キュレーターズノート

リアス・アーク美術館と「N.E.アーティスト協会」/コレクションの力、青森の力/伊藤二子と八戸展 ほか

工藤健志(青森県立美術館)

2011年07月01日号

 地震と津波で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市に建つリアス・アーク美術館。去る5月29日、被災状況の聞き取り調査ととある案件の打ち合わせのため、同館学芸員の山内宏泰さんを訪ねた。

 美術館自体は高台に位置しているため、津波の直接的な被害はまぬがれたものの、地震による建築へのダメージに加え、管理運営を担う「気仙沼・本吉地域広域行政事務組合」が被災の激しい気仙沼市、南三陸町の一市一町で構成されていることから、当面の休館が決定している。山内さんとは3月11日の地震直後から何度か電話で話しをしていたが、直接会うのは震災後はじめて。電話で聞いて心配していた収蔵庫の空調停止状態は、震災から2カ月が経ってようやく電気使用の許可が認められ、危機的状況は脱したとのこと。梅雨の多湿期が目前に迫ったまさにギリギリのタイミングでの復旧であり、「過去」と「未来」の双方に対して文化財を保存、管理する責務を負ったミュージアムの存立基盤が守られたことに、僕自身もホッと安堵した。
 リアス・アーク美術館はこれまで「N.E.blood21」と題して東北、北海道に在住する若手作家の仕事を紹介する企画展を毎年開催していた。しかしながら今年度の展覧会(vol.46〜50)は残念ながら中止が決定。個人的にも「やはり当分は中止だろうな」と当たり前のように思っていたが、驚いたのは、その報を受けてこれまで展覧会に参加した45名+有志が、美術館を支援するために「N.E.アーティスト協会」という団体を組織し、自らの手で企画を継続させようと動き出したこと。この展覧会は、リアス・アーク美術館が「東北・北海道在住若手作家の活動拠点となる」こと、つまり地域の文化環境醸成を目指した長期的な視座に立つものであったため、全国的な注目度はあまり高くなかったし、(僕の推測だが)もしかすると集客的にも厳しかったのではなかろうか。話題性や即効性ばかりが期待される現代社会においては、地味な印象を与える展覧会だったかも知れないが、むしろ目的に向かって着実な成果を挙げていたことが今回の震災で明らかになったわけだ。芸術文化も経済活動のひとつであることは重々理解しているつもりだが、だからと言って50年後、100年後を念頭においた地道な取り組みを放棄していいということにはならない。山内さんが目指しているのは気仙沼、そして東北・北海道の、揺るぎない文化基盤の確立なのだろう。これまで青森県在住の作家も多数この展覧会に参加しているが、当館が同じ事態に陥った場合、はたして彼らはわれわれを救ってくれるのか……、自省しきりであった。


「N.E.blood21vol.45 田塚麻千子 展」(2010年11月25日〜12月26日)展示風景
提供=リアス・アーク美術館

 帰路の途中には、壊滅的な被害を受けた気仙沼港に立ち寄る。津波と大火で町そのものが壊滅、川には家がまるごと一軒浮かんだまま。旅館には重油タンクが突き刺さり、骨組みだけが残った建物のかたわらには壊れた車がうずたかく積まれ、かつて埠頭があったとおぼしきところまでいまは海となっている。写真や映像でおおよそ「わかっている」つもりだったが、そんな甘い認識はすぐに崩壊した。重油の流出によるものか強烈な刺激臭がただよい、まさに「地獄」としか形容できない恐ろしい「現実」が広がり、山内さんの言っていた「人災」という言葉が深く胸に突き刺さる。同時に山内さんは、1896年の明治三陸大津波でも同様の大きな被害を受けていながら、わずか100年のあいだで人々の記憶が風化していたのではないかとも語っていた。これまでも展覧会(「描かれた惨状」、2006)や小説(山内ヒロヤス『砂の城』[近代文芸社、2008])という手段を用いて警鐘を鳴らし続けていたが、悲しいかな、人々の関心は低かったという。しかし山内さんはあきらめることなく今回も「災害調査記録担当」という任務を得て、被災の記録を後世に伝えるための活動を行なっている。その姿勢と「N.E.blood」のコンセプトは一貫したものと言えはしないだろうか。震災をきっかけとして「N.E.アーティスト協会」が生まれたように、山内さんの地域にしっかりと根をおろした取り組みはいつの日か必ずや豊かな実を結ぶと信じたい。
 一方、被災地と被災者を前に、「アートにいまなにができるのか」といった議論や「アートによる救援活動」も活発になっているが、山内さんの姿勢に比すると、たんにその価値を押しつけているだけのように思えて、とても気恥ずかしさを覚える。なにもいま声高に「アート」などと主張する必要などないのではないか。この日常と常識の崩壊は、(過去の同様の出来事を振り返っても明かなように)否が応でも新しい価値、新しい表現を生み出していく。第三者による自己満足、自己発見、自己充足の「お祭り騒ぎ」の先に現われるであろう、その「なにか」に僕は期待をしている(山内氏による詳細な被害報告については『あいだ』183号[2011年5月20日]を参照いただきたい)。


被災した気仙沼港周辺の様子(2011年5月29日)
筆者撮影

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