キュレーターズノート
沢田マンションとSAWASONIC サワダマンションマツリ2011
川浪千鶴(高知県立美術館)
2011年11月01日号
対象美術館
30年間勤務した福岡県立美術館から、地縁、血縁、アート縁ほぼゼロの土地・高知に移ったのは4カ月前、今年の7月だった。artscapeの草創期からしばらくのあいだ、福岡のアートシーン報告を担当していたが、時を経てまた同じ「学芸員レポート」欄に、今度は高知県立美術館スタッフとして執筆の機会をいただいたことには感慨深いものがある。福岡県立美術館に退職届を提出した翌日におきた東日本大震災。個人的にも社会的にも激動の年として心に深く刻まれるとともに、新たな始まりの年にしたいという思いも強くなっている。高知から、美術と美術館の振興はもちろん、地域や人が想像力でつながる可能性をテーマに、これからもしっかり見つめ、じっくり考え、機敏に行動していきたいと思っている。
アートは土佐の沢マンから
さて今年の春ごろ、高知県立美術館に移る話をある美術館学芸員にしたとたん、彼の口から出たのが「高知と言えば沢マン、沢マン祭り!」という言葉。この時点で高知の文化の基礎知識すら頭に入っていない私に、企画展で沢田マンション(以下、沢マン)を取り上げた経験をもつM学芸員によって、まず高知=沢マンという強烈なインプットがなされたという次第だ。
沢田マンションとは、JR高知駅の北東、高知市薊野北町に位置する鉄筋コンクリート製の幅70m、地上6階、地下1階、約60戸の賃貸集合住宅のこと。製材業、不動産業からアパート経営を志した故沢田嘉農氏と裕江夫人が文字通り二人三脚で、1971年の着工から数十年かけて、独学、独力、図面なしでの数段階の建設と、居住者がいる状態での増改築を重ねてきた、他に類を見ない巨大セルフビルド建築。「世界最強の手作りマンション」としてその名をとどろかせているが、残念ながら違法建築のため、公の観光ガイドブックにはけっして載らない高知の隠れた名所である。
日本の九龍城とも呼ばれ、都築響一の『珍日本紀行』や「探偵ナイトスクープ」、雑誌などマスコミ露出が増えたおかげで、近年建物見学に訪れる人が絶えない沢マンだが、ここが記念館やモニュメントではなく、3世代にわたる大家さん一家と現在約70名の店子が共同生活している現役の集合住宅であることが、じつはもっとも重要な特徴といえる。
高知県立牧野植物園やJR高知駅舎等を設計した建築家内藤廣氏は、「あそこは、集まって住むことの楽しさが、見事に生まれているところ」と語っている。「こんなふうになったらいいな、という暮らしの夢みたいなものが、つぎはぎで積みあがっている。暮らすことから全体ができている」。まさにそこに沢マンの魅力の根源がある。
沢田嘉農氏の手法は、設計図をひき、そこから経費に見合った施工に進むという通常のそれではなく、いまつくりたいところから手がけ、細部へのこだわりをはてしなく積み上げることで結果巨大なマンションを生み出したところにある。沢マンにはひとつとして同じ間取りの部屋はないという。現代人のストレスの原因のひとつが、規格や既製品に暮らしや身体をあわせ、マニュアルの範囲内、想定内での画一的な発露に慣らされていることにあるとすれば、その対極にある沢マン(=大家さん)を通じて、「元気になる」人が多いという事実はおおいにうなずける。
沢マンを広め、守るための祭り
多くの人々が沢マンに注目する理由は、「沢田夫妻の一途で破天荒な生き方」「その集大成としてつくられた個性的な建築とその空間」、そして「沢マンに入居する人たちの住まい方や活動」の3点にだいたい集約されると、沢マン研究家の加賀谷哲朗氏は著書にまとめている。夫妻の人生については『沢田マンション物語』、建築と空間については加賀谷氏の『沢田マンション超一級資料』が詳しいので、ここでは3番目の入居者たちの活動、沢マン祭りの意義について簡単に触れてみたい。
ここ10年ほどの沢マンの変化に、沢マンの魅力にひかれた若者やアーティストが多く居住するようになったことがあげられる。とはいっても、現在その数は入居者数約70名の2割ほどで、長年住み続けている高齢者が住民の大半を占めている。沢マンといえば、若者たちが好き勝手に増改築できる野放図な共同空間という偏ったイメージがややもするとあるようだが、その実態は自主ルールに則った、静かな個人の生活が守られている「普通」の集合住宅なのだ。
