエンナーレの展示をサポートしている。2009年11月、筆者は台湾のコミッショナーを決定するコンペに審査員として参加した。ほかの審査員は、前回のビエンナーレに参加した建築家の曾成徳、interbreeding fieldの呂理煌ら、そしてもうひとつの外国人枠としてアメリカのウルフ・メイヤーがおり、全員が建築の関係者である。すでに妹島による「境界を曖昧にする」という全体テーマの第一報が伝わっていたが、コンペの締切後だったために、審査の基準としないことが確認された。ちなみに、日本でも全体テーマが明らかになる前にコミッショナーを決定している。プレスからはよく全体テーマとの関係性が質問されるのだが、これを待っていると準備が間に合わない。
 審査当日は朝から夕方まで、10組のプレゼンテーションと質疑応答が続く。台湾では、事前に候補者を指名するコンペではないために、ファッション・デザイナーや民族学的なチームも参加し、提案はバラエティに富む。しかし、門戸が開かれているだけにクオリティにもばらつきがあり、10組を平等に審議するのではなく(最初からこれは絶対ないだろうという案もいくつかあった)、すぐれた数案について時間をかけて審議する方法も検討すべきかもしれないと思われた。
 筆者が高い得点をつけたのは、劉克峰の「法自然(Radical Nature)」、謝宗哲の「建築:空間的新衣(Architecture as New Clothes of Space)」、紅色空間の「休息中(Take Break)」だった。いずれも若手であり、新世代が頑張っていたといえるだろう。劉の案は、独自に開発した建材にもなるペットボトルの壁によるインスタレーションである。謝は台湾の若手建築家を組織し、衣服としての空間を創造するキュレーションを打ちだした。ほかの案に自作の展示が多かったのに対し、これはコミッショナー的な立場が明快である。そして紅色空間のプロジェクトは、空気で膨らむインスタレーションによって、ビエンナーレに休憩所を提供するというもの。最後は「法自然」と「休息中」の一騎打ちとなり、実績を買われて、紅色空間が2010年の台湾代表に選ばれた。台湾はジャルディーニ(ヴェネツィア・ビエンナーレのメイン会場)の公園内にパヴィリオンがないために、サンマルコ広場のすぐ横にいつも展示場をかまえているが、今年はぜひそこで一休みしたいと思う。