そうした普通の暮らしのなかから、沢マンを愛する若手入居者の発案で最初の祭りが生まれたのが2002年。「近寄りがたい怪しいマンション」から「面白そうで不思議なマンション」へという流れをつくるために、世代を超えた沢マン内外の人の交流と沢マンの魅力再発見が目的だった。祭りは、沢マン内のコミュニティの関係が薄まり、滞り始めるとそれをリフレッシュするために不定期に自主企画され、今夏の「SAWASONIC サワダマンションマツリ2011」は3年ぶり5回目の開催にあたる。新陳代謝を繰り返す若手入居者のまとめ役であり、現在入居8年目の古参・写真家の岡本明才さんが中心となって、8月28日に行なわれた。
「沢マン一日解禁!!」「マンションを遊ぼう!」というチラシのコピーどおり、屋上から地下室まで隈なく使って多くの出店が並び、各種ライヴに、5階から走り抜ける弾丸流しそうめん、巨大ゼリーの御神輿や沢ソニ盆踊りなど、イベントは終日盛りだくさんで私も大いに楽しんだ。1,500人もの参加者で一日中沢マンは大賑わいだったが、その一方で、立ち入り禁止エリアを設けるなどして、高齢居住者の生活を守る配慮が随所にあったことが印象に残った。「遊ぶと守るは共存している」と岡本さん。祭りを通じて、多くの人に沢マンに親しみ沢マンを理解してもらうことは、違法建築ではあるが高齢者や低所得者、母子家庭など、弱い立場にある多くの入居者を守り、かつ自由と自主の心意気を長年培ってきた沢マンの存在や存続を守ることにもつながる。彼らは同じ理由から、防災訓練や沢マン見学ツアーにも熱心に取り組んでいる。
岡本さんは沢マンに居住しているだけでなく、以前自分が居住していた部屋を大家さんに相談のうえホワイトキューブに改装、家賃の共同負担を条件とした会員制自主ギャラリー「沢田マンションギャラリーroom38」を2009年から運営している。沢マンに引っ越しをして人生が変わった人も多いと聞くが、岡本さんはまさにその一人。沢マンに住まなければオリジナルのピンホールカメラで撮影する作家活動も、ギャラリー運営も手がけることもなかったという。沢マンとその影響を通じて、場と暮らし、場とアートの関係を考えるとき、そこには人間の潜在的な可能性、希望が見えてくる気がする。
沢田マンション住人ブログ
沢マン主要参考文献
「沢田マンション祭」展
学芸員レポート
高知に来てまもなく、沢マンに続いて、いたく感心したのが『高知遺産』というガイド本。
高知市も多くの地方都市と同じく郊外の巨大ショッピングモールに買い物客が集中し、商店街だけでなく、喫茶店、映画館、本屋、下町、市場、風俗街、路地など、街の文化を醸成、発信し交歓してきた場所が近年急激に減っている。同書は、自分にとって思い出がつまった、大切な残したい場所やものを「高知遺産」として記録するワークショップを兼ねた展覧会(ギャラリーgraffiti、2004)をもとに編まれている。
「遺産」とは過去のものだけではなく、現在のものであり、未来につなぐもの。そして、歴史的・文化的な重要性といった「客観的な評価基準」ではなく、個人の思い入れや「主観的な評価基準」によると言い切った「高知遺産」の定義がまず秀逸。そして、その「remap」的なコンセプトを経糸、魅力的な写真や地図、イラスト、コメントなどを緯糸に、遊び心あふれる同書を織り上げたメンバーの編集の力に感動を覚えた。高知初心者の私にとって手放せない一冊である。
職場の高知県立美術館では、そのコレクションの質と量に改めて驚かされている。なかでも世界的に著名な写真家・石元泰博氏のプリント作品は、なんと15,000点を数える。高知出身の氏から回顧展開催を機にまとめて寄贈を受け、数年来整理を行なってきたが、その第一弾として「桂離宮」と「伊勢神宮」のシリーズを特集した展覧会「写真家・石元泰博の眼−桂と伊勢」(〜2011年12月18日)を現在開催中。
展覧会では200点以上の美しいモノクロのプリント作品を紹介し、図録を兼ねるレゾネでは700点を超える2シリーズの作品群を一挙掲載することで、今後の石元研究や石元アーカイヴ準備への基盤や道筋をつくっていきたいと考えている